七百七十九 長谷部慕男氏の駄論を批判、朝日新聞批判その十九(マスコミの横暴を許すな48)

平成二十七乙未
十二月九日(水) 長谷部慕男氏の駄論
十一月二十九日の朝日新聞で長谷部氏は次のように発言した。
憲法に限らず、法律の条文はレストランのメニューと同じで、解釈しなくても意味がわかるというのが原則です。ただ例外的に、解釈が必要になる場合がある。ある条文と別の条文が矛盾している、あるいは普通の日本語の意味通りに考えたら良識に反する結論になってしまう時などです。

ここまでは同感だ。ところがすぐ別のことを云ひ始める。まづ9条2項について
普通に読んだら自衛隊のような実力組織は持てないことになる。しかしそれでは日本国民の生命と財産を守れません。(中略)そのために自衛隊を備える、憲法がそれすら認めていないのはおかしいだろうと解釈してきたわけです。

この発言は自衛隊が警察予備隊から始まつたことを無視した。最初から自衛隊のような組織を作つたら憲法違反だからまづ警察予備隊を作つた。次に自衛隊にするときも、戦車を特車、大佐を一佐など軍隊用語を避けた。防衛省ではなく防衛庁だつた。つまり違憲だから反対意見の少ない方法で既成事実を重ねて違反を大きくした。
そもそも憲法がGHQの強制で制定されたことと、その後の朝鮮戦争などで今度は米国の指示で軍隊を作らされることになつたことと、米ソ冷戦のあおりで社会党と共産党が親ソ親中勢力で1/3を超えたから憲法改正はできない。その歴史経緯を無視した。

十二月十一日(金) 自称憲法学者の傲慢
長谷部氏は次のように話す。
法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。国民一般が法律の解釈をするわけにはいかないでしょう。素っ気ない言い方になりますが、国民には、法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです。

国民に対して何と云ふ思ひ上がりだ。そもそも国会が法律を改定すればその度にコンセンサスなどひつくり返る。改定をしないと朽ち木にシロアリがたかるように、自分たちだけのコンセンサスなるものを声高に叫ぶ人間が出て来る。憲法も同じだ。頻繁に改訂すればシロアリはたからない。戦後、一回も改訂しないからシロアリどもの巣になつてしまつた。

十二月十二日(土) 古文書と法律を同一視
ここで長谷部氏の対談者の杉田氏(法政大学教授)が次のような不遜な発言した。
おそらく、宗教と並んで、法について解釈学が発達してきたことには理由があり、専門的な解釈の積み重ねによってしか、運用できないものなのでしょう。

宗教は悟つた人(釈尊)、預言者(キリスト、ムハンマド等)、名僧(鎌倉仏教等)の話したり書いたりした内容だから、書き換へてはいけない。それに対し法なんてものは俗人の作文ではないか。ゴミ憲法に至つては敗戦のどさくさに紛れて人類史上最悪の戦争犯罪人トルーマンとマッカーサが押し付けたものだ。こんなものは時代の変化に合はせて、或いは不都合な点が見つかつたときに変へなくてはいけない。ただし日本の場合は、米ソ冷戦や保革対立があつたため、憲法を変へることができなかつた。法律も本当は自民党が過半数だから改訂できるのに革新勢力と無駄な対立は避けたいからあまり改訂しなかつた。それだけのことだ。
それにしても宗教と法律をいつしよにするとは、その不遜な発言に驚く。学術的に視ても、数百年から数千年の歴史がある古文書と、数十年の文章を同一視してよいかどうか、杉田氏は文化庁に行つて聞いたほうがよい。

十二月十三日(日) 東京大学批判シリーズに組み込み
長谷部恭男氏といふ名は、どこかで聞いたことがあると思つてゐたが、何と私のホームぺージで二年前に特集を組んだことを忘れてゐた。「恭男」については今でも読み方が判らない。私はきょうお氏と読んできたが。新聞に載つたりテレビで放送されると、すつかり有名人になつたと勘違ひするが、国民の感覚はこの程度だ。このような現象を私は最近「マスコミに踊らされる人たち」と表現してゐる。
といふことで、この特集を本日から「東京大学批判シリーズ」に組み込んだ。

東京大学批判その十一東京大学批判その十三

十二月十四日(月) 拝米教といふ新興宗教の誕生
杉田氏は宗教古文書と俗人の作文を同一視した勢ひで
しかし、それは一般的にはなかなか理解されない。解釈の余地がない、透明な秩序を作れるはずだと多くの人が思っている。憲法についても国民自身が参加する透明な手続きで、透明なものに作りかえられるし、その方が望ましい。国民の同意によって出来た憲法であれば、政府を縛る力が強まるはずだと。

これに対し長谷部氏は
しかし、同意が基礎だと言い始めたら、10年、20年おきに憲法を全部作り直さないといけなくなります。(中略)でも、みんなで決めたことだから正しいという主張に根拠はない。多数決で間違った決定をすることも珍しくはありません。

今の憲法は敗戦の混乱のなかでGHQが睨みを利かせるといふ異常事態で制定された。多数決は間違つた決定をするが、敗戦時の混乱はもつと間違つた判断をすると長谷部氏は思はないのか。多数決よりGHQを有り難がる。拝米教といふ新興宗教の誕生である。(完)


朝日新聞批判、その十八(マスコミの横暴を許すな47)朝日新聞批判、その二十(マスコミの横暴を許すな49)

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