七百七十一 社会破壊拝米新自由主義反日(自称朝日)新聞批判その十六(マスコミの横暴を許すな45)

平成二十七乙未
十一月十四日(土) 10月29日の一面
10月29日の一面に「難民申請すでに5500人」といふ見出しの記事が載つた。記事の本文には
増加の背景として法務省は、申請中は強制送還されないほか、在留資格があれば申請の半年後から働けるよう2010年に運用を変えたことがあると分析する。

といふ説明もある。続いて
申請が急増しているにも関はらず、難民と認める例は増えていない。昨年はわずか11人。「人道的配慮」で在留を認めた人を含めても121人だった。

私は外国人が日本に来ることに反対ではない。私がよく行く(最近は忙しくなかなか行けない)ミャンマーの上座部仏教の寺は在日ミャンマー人の寄進で購入改築されたものだが、在日ミャンマー人には難民も多く含まれると思ふ。
私の勤務する会社は昔から在日中国人が数人はゐて、その多くは留学で来日した人であらう。ところが最近、アフリカ系の人だとかも加はつて喜ばしい。全員が日本語を話せる。私は外国人が日本で仕事をすることに大賛成である。
しかし朝日新聞や自称リベラル政治屋が難民を受け入れろと主張すると事情は異なつてくる。朝日新聞はまづ西洋の猿真似で難民受け入れを云つてゐる。次に日本を破壊すれば西洋化できると盲信してしまひ、その一環としてこれまでも、従軍慰安婦捏造記事だの、「在日コリアン」といふ在日韓国籍北朝鮮籍の人でさへ用ゐない用語を使ふだの、さんざん社会を破壊する記事を書いてきた。
そもそも朝日新聞元主筆の船橋洋一は、今後移住者が近所に住むようになるから日本人は英語を話せと奇妙なことを云つた。日本に住むなら日本語を話すべきだ。勿論日本語の不自由な人たちには役所の窓口は通訳にすぐ連絡するなど暖かい手を差し伸べるべきだ。しかし船橋洋一の説はそれとは異なる。日本人が英語を話せといふのだ。既に主筆に任命された船橋洋一が突然そんなことを云ひ出して朝日新聞社も困惑したといふなら、朝日新聞社に同情の余地がある。しかしさうではない。船橋洋一が英語公用語論を発表し、すぐ小渕首相私的懇談会なる怪しげな会議が英語第二公用語論を検討すると発表し、その手際の良さには驚いたが、更にその後に朝日新聞が船橋洋一を主筆に任命するといふ、政治と新聞の癒着を象徴する事件も起きた。
そんな朝日新聞だから社会を破壊する目的で難民問題を云つてゐる。

十一月十五日(日) 駄文の見本
10月29日のザ・コラムは駄文の見本と云ふべき文章だ。森林資源は貴重である。インクを作るには石油を消費する。新聞を輸送するにも石油を消費する。こんな駄文を全国紙として配布してよいはずがない。
7年ぶりのラオスの首都ビエンチャンは朝夕の渋滞が驚くほどひどくなっていた。/メコン川沿いに軒を並べた屋台はかなりの数がしゃれたレストランに衣替えし、大型モールもできている。東南アジアの最貧国という呼称はもうしっくりこない。

私はラオスには行つたことがない。航空券の値段が高いからだ。タイは安いツアーが沢山あるから何回も行つた。ラオス語はタイ語の東北方言と同じ。つまりタイとラオスは王国の国境から分かれた国である。その後、ベトナム戦争のときにラオスは共産主義国となつたが、ベトナムと同じで穏健な政策が続き今日に至る。
タイの東北地方は今でも貧乏の代名詞だが、共産主義国のラオスはそれより更に貧しい。タイでの経験から話を進めると、バンコクでは高層ビルが乱立し、ショッピングセンターの中に入ると、そこは非先進国(私は発展途上国といふ云ひ方はしない。世界には地球を滅亡させることに掛けて先進の野蛮な国と、それ以外の国があるためである)ではないといふ錯覚に陥る。
しかし繁華街を抜けて一歩裏通りに入ると、そこには日本から見れば小さく今にも壊れさうな家が立ち並ぶ。バンコクでさへさうなのだから、東北地方に行けば更に貧しい人は多いし、ラオスに行けば更に貧しい。ザ・コラムと称する駄文を書いた人(朝日新聞には写真入りで名前が載り、インターネットで調べるとマニラ支局長、論説委員、神戸総局長、外報部長代理、アジア総局長、論説副主幹などを歴任したらしい)はいつたいどこに目を付けてゐるのか。

十一月十七日(火) 続、駄文の見本
ザ・コラムは続く。
モールといえば、昨年6月に開いたプノンペンのイオンモールはでかい。周囲の風景を一変させていた。私が記者になった36年前には、街はポル・ポト派が国民を虐殺した「キリングブィールド」だったのに。

