千五百五十九(和歌) 短歌の本 Ⅲ「短歌の理論」
辛丑(2021)
四月十八日(日)
『短歌の本 Ⅲ「短歌の理論」』は八人の論文を収納する。その中で磯田光一さん「伝統について-「近代」も伝統であるということ」は優れるので、紹介をしたい。
『大言海』の前身にあたる大月文彦の『言海』(一巻縮刷版・明治三七年刊)には「伝統」という語が出ていないということである。(中略)山田美妙『日本大辞書』(明治二五年刊)には「伝統」の項目はあるが、はっきり"漢語"と注記されている。

戦後の日本のやうにアメリカ文化を押し付けられる状況にあっては、私もときとして「伝統」を使ふことがあった。しかしこの語は誰も議論できないため、伝統に従ふか反発するかの二者択一しかなくなる。中間がないのだ。
だから最近は「歴史の流れ」を用ゐて、「伝統」を使はなくなった。
「伝統」という語は、本来は中国渡来のもので「統ヲ伝フ」という意味である。「統」は「系統」という場合の「統」であるが、その後の(中略)『大日本国語辞典』は本来の意味だけを記載し、『大言海』、『辞海』、『広辞苑』は本来の意味とともに、第二の意味として、社会的に継承されてゆく思考・風俗などを含む意味が記載されている。

ここまでの各辞典は問題ない。ところが
戦後に出た『日本国語大辞典』は、第一の意味をはずして、第二の意味だけをやや拡大した形で述べているのである。

「伝統」の意味が、伝統的な解釈から外れたのは、何と戦後のことだった。
原則として初用例を掲げているこの辞典の「伝統」の用例が、陸軍の『歩兵操典』の、
赫々たる伝統を有する国軍は・・・・・・
であることに気づいて(以下略)

伝統の 語を陸軍の 用法で 誤用するのは 止めにしませう わたしを含め


四月十九日(月)
磯田光一さんは1931年生まれ。中央大学専任講師を経て助教授となるが大学紛争で辞職。のち梅光女学院大学教授、東京工業大学教授。
この本の奥付には、英文科を卒業し「殉教の美学」「比較転向論序説-ロマン主義の精神形態」などの著書があり、文芸評論家とだけある。とかく無能な西洋かぶれの人間は何々大学教授などと肩書や経歴に書きたがるが、その大学の学生にとっては教授でも、それ以外の人たちにとっては意味がない。磯田さんは偉い。
それより国文学が専門ではないのに、これだけ書けるのだから、昔の人は大したものである。
ここで強調しておきたいことは、「伝統」の対立概念として「近代」を持ち出すことの無意味さである。

磯田さんは『新体詩鈔』のなかから「グレー氏墳上感懐の詩」の和訳
山々かすみいりあひの 鐘はなりつゝ野の牛は
徐(しづか)に歩み帰り行く 耕す人もうちつかれ
やうやく去りて余(われ)ひとり たそがれ時に残りけり

について、古典短歌に用例があり
翻訳者が(中略)ただちに連想したというのではない。これらの歌が生まれ、かつ読まれてきたという言語伝達の累積なしに、原詩を離れて「山々かすみいりあひの・・・・・」という翻訳が"詩"になることはありえなかったというのである。

磯田さんは、それと対比して『新体詩鈔』の別の詩二つが
詩的なトーンを獲得していないのは(中略)近代国家の正当性を確立すべく、前述の『歩兵操典』に出てくるような「伝統」の概念に身をすり寄せているためである。

磯田さんが二つの詩を引用してゐないため何とも云へないが、少なくとも磯田さんの主張には賛成だ。この書籍は昭和五十四(1979)年の発行だ。私は、労働運動や社会党共産党の流れから、昭和六十年の前辺りから日本は変になったと考へるが、英文学者の論説からもそれが裏付けられた。
もう一つ実例をあげてみる。『海塩音』の「山のあなた」の冒頭を掲げる。
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
(中略)
現在なら「山のかなた」が普通であろうが、日本の古典短歌では「山のあなた」がきまり文句だからであり、『国歌大観』の索引をみても、「山のかなた」という語句は一つもない。

磯田さんの引用した二つの詩は美しい。これなら私も和歌以外の定型詩に進出しようかと一瞬思った。
定型詩 和歌に非ずも 和歌に在る 累積用ゐ 美しさ 表現するは 一つの道だ

(反歌) 口語にて 累積なしに 定型を 用ゐる和歌も 一つの道だ(終)

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