二千七百二十四(朗詠のうた)五年前の歌修正資料集
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
行動日記から独立させた。
四月十六日(水)
国道16号と、川口草加国府台の経路を仮想旅行を見たところ、破調と拙悪な促音があり、修正した。五年前は、これほど下手だったのか、と驚いてその前後を見ると、それほど酷くはなかった。とは云へ、歌が始まる最初から見直し、歌のないもの(歌論のみのもの)には歌を追加し、破調は修正し、促音を解消した。修正したのは1457、1457_2、1457_3、1460_3、1461、1461_2、1463、1466、1467、1468、1470、1470_2(和歌十五の二)に及んだ。途中なので、この続きの作業は明日以降も行ひたい。後半は、話し言葉みたいな表現があり、修正した。
五つ年前に作りし歌読みて拙きものを十あまり五つ


四月十七日(木)
本日は、1487(和歌二十八)までを診た。このうち修正したのは1470_3、1470_4、1471_2、1471_3、1474、1477、1480、1481。最後のほうでは、修正しないことが多くなった。

四月十八日(金)
本日は1502(和歌四十三)までを診た。修正したのは1488、1489、1490、1491、1492、1493、1494、1495、1496、1497_3、1498、1500、1502。昨日と異なり、ほとんどすべての頁に直すものがあった。多いのは破調だ。

四月十九日(土)
1509(和歌五十)までを診て、修正したのは1504_2、1504_3、1504_6、1506、1507_2、1508、1509。五音の句が六音の字余りと、七音が六音の字足らずが目立つ。語尾が「だ」も修正した。歌のなかで僧X、XX教などは、元に戻した。文章内の僧X、XX教などはそのまま。

四月二十日(日)
1525(和歌六十六)まで直した。1511_2、1512、1513、1514、1515、1518_2、1520、1522、1524_2、1524_4、1525。途中から直すことが少なくなった。そして直すのは、破調のみになった。歌感が今と同じになったかな。
八一の歌をあまり評価しなくなった理由がわかった。小生は、途中から句ごとに離さなくなった。この当時はまだ離すから、今読むと書いた本人が、自分の歌を変に感じる。八一の歌も同様だ。

四月二十日(日)その二
1534_2(和歌七十五の二)までを直した。1534_2、1534、1533、1532_6、1532_5、1532_3、1532_2、1531、1530、1529、1528、1527、1526、1525。破調と「だ」「けれど」を直した。

四月二十二日(火)
1542(和歌八十二)まで直した。1535、1535_2、1535_3、1536、1538、1538_2、1538_4、1539、1540、1541。
昨日は横浜周遊で直さず、本日はその記事を作ったので、少なかった。破調と既出のほかは、「それなのに」を直した。

四月二十三日(水)
1560(和歌百)まで直した。1543、1544、1545、1545_2、1546、1546_3、1547、1548、1551、1553、1556、1558、1559、1560。破調の修正がほとんどだが、「ばれた」を「ばれる」に、「現れた」を「現れる」に、「沿って」を「沿ひて」に直した。
2021年4月の(和歌)を始めて八ヶ月に、1468から1550まで修正した記述がある。1559に、「伝統」の語は陸軍の誤用で始まったことが分かり、これ以降はこの語を使はなくなった。

四月二十三日(水)その二
1581(歌百ニ十一の一)まで直した。1581、1580、1578、1576、1575、1574、1573、1572_3、1572を修正。1562から「和語の歌」が現れた。そして直すことが、かなり少なくなった。
反歌に長歌を入れたものがあり、短歌に直した。「守った」を「守りた」など促音解消、「だんだん細く なりて」は句跨りなので「だんだん細く 変はり」に、「進んだ」を「進みた」に、「作った」を「作りし」にした。
1575は「破調はいけない」だが、「築くために」が破調なので「築くためには」に直した。足元に破調があった。
字余りや字足らずにつき述べたときこれらを含む歌が足元