ザ・コラムはなぜポルポト派が出現したのかを説明する訳でもなく、上からプノンペンを見下すばかりだ。どこが見下すかといへば、一変させる前を懐かしむでもなく、あるいは非衛生的だ、住民に不便だと以前を批判するのでもない。そして「キリングブィールド」なる奇妙な語を登場させる。
ここはポルポト派を厳しく批判する場面だ。「大虐殺が行はれた現場」など強い言葉を用ゐなくてはいけない。時代劇「水戸黄門」で三つ葉葵の印籠を見せる場面に食べかけの団子を見せたようなものだ。重要な一こまを無駄にした。
「プノンペンにいても最近は努力しないとカンボジアを感じることが難しくなった」と同国を研究するO(新聞では実名)東京外大准教授はいう。確かにモールに入れば、どの国にいるのか分らなくなる。

モールの中にゐればどの国にゐるか判らなくなるのは当たり前だ。こんなことをいちいち書くな。O女史の発言はそのときの状況が判らないから責任はない。発言の中から三十六文字だけ切り取られたら、誰だつて悪者になつてしまふ。
アジアの街は急速に変化し、均質化が進む。「普通の国」化と言い換えてもいい。

ここまで先頭から十八行すべてを紹介した。まつたく文章が意味を為さない。最後の文章にも問題がある。「普通の国」とはいつたい何だ。カンボジアはポルポトといふ不幸な事件があつたから別として、ラオスは内戦が終つた後はずつと普通の国である。タイも高層ビル街やショッピングセンターを除けば普通の国である。異常なのは石油大量消費で地球を滅ぼさうとする先進国のほうだ。だいたいカンボジアのポルポトはアメリカCIAの工作でロンノルがクーデターを起こしたことから始まつた。

十一月十七日(火)その二 続々、駄文の見本
ここからは飛び飛びに文章を引用したい。
タイの駐在から6年前に帰国した直後の夜、私は東京・汐留を歩いて驚いた。日曜だったにしろ人通りがないのだ。清潔に整った街の不気味な静けさ。その後もしばしば外の活気と国内の寂しさの差に戸惑う。

まづ汐留はビル街だ。日曜の夜に人通りがないのは当たり前だ。タイだつてビジネス街は夜になると人通りがなくなる。商店街は賑やかだが、日本もかつてはさうだつた。円高になると人件費と商品の価格の比率が崩れるから、大型店が増えて商店街は活気がなくなる。こんなことは当り前だ。私はそのことに反対だからプラザ合意による急激な円高に三十年経過した今でも反対してゐる。ザ・コラムは分析をするでも、あるべき姿を主張するでもなく、単に六年前に帰国したことを述べただけだ。とかく海外に長期出張するとそれだけで偉くなつたつもりの人間が出て来る。ザ・コラムの執筆者もその例外ではないらしい。だから海外と日本を比較しただけで得意になる。
銀座や京都の活気はいまアジアからの観光客がもたらす。(中略)背景に所得の平準化と円の凋落がある。/日本はもはやアジアで圧倒的な存在ではない。やはり普通の国になった。それを日本人はどれだけ意識しているだろうか。

日本と中国、東南アジア各国で所得差があつたとは、ほとんどの日本人がプラザ合意の前までは考へなかつた。プラザ合意の円高で、日本人は俄か成金になつたし、その前に差があつたとしてもほとんどの日本人は海外旅行の機会がなかつたから、そのことを気にしなかつた。更には日本の経常黒字が問題になり出したのは昭和五十年からである。その五年前の大阪万国博覧会では「人類の進歩と調和」がスローガンだつた。
日本は特別の国から普通の国になつたのではなく、もともと普通の国だつた。ただし昭和五十年から周囲のアジア国と差が付いたしプラザ合意後はそれが顕著になつたものが、縮小の方向に向かつただけだ。だから今でも一人当たりの収入でいへば日本は周囲のアジア国より高い。
それより拝米マスコミがさかんに欧米が優れてアジアは劣るといふ内容を報道するものだから、日本人の中に周囲のアジア国を蔑視する傾向が現れた。朝日新聞を含む拝米マスコミはそのことをどれだけ意識してゐるのだらうか。そのことを棚に上げて「日本人はどれだけ意識しているだろうか」と上から見下す書き方をすると、実に嫌な印象を与へる。ザ・コラムは次の文章で終了する。
メコンに落ちる夕日を眺めながら、私は名物ビールのビアラオを手に作家の反語を反芻した。つまみは川ノリ。「やれやれ、ここには結構なんでもあるんだけど」

作家の反語とは、村上春樹が来月出版する紀行文集「ラオスにいったい何があるというんですか?」に対してだ。それにしても海外に出張していい思ひをしたといふ自慢と知つたかぶりだけの、実に無意味で嫌みな文章だつた。


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