千五百五十 (和歌)を始めて八ヶ月
辛丑(2021)
四月五日(月)
和歌を始めて八ヶ月が経過した。初期の頃は枕詞を使ったが、最近は使はなくなった。これは、普通の文章をホームページに書いて、あとから和歌にすることが多くなった。旅行の機会がないことも大きい。
八ヶ月 和歌を始めて 経過した
五文字七文字 定型化
迅速になる 一方で
推敲不足は 詩化の不足に
(反歌)
推敲に よって詩的に 進化する 詩化の不足は 魅力不足に
四月六日(火)
和歌を始めて四か月を改めて読み直すと、当時はいろいろ試みたことがよく判る。最近始めたことは、意味の位置で改行をするやうになった。
馬場あき子編「韻律から短歌の本質を問う」を読み、韻文は世界共通だと知った。「春と修羅」を何回読んでも馴染めない理由が、改めて判った。
私が字余りを嫌ひな理由も、よく判った。三連音の方法を知って、受け入れるかどうか分からないが、無理だらう。
事実を述べた文や、説明の文以外は、感情がある。これが私の和歌への根底思想だ。しかし昨日述べたやうに最近は、普通の文章を後から和歌にすることが多くなった。だから主張も、機械的に和歌にしてゐた。主張は、根底に熱い感情がある。しかし多くは事実と説明だ。
四月七日(水)
初期から最近まで和歌を読み返し、違ひはなかった。安心した。昨日の、主張の多くは事実と説明だ、と心配することはなかった。
和歌は定型に美しさがあり、内容に美しさがあれば更によい。これが私の思想だ。佐佐木幸綱さんは、短歌は内容に美しさがあり、定型があれば更によいと考へるのではないだらうか。
「和歌をひらく」の第二巻から第五巻を図書館から借りて読んだ。期待外れだった。和歌を愛好するのではなく、批判的に研究した内容が目立った。おそらく第一巻を開架で借りて、家で残りを予約したのだらう。第一巻を借りたことさへ、思ひ出せない。
非欧米地域に於いて、独自文化の研究に中立はあり得ない。西洋側からの批判になってしまふ。
四月八日(木)
昨日は、同時作成中の特集に和歌を挿入することを控へめにしたが、本日は元に戻した。散文より和歌は心地よいし、印象に残る。
長歌には 長歌の美在り
短歌には 短歌の美在り
反歌には 反歌の美在り 短歌と別種
(反歌)
反歌には 短歌としても 美しい ものもあるので 反歌二種在り
四月十日(土)
本日は、千四百八十三から千五百四十九までの百五十六ファイルのうち三十四について修正を行なった。作ったときやその数日後には気付かなかった改良ができる。
傍目八目と云ふ諺があり、囲碁を脇で見る人は当事者より八目強くなる。日数を大きく空けると、脇で見る人と同じくらい気付く。
今回は、字余り、字足らず、句またがり、句割れをほぼ無くした。特に年を表すのに「昭和四十 年ごろに」を「西暦で 六十五年 昭和では 四十年の そのころに」などと直した。
四月十一日(日)
本日も昨日に続き、千四百八十三から千五百五十まで二十五ファイルを修正した。これには昨日は修正しなかったファイルが七つほど含まれる。
修正点が多いと、見逃しが出て来るし、修正が不十分なものもある。その落穂拾ひをした。最近作ったものは、修正がほとんどない。古いものに、修正が集中した。
古いものは、僅かだが短歌の反歌に長歌があったり、長歌や短歌のどちらでもない五七調混合もあった。読んで美しいならよいが、意味がないので修正した。
午後は、千四百八十ニの二から古い方向に向かひ千四百六十八まで五ファイルを修正した。この辺りは、ほとんど修正の必要がない。中だるみで、昨日と本日午前に直した辺りに、推敲の余地がたくさんあった。
四月十ニ日(月)
「短歌と日本人」の第三巻は前に読んだので、残りの六巻を借りた。「和歌をひらく」と同じ岩波書店で、前回は和歌を批判、今回は和歌の伝統を批判する。
第六巻と第七巻は、一部詳細読み、残りは斜めよみ、それ以外の巻はページ読み(ページをパラパラめくる。転読?)になった。馬場あき子さんは共通点が多い、佐佐木幸綱さんとは共通点が無い、岡井隆さんとは共通点が少ないかと思ったらそれより多かった。(終)
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