七百九十三 1.年末年始帰省日誌、2.駅伝を観て思つたこと

平成二十七、八年(七百九十三の1は備忘録なので、煩はしい方は2へ読み飛ばしてください。)
十二月三十一日(木) 足立区から北足立郡へ
本日、府内足立区の不動産物件を二つ見たあと、足立郡浦和郷に帰省した。都バス一日乗車券(500円)を使ひ見終つたあとでJRに乘るか、都営交通一日乗車券(700円)を使ひ見終つたあとで西高島平から5Km歩くか。後者は西高島平から実家まで歩いたことがなく魅力的だが、歩く距離の少ない前者を選択した。私もそれだけ年を取つたのだらう。
都バスを池袋で乗り継いで港北陸橋で下車した。見沼代親水公園行に乗り換へる筈だつたが四十分待たなくてはいけない。といふことで停留所を四つ歩いた。途中左に折れて100円ローソンで昼食を買ふことは計画通りだつた。物件を見たあとは港北陸橋までバスに乗れた。乗り換へて西新井陸橋まで行つた。その後、赤羽からJRで南浦和まで行つた。

実家に着いたあと、歩いて10分ほどの商店街に行つた。八月に閉店したスーパーマルエツを見るためだ。四十三年前浦和に引つ越したとき、近くに商店街がなくて自転車であちこち探した。そのときこの商店街が既にあつた。少し歩けばまだ田んぼが広がるのに貴重な商店街だつた。その一角にマルエツも当時からあつた。そのマルエツが閉店した。当時は大きく感じたが、建物が最近のスーパーの1/3程度しかない。
旧サトームセンの店舗跡(現、ダイソー)と、イイダ百貨店を改装したコモディティショップ、武蔵野線ガード下のラオックス跡を見て帰つた。インターネットで調べるとラオックスは 1985年12月開店、95年11月コンピュータ館に業態変更したが再び一般家電店に業態変更。2009年5月閉店。その後はあおい書店南浦和西口店とあるがこれも閉鎖し、JRの浦和車掌区が移転した。

一月一日(金) 初めて、サッカー天皇杯を見る
下の子の受験のため、帰省は私と上の子だけで、妻は本日日帰りで来た。そのため今日はずつと実家にゐて、実業団駅伝の一部と、初めてサッカー天皇杯を見た。実業団駅伝は大学駅伝と比べて全然面白くない。その上、外国人選手が英語でインタビューする。ずいぶん馬鹿にした話だ。日本語を話せない人が日本で仕事ができるのか。実業団とは社内の仕事をしながら練習する人のことだ。練習しかしないならプロ選手だ。

サッカー天皇杯は最後まで観た。大阪ガンバ対浦和レッズの対戦だつた。大阪維新の会にはガンバってほしいから、名前の似た大阪ガンバを応援したいが、浦和にゐるので浦和レッズを応援した。一点差で優勝を逃した。
昨年は見沼代用水西縁を小谷場分水口までと、そこから南浦和団地、浦和駅近辺を散歩した。一昨年は見沼代用水西縁の高沼分水口から新都心まで歩いた。今年は南浦和ハイツまで往路は南浦和保育園経由、帰路は国道十七号経由で往復するに留まつた。ここも四十三年前、既にあつた。色が白からクリーム色に変はつた。前の空き地のような駐車場が舗装され、建物(高齢者施設か)が一部に入居した。近くに蕨操車場といふ国際興業バスの折り返し場があつて赤羽駅までバスが出ていたが、操車場は数年後に廃止された。

一月二日(土) 二日に帰宅
昨年は三日の箱根駅伝復路を観てから帰宅したが、上の子はバイトがあるため午前十時、私は箱根駅伝往路を観てから帰宅した。帰りは北戸田駅から埼京線に乘つた。途中の日蓮系宗教団体に日蓮宗のポスターが貼つてあつた。日蓮宗に加盟したのかと、家に帰つてインターネットで調べたが、この宗教団体自体が検索に引つかからない。かつては妙法かま風呂といふ怪しげな看板を掲げてゐたが、今は人の気配のない敷地内に立派な鉄筋コンクリート造りの建物とメモリアルホールが並ぶ。北戸田駅に行くときここを通ると近道なので二十五年くらい前はよくこの前を歩いた。北戸田駅の近くに高層マンションが出来たので驚いた。