四月二十四日(木)
1590_17(歌百三十の十七)まで直した。1590_17、1590_13、1590_12、1590_7、1590_4、1590_2、1589、1588、1587、1586、1585_2、1585、1584、1582、1581_3、1581_2を修正。
「過ぎてしまった」を「過ぎて気が付く」に、「十州を見た」を「十州を見る」に「体験をした」を「実体験に」、「大きく変はる」を「すべてに亘る」に、「駅の北 大宮西部 図書館は」を「大宮の 西部図書館 駅の北」にしたのは句跨りの解消、「落ち着いた」を「落ち着きの」に、「脇役でもない」は破調なので「出る幕は無し」に。それ以外も破調や、昨日までに指摘した内容を直した。
五つ年前に始めた歌作りひと年を経て今に近づく


四月二十六日(土)
1619(歌百五十九)まで直した。1619、1618、1617_2、1614、1613_3、1613_2、1610_2、1610、1609_6、1609_5、1609_2、1609、1608_9、1608_8、1608_6、1608_5、1608_3、1608_2、1606、1605、1604、1602、1601、1600、1599、1597、1595_9、1595_8、1592_2まで修正。
(和語読みの歌)行動日記では、石油(あぶら)、樹脂(もの)、総会(あつまり)、位置(ところ)と、今では忘れた作り方が新鮮に映った。
音便を普通に解消するほか、「売ってはならぬ」を「売ることならぬ」、「予約を取った」「医院へ行った」を「予約を行ふ」「医院へ向かふ」と違ふ表現に置き換へる方法もある。「尊いことで」を「尊きことに」は、「で」の解消もある。「家が作った 仏の子 名は広がりて 今でも続く」を「家が育てた 仏の子 名は広がりて 今へと続く」のほうが、詩的になった。「旅に出る 知らない街の (中略)楽しく 歩き見る 今年の夏は 旅が無く しかし知らない 街を楽しむ」の赤字部分を「しかし偶々 知らない街へ」に直した。旅に出たときと、旅が無いときに、同じ言葉を重ねず、発展形にした。

四月二十七日(日)
1637(歌百七十七)まで直した。1637、1636_2、1636、1635、1634、1633、1632、1631_2、1631、1629_2、1628、1627_3、1627_2、1627、1626、1625_2、1625、1624_3、1624_2、1623、1622_3、1622、1621_2を修正。
「あった」を「残る」に、「化石燃料 浪費する 不要な社会」の赤字部分を「化石使はず」に、「が」を「は」、「私は思ふ」を「誰もが思ふ」、「追従をする」を「追従を為す」に、推敲した。

四月二十七日(日)その二
1657(歌百九十七)まで直した。1657、1655、1654、1653、1651_4、1651_3、1651_2、1651、1650_3、1650、1647、1646、1644、1640_2、1640まで修正。
1638に「歌では音便を避ける」とある。ここから今の歌観か。「まだ決まらない」を「まだ決まらずも」に、「見えないが 人に優しい 落ち着いた街」を「見えざるも 人に優しき 落ち着きの街」へ、「水上は (中略)源で みなかみと読み」を「水上は (中略)大利根の 源にして」に変へたのは重複を解消、「二つの道が 再び出会ふ」を「くろがねの道 再び出会ふ」に、それぞれ直した。

四月三十日(水)
1687(歌二百二十七の二)まで、すべて終了した。1687、1685、1681、1680、1678_4、1677_3、1677_2、1677、1676、1675_4、1675_3、1675_2、1675、1674、1668、1667、1665、1662_2、1661_3、1659を修正した。
ここから先は、歌を句ごとに分けない。つまり破調がない。これからは、句ごとに分けた各特集を、分けない今の書式に直したい。
「偏りた」を「偏りの」に、「戻った」を「戻した」に。一つ目は「偏った」の促音を避けたが、不自然なので、二つ目の「戻った」は促音を放置してしまった。一つの歌で不統一なのは、できるだけ避ける、が方針で、絶対に避ける、ではなかった。その理由は、一つ目で不自然なためか。「するぞ」を「となる」に。「そんなやり方」を「そのやり方を」、「国も壊した」を「国をも壊す」に直した。
句分けせぬ書き方へ着く今よりは字余り字足らず無しの歌へと
(終)

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