七百九十四 お寺巡りのまとめ

平成二十八年丙申
一月五日(火) お寺巡りを始めたきつかけ
昨年は東京近辺に点在する総持寺、川崎大師、池上本門寺、増上寺、築地本願寺、浅草寺と末寺の待乳山聖天、浅草東本願寺に多数参拝したので、まとめてみることにした。一連の参拝のきっかけは、毎年恒例の夏旅行を中止した。その代はりに七月に東京近在の各宗寺院に参拝することを思ひ立つた。
それとは別に、四月に浅草寺が主催する仏教文化講座に参加した。更にそれとは別に宮澤賢治について五月から調べた。この二つの流れが加はり、更にミャンマー上座部仏教寺院に二回、キリスト教会に一回参拝し、合計四十二回参加する大きな流れとなつた。

一月六日(水) 浅草寺仏教文化講演会
浅草寺の仏教文化講座に参加したのはまつたくの偶然だつた。東工大教授丸山茂徳氏が地球温暖化で講演するといふので出掛けた。実際は私の期待とは逆で、二酸化炭素の増大は地球温暖化とは無関係といふものだつたが、さういふ主張があつてもよい。そして二酸化炭素排出反対派は、地球温暖化を機に化石燃料の消費は人類の許される活動範囲を超えるものだといふ主張をしなくてはいけない。地球温暖化の原因が二酸化炭素だらうと別の理由だらうと、人類は化石燃料の消費を止めなくてはいけない。

もう一人の講演者も東工大教授だつたが、まつたく期待外れだつた。念のためこの人の著書を調べたが、外国のめずらしいものを並べるだけで、背後にある原理への考察がない。観光客と変はらない。これ以来、国立大学の仏教学科、或いは教養科目の仏教学科関係者に厳しい目を向けるようになつた。

一月七日(木) 五月からの宮澤賢治特集
五月から宮澤賢治を調べた。その集大成が(宮沢賢治10)から始まる一連の特集で、今読むとよくこれだけ調べたと自分でも驚く。夏旅行の代はりに東京近辺の各宗寺院巡りを始めたと思つてゐたが、日蓮宗を調べ過ぎて逆に冷めた目で見るようになつた経緯も改めて思ひ出した。
五月は北山本門寺系の布教所に打ち合はせで一回、池上本門寺の朗子会館の学習会を聴きに一回。
六月は池上の宗務院の講演会と朗子会館の学習会に一回づつと、休暇を取つて佼成図書館に一日中が一回。なを同図書館はエレベータ工事の為、十一月一日から一月中旬まで臨時休館になるが、それはまだ先の話だ。
七月は休暇を取つて佼成図書館が三回と、朗子会館の学習会に一回と、これは回数に入れてゐないが、板橋区立教育科学館で銀河鉄道のプラネタリウム。なを七月四日に築地本願寺の仏教文化講座と二十六日のプラネタリウムの前の築地本願寺常例布教が始まる。これが十二月まで膨大な数の各宗派寺院参詣の先駆けとなつた。

一月八日(金) 八月からの変化
八月は築地本願寺の常例布教に二回と真宗講座に一回と英語法座に一回、増上寺の日曜大殿説教と引き続き行はれる茶話会に二回づつ、川崎大師の朝の勤行と文化講演会に一回参加した。休暇を取り佼成図書館に丸一日ゐたが、このときは日蓮関係ではなく「ブッダの実践心理学第一巻物質の分析」と「『アビダンマッタサンガハ』を読む」を見た。といふことで日蓮宗を特別扱ひしなくなつたが、前半は休日にインターネットで銀河鉄道999のテレビ版や映画版を観て、図書館から漫画版の銀河鉄道、かまねこ、その他童話、イーハトーブ乱入記、兄のトランクを借り、後半はインターネットで日蓮宗金曜講話を観た。
九月は増上寺の日曜大殿説教と茶話会に一回、浅草待乳山聖天の浮世絵展を観た日に引き続き築地本願寺のランディさんの文化講演会、その後の英語法座に参加した。九月は日にちで二日と低調だつが、別の用事が九回あつた。

一月九日(土) 十月から年末まて
十月は禅を聴く会、法友、江東メモリアルの宮澤賢治法要ののち浅草待乳山聖天の夜間開堂、増上寺日曜大殿説法ののちミャンマー寺院、浅草寺仏教文化講座、池上本門寺の学習会「法華経を生きる」ののち静坐と六日で八回参加した。浅草寺仏教文化講座は特集を組まなかつたが決して不満があつた訳ではない。原子核の話は貴重だし、江戸時代の富くじの話も有益だつた。総持寺の夜間装飾を観に行つたがこれは回数に含めなかつた。
十一月は総持寺と鶴見大学会館、川崎大師二箇法要、池上本門寺朗子会館の三回だつた。総持寺と鶴見大学会館は両方で一回に数へ、池上本門寺朗子会館の前に行つた増上寺のミャンマー祭りは回数に含めなかつた。
十二月は成道会、待乳山聖天の御開扉、築地本願寺文化講演会、待乳山聖天の勤行と同じ日の浅草本願寺法話、基督教会、築地本願寺コンサートだつた。

一月十一日(月) 仏教文化講座と禅の会と成道会
築地本願寺仏教文化講座と、禅をきく会と、成道会は、入場無料の講演会で終了後に入り口付近で、災害寄付金の箱を持つた僧が並ぶ。このような場合、私は二百円だとか五百円だとか入れるようにしてゐる。しかし素通りの人が多い。
多くの人が考へるのは、神社仏閣の賽銭箱にお金を入れると御利益があるが、災害支援金は御利益がないといふものだらう。釈尊の時代の考へ方は、よいことをすれば徳を積むし、周囲の好意に甘えれば徳を消費する、そして比丘や僧団を援助すれば、よいことに該当する。だから、せつかくよい話を聴かせて頂いたのに、そのままにすると徳を消費してしまふ。ここは災害支援金の箱にお金を入れて、徳を積むべきだ。
もちろん、その分は後日、お寺に参拝したとき賽銭箱に入れるのであれば、お寺が宗務庁に払ふ宗費が巡り巡つて講演会のお金になるのだから、悪くはない。悪くはないがせつかく僧侶が箱を持つて立つてゐられるのだから、お金を入れたほうがよいように思ふ。(完)


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