一月二日(土)その二 箱根駅伝往路
箱根駅伝往路をテレビで最初から最後まで観た。二日と三日はテレビ番組に乏しいから多くの家で箱根駅伝を観ることになる。駅伝には体調を崩す選手や、ごぼう抜きするアフリカ出身留学生、並走した選手どうしの駆け引き、後ろの車からマイクで怒鳴る駅伝監督など、正月のドラマがある。青学の原監督がどうやつて優勝チームを作つたかは、多くの人に興味がある。だから経済誌でもしばしば取り上げられた。
往路は各校にサングラスを掛ける選手が目立つた。太陽光の感受度には個人差があるから、必要なら掛けても仕方がない。青学に掛ける選手がやや目立つた。
五区でテレビカメラが首位の青学を追ふのは当然だが、それ以外の時間の多くを東海大の選手が五人抜きをするのに費やした。もう一人日大のダニエルといふアフリカ留学生がゐるのにほとんど映さないので、そんなことしてゐていいのとテレビ局に云ひたくなつた。ダニエルもごぼう抜きをすると判つてからは一回映しただけだつた。終つてみると八人抜いて区間賞を取つた。昨年騒がれた神野より速かつた。ごぼう抜きは水戸黄門の印籠を出すところと同じで重要場面だ。東海大の選手は区間六位で、しかもダニエルが写つた一回といふのは、その東海大の選手を抜くところなのだから笑ふに笑へない。
二区で山梨学院大のニャイロが七人抜くところは比較的よく写つた。この程度なら問題ないが、それでも以前より写る頻度が少なくなつた。

一月三日(日) 箱根駅伝復路
今日は自宅で復路を観た。昨日は実績のない状態から優勝チームにまで育成した原監督に敬意を表して青学を応援したが、本日は青学にサングラスをする選手が多いので、アンチ青学の気分で観た。復路だから太陽光は背後から来る。他の大学はほとんどサングラスを掛けないのに、なぜ青学はサングラスを掛ける選手が多いのか。テレビの中継も青学の選手には「サングラスで表情が判りませんが」と云つてゐた。
あと嫌な気分になつたのは、青学は二位に大きく差を付けたのに、なぜ更に差をつけるのか。これは解説者が答へてくれた。選手層が厚いからタイムを出さないと来年は起用して貰へるか判らない。あと区間の個人記録もある。しかし駅伝はチーム優勝が目的だから個人記録は一切残さないほうがよい。個人記録を残すと駅伝ではなく、ハーフマラソンをシリースに五つ(往復だと十個)を並べただけになつてしまふ。シリースといふのは電気屋さんの用語で直列のことだ。
記録といへば、関東学連選抜がオープン参加に戻つてしまつた。調べると、平成十五(2003)年の第七十九回大会からオープン参加で一校一選手まで。第八十回大会は記念大会のため日本学連選抜として編成。八十一回大会から一校二選手まで。八十三回から八十九回までは正式参加で十位以内に入ればシード校が一つ減つて九校になり、予選会からの出場枠が一つ増えた。
その後、出場選手がほとんど同じ大学といふ批判が出て八十九回までは実施することになつた。八十九回は一校一選手、九十回は廃止。九十一回から関東学生連合チームと改称してオープン参加、予選会からの出場が一校増えた。更に調べると、学連選抜はそれまで十六位から二十位だつたのに、八十四回大会は原氏が学連選抜の監督で四位。チームの目標を統一するのに時間を掛けてミーティングを行つた。

私は結婚直後に鶴見で実物の箱根駅伝を観たことがある。三日に浦和から自宅に戻るとき、まだ子供が生まれる前だつたので妻と二人で東海道の近くを歩くと観客がゐる。総持寺の修行僧が駒澤大学を応援する垂れ幕を掲げ、選手が通過すると垂れ幕を降ろして帰つて行つた。当時は今ほど観客が多くはなかつた。直前に行つて沿道に一列、電気屋さんの用語ではシリースに並んで観ることができた。(完)

追記一月八日(金) 定点のテレビカメラ
定点のテレビカメラはよくない。映ることを知つてゐるシロアリどもがテレビカメラに向かつて紙を提示したりポーズをとる。なぜこのような連中をシロアリと呼ぶかと云ふと、最初は定点にこのような連中はゐなかつた。何年もするうちに一人現れ、二人に増へ、今では二十人くらいだらうか。国会議員や労働組合やマスコミや憲法学者がこのようなシロアリの巣になつたのと過程が同じだ。
テレビ局も悪い。かういふ連中は映らないよう画面を切り替へなくてはいけないのにやらない。 視聴率の高さに安心し、未熟なスタッフが担当したのだらう。新年で未熟なスタッフしかゐないといふのなら、定点の代はりに中継車か手持ちカメラで毎年場所を変ればよい。これでシロアリは退治できる。


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