千五百 和歌を始めて四か月
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十二月十一日(金)
和歌を旅行先ではなく、本格的に作り始めて変化が現れた。まづ、簡単に作れるやうになった。同じ意味で音数が合ふ単語に変へたり、語順を入れ替へると収まるから不思議だ。最初は時間が掛かったが、今では普通の文章を作るより少し余分に掛かる程度だ。
二番目に、長歌と短歌だけではなく、旋頭歌、仏足石歌も作った。それだけではない。七五調に短歌を繋げたものも作ってみた。仏足石歌の六句目を字数で合はせたものも作った。短歌の反歌を長歌にしたものもある。
旋頭歌と 仏足石歌も
作ったが やはり一番
心地良い 長歌とそして 反歌の短歌
(反歌)万葉の 時代を偲び 旋頭歌と 仏足石歌も 復活させた

十二月十二日(土)
記事の番号で下二桁が00のものは、記念の特集が多い。「1400 日本では部派佛道の研究が重要だ」「1300 淨土(眞)宗は、僧X法華各宗より優れる(四月度の築地本願寺佛教文化講坐を聽いた感想)」「1200 西洋野蠻人に地球破壞をやめさせよう」「1100 勞働組合は、退職と引き換への解決金を目指してはいけない」「1000 作家Xの「春と修羅」」等々。
1000は作家Xの春の修羅だから、1500も春の修羅にしようと考へた。しかし、私には「春の修羅」が優れたものだとはどうしても思へない。これは自由詩に慣れてゐないためだらうと、一日に何回も読んだ。1500にしようとして1450の間違ひに気付き、1500まで保留にするのは無理なので、1448で載せた。
そのとき思ったことは、私は自由詩に慣れることができない。定型詩で行かうと決意した。そして始めたのがまづ短歌。しかしこれは重箱の隅をほじくるので、私には会はない。次に始めたのが、口語の長歌だった。
決められた 範囲で行動
するよりは 新たに創作
することが 合ふと気が付き 長歌の道へ
単独の 長歌を始め
そののちは 後白河院
引用と 七五調経て 反歌に至る
(反歌)反歌では まづ単独の 美しさ そののち長歌と 全体の 調和を求め 今に至る

十二月十三日(日)
最近、南伝の仏道への関心が薄れてきた。これは経典学習会が新型コロナ騒ぎで中止になったことが大きい。しかし和歌への興味が、南伝の仏道を上回ったためではないかと思ふ。
伝統宗教とは、文化の一部と云ふのが私の考へだ。だから日本人にとり、南伝の仏道をいつまでも持続させることは難しい。
二番目に宗教とは、良心への共鳴である。南伝及び日本以外の大乗の僧侶たちは、妻帯せず仏道を全うする。その真摯な姿勢にまづ共鳴する。信徒は僧侶を支へる。その真摯な姿勢にも共鳴する。
南伝の仏道と暫く期間が空き、和歌を始めると、和歌は文化であり、良心である。古今和歌集以後は、暇を持て余す貴族たちが言葉遊びに堕するやうになるが、それまで和歌とは良心の発露であった。
日本では 和歌は文化の
一部にて 良心発露の 機会でもある
(終)

和歌論四和歌論六

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