七百七十二 1.心の時代「さとりへの道~華厳経に学ぶ」(その一、その二)、2.大学仏教学科の教員の質

平成二十七乙未
十一月十五日(日) 一ヶ月前の放送
日曜朝五時からの「心の時代」で先月から「さとりへの道~華厳経に学ぶ」が始まつた。昨年四月からの六回を再放送し、木村清孝氏が解説する。木村氏の経歴を調べると、曹洞宗住職、総持学園常務理事、東京大学名誉教授、国際仏教学大学院大学特任教授、仏教伝道協会理事、元鶴見大学学長と並ぶ。経歴の多い割には、先月の番組を視聴しても、ホームページに書かうといふ気持ちにならなかつた。だからといつて木村氏を批判しようといふ気は微塵もない。番組制作はNHKの責任だ。
今朝第二回目を観て、やはり書かうといふ気持ちにはならなかつた。しかしメモ書きがたまると掃除のとき時間が掛かるので、備忘録としてホームページに載せることにした。なぜ掃除のとき時間が掛かるのかといふと、私の部屋は伊勢神宮方式で掃除をする。まづ机やメモ書きの置いてある畳二枚分を残して掃除機を掛ける。次に机とパソコンと畳の上のメモその他資料を清掃の終つた畳に移動させ、残りに掃除機を掛ける。つまり清掃をする度に机とPCが部屋の右側、左側と移動する。前回の式年遷宮でこれらは右側に移動した。メモの内容は
盧遮那仏-釈尊の悟つた姿  文殊
普賢
東大寺  大仏-盧遮那仏
ヴァイローチャナ  光の仏
蓮華座
25分

最後の行に25分と書いたのは、始まつて25分経過したのに大した内容を話してゐないといふ不満である。このままでは香山リカの講演と同じだと危惧したところ、木村氏は後半の35分で盛り返した。
教主は盧遮那仏
華厳経の特長は
(1)盧遮那仏 不動のまま地上から天、天から地上
(2)蓮華蔵世界を中心とする宇宙観
(3)哲学的思惟の豊かさ
(4)善財童子 さとりへの道を歩む

仏刹=仏の国
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(安住=安定)
一即一切 一切即一
心、諸の如来を創る 唯心説
東アジアに入ってから成仏の期間は短くなってくる


十一月十五日(日)その二 今朝の放送
本日の放送では次の内容があつた。
七処八会
菩薩が説く
衆生の罪垢は甚だ深重なれば  親鸞、弘法も似たことを云つた
梵天の三請
三帰依文の元になつたものが浄行品にある
十住 初発心
戒体
信満成仏が日本では云はれた ->修行が要らないとなつてしまひがち
  ここで音声が僅かに不連続になつたから親鸞の言葉か何かをカットしたのかも知れない
十行
・・・・(途中の二つの天は次回と最後に話すので今回は省く)
十地  六波羅蜜から展開し十波羅蜜に
瞋恚心(怒りの心)  自分にとらわれるから発生  悪いもの
十種の正法   衆生を捨てないこと(自らと区別しない)

以上の内容であつた。出演者を紹介するのにNHKはなぜ「東京大学名誉教授木村清孝」と表示するのか。曹洞宗住職、総持学園常務理事、東京大学名誉教授、国際仏教学大学院大学特任教授、仏教伝道協会理事、元鶴見大学学長の中で一番重要なのが、曹洞宗住職、二番目が元鶴見大学学長。東京大学名誉教授なんかは最も無意味な肩書ではないか。

十二月六日(日) 関口真大氏著「禅とは何か」
話は「2.大学仏教学科の教員の質」に移ると、今度は別の人で関口真大氏の著書は、ほとんどが自身の略歴を載せない。しかし「禅とは何か」といふ本だけは
大正大学名誉教授、前東京大学講師、前日光山華厳院住職、(以下略)
と略歴が載つてゐる。そしてこの本だけ内容が低級である。低級で語弊があれば随筆風と言ひ換へてもよいが、「魔訶般若腹減った心経」など俗的な内容が多過ぎる。今年になつて国立大学の一般教養の仏教学科の教員の講演、本を読む機会があつたが、内容が低級過ぎる。

或る寺院の文化講演会で私立大学教授でマスコミによく登場する人が出演したが、内容の乏しいことに唖然とした。とかくマスコミに踊らされた人間は内容のないことを云ふ。もともと偏向マスコミにとつて都合がよいから登場させるだけなのに実力があると勘違ひするためだ。
大学教授或いは講師も同じで、本当は努力しなければよい内容は書けないのに、肩書だけで努力しなくてもよい内容を書けると仏教学科または一般教養仏教科目は勘違ひしてゐる向きがある。別の云ひ方をすれば国立大学の仏教学科といふ必要のない学科を存続させるから程度の低い教員が集まる。
関口真大氏の場合は大正大学名誉教授の肩書が禍した可能性は低い。ほとんど「前東京大学講師」だ。前者なら長年、大正大学教授を務めて退職後の名誉職だから他の書籍にも兆候が見られるはずだ。(完)


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