二百六十三、平成24年二つのメーデー(歌の変遷から見る労働運動の変質)

平成二十四年
五月五日(土)「大企業の労働運動の変質」
富士通労組の労働歌集にインターナシヨナルが載つてゐたのは、富士通が中核派だつたからではない。中核派は青年部のごく一部にゐただけであらう。歌集が作られた当時は大企業も毎年ストライキを実施した。同じ頃に出版された富士通労組の組合史を読んでも、電機労連は中立労連で共産党、民同、総同盟が集まつたから最初はまとめるのが大変だつただとか、電機労連の各企業ごとの分会の上に本来は企業を超へた支部を設ける予定だつた、或いは全国に誕生した革新系知事市長に期待するなど、インターナシヨナルが載るのも当然だつた。
しかし昭和五十五年あたりからストライキをしなくなつた。労組の変質の始まりである。富士通労組も春闘のときのビラ配りで流す音楽が「心はいつも夜明けだ」「がんばろう」など人畜無害なものに変はつた。組合旗や腕章も赤一色だつたが、だいだい色の旗が一つ登場した。その後は黄色やら水色やら色とりどりになつてしまつた。
しかしこの後に起きるプラザ合意はストライキをしなくなつた以上に大きな影響を大企業労組に与へることになる。

五月六日(日)「世代断絶」
世代の断絶はあつてはいけない。その理由は世の中が安定するのに時間が掛かるからだ。戦後は経済が右肩上がりだから欠点を隠した。松井保彦の「敗戦直後に、戦後日本の企業別労働組合を組織したのは年齢31~40歳、勤続年数5~10年、高小卒の中堅の職員および役付工員。これに対して1960年代初めは戦後民主主義教育を受けて育った20歳代後半から30歳代前半の青年たちであり、敗戦直後に組合リーダーだった戦前の軍国主義教育を受けて育った世代とは違う戦後民主主義の第一期生たちだった」といふ発言は松井が自ら世代断絶したことを物語る。
世代断絶の結果、労働運動もひどい内容になつた。自分の勤める産業が有利だと思へば消費税でもその他の国民が不利になるものでも賛成する。日本の労働運動は世界でもつともひどいものになつた。

五月八日(火)「聞け万国の労働者さへ歌はないメーデー」
インターナシヨナルがマルクスの時代の遺物だといふのなら歌はなくても構はない。しかしメーデーのときに「聞け、万国の労働者」や「晴れた五月」さへ歌はないのはどうしたことか。
民謡、歌謡曲、労働歌、組合歌は皆で世の中をよくしようといふものだ。それに対して戦後の特に昭和四〇年辺りからマスコミと芸能産業のはやらせた流行歌は個人だけよければよいといふものだ。西洋の個人主義は本来長い歴史があり、アジアから見れば個人主義に見へるだけで決して個人主義ではない。教会、地域、労働組合などいろいろな団体の絡む共同社会である。
日本は西洋の都合のよいところ、特に自称勝ち組に都合のよいところだけを真似するから世の中が悪くなる。長期の経済成長が欠点を隠蔽し、経済成長が止まつて露見した。

五月九日(水)「日本音楽が流れるメーデーにするには」
西洋音階のファやシは半音だから不自然である。ファとシを除いた音階がアジアで好まれるのは当然である。とは言へ現代人に長唄まで戻るのは無理がある。まづ民謡や浪曲に親しみ、次に長唄まで戻るか戻らなくてよいのかそこは私も判らない。
労働歌を復活させるには民謡や浪曲に親しむことだ。それは音階に親しむだけではない。戦後の日本が間違つた方向に行つたことを是正することで、労働歌に親しむ公序良俗を取り戻すことができる。決して戦前の同じく偏向した社会に戻るわけではない。

五月十一日(金)「メーデーの椿事」
メーデーで椿事が起きた。一昨年の組合分裂後に向う側の委員長になつたS前書記長の奥さんにばつたり会つたからだ。こつち側のH委員長とS女史が握手した。「あまりうちの人を刺激しないでください」と言はれた。円満に分かれた筈がその後裁判沙汰になつたが決して刺激してゐる訳ではない。S女史は十三万人が加盟する都労連の7人の執行委員の1人だから大したものである、と言ひたいが私は別の感想を持つた。
夫が連合に行くのをやめるよう説得してほしかつた。もちろん夫婦が別の政治思想で何ら問題はない。しかし都労連も実質は連合加盟産別と変はらないのではと不審に思つた。不当労働行為や不当取り扱ひや業績不振で解雇、ボーナス不支給と常に直面する中小労組と東京都の公務員の違ひであらう。全労協が労働歌を歌はなくなつたのは公務員の比率が異常に高いことにも原因がある。
不当労働行為や不当取り扱ひや業績不振で解雇、ボーナス不支給と常に闘つてこそ労働組合である。

五月十二日(土)「公務員改革の問題点」
かつて「民間でできることは民間で」といふ公務員改革があつた。この問題点は公務員から現業が少なくなることだ。公務員の現業が民間より給料が高いとすれば、それはこれまでの知事や市長の怠慢である。これまでの知事や市長は昭和四〇年代の革新系を除き、すべて自民党系だから自民党の怠慢である。
民間が低くなつたのは、非正規雇用や過当競争が原因であり、これは労働側の責任である。非正規雇用の原因は失業であり、失業を無くすことと非正規雇用を労働者が不利にならないようにすることこそ労働組合の責務だからだ。
森本卓郎氏は公務員の給料は非正規雇用を含めるべきだと主張する。私は更に失業者も含めるべきだと思ふ。今の公務員給料制度は高度経済成長下で作られた。公務員の給料は民間の後追ひの前提で作られたのに、今はデフレの後追ひである。公務員が「公務員改革反対」を叫ぶことは民間が「不景気反対」「業界の停滞反対」を叫ぶに等しい。民間では叫んでも不景気は来る。まづ失業者と非正規雇用を含めた民間準拠で公務員の給料を決めることにして、その直後に失業者と非正規雇用を撲滅すべきだ。さうしないと日本の社会は解体する。
労働者は最下層だから労働組合が認められる。この原則を崩してはいけない。(完)


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