二千五百四十六(朗詠のうた)牧水「みなかみ紀行」
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十一月十一日(月)
月曜は水上へ中旅行(日帰り旅行)をした。みなかみ町は、月夜野町、水上町などが合併して誕生した。みなかみ町としたのは、牧水の「みなかみ紀行」に因んださうだ。そこでこれを読んでみた。
この当時、牧水は既に有名だった。だからこの文章も尊重された。無名な人が書いたら、退屈な文章だ、で済まされるだらう。
旅行記や日記を書くときに、正確性や記録性を重視すると退屈な文章になる。読者優先で書くと、正確性と記録性が損なはれる。小生の場合は一番目に、旅行記や日記と、その他の文章を分ける。二番目に、歌を入れる。
みなかみ紀行は、この二つの対極とはまた異なり、新聞に載る前提で対人関係を重視したのだらう。二番目の特長は、歌が連続する。これも新聞に載る前提だ。歌に連続性があれば退屈しないが、無いと読む人は退屈する。みなかみ紀行では
高き橋此處にかかれりせまりあふ岩山の峽(かひ)のせまりどころに
いま渡る橋はみじかし山峽の迫りきはまれる此處にかかりて
古りし欄干(二文字で、てすり)ほとほととわがうちたたき渡りゆくかもこの古橋を
と連続するが、物語性が茂吉の留学時の歌と比べると少ない。
前に吾妻線沿線を旅行した時に(その一、その二)道案内に書かれた沢渡温泉の地名が印象に残った。上高地の近くは「さわんど」だが、ここは違ふだらう。みなかみ紀行で「さわたり」だった。
牧水の奥さんの妹(潮みどり)の特集を組んだことがあるし、この時から和歌論のリンクに「みどり」を入れ五十回続いた。そこで途切れたのは、良寛の出家をリンクに含めたためだった。沼津旅行記(牧水関係の三ヶ所)を組んだこともある。
だから牧水は贔屓にする歌人だが、どうも「みなかみ紀行」は褒めるところが少なく、欠点が目立つ。欠点とは、知人どほしで完結する話が多いのと、「 」で括った会話が多い。「 」で括った会話は、(一)話の原文が面白い、または(二)括弧で括ったほうが短いか分かりやすい、があるときにのみ使ふべきだ。
知人どほしで完結しない話とは、それが外に発展する話、つまり観光案内だったり、叙景や叙情だったり、読者が興味を持つ話だ。
牧水のみなかみ紀行旅うたで名の知られるに有難さ在り
十一月十二日(火)
次の三首は、物語性を持つ。しかし、問題点を赤色にした。
たぎり沸くいで湯のたぎりしづめむと病人(やまふど)つどひ揉めりその湯を
湯を揉むとうたへる唄は病人がいのちをかけしひとすぢの唄
上野の草津に來り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも
同じ語の繰り返しがよくない。一首目で「たぎり」の重複は佳い。しかし「その湯を」に改善の余地がある。「命湯」または「薬湯」はどうか。
二首目の「ひとすぢの唄」は、繰り返しではなく「ひとすぢ」に改善の余地が無いか。先程は「ある」だが、今回は「無いか」なので弱い提案である。「いのちをかけし」が前に付くから、これでよいともいへる。「蜘蛛の糸かも」「ひとすじの糸」がよいのでは。
三首目は「聞けば」が重複でよくない。「湯揉の唄が流れかなしも」がよいのでは。
歌作り二つやり方 一つ目は直すを重ね美しく 二つ目作り直し終へ書いたらあとは直すことせず
反歌
牧水と我がやり方は一つ目に空穂赤彦二つ目と見る
牧水は、この三首が推敲不足なのは旅の途中のせいか。信州の佐久新聞社主催短歌会の帰りに寄ったので、牧水(奥さんが塩尻出身)、空穂(松本出身)、赤彦(諏訪出身)と信州で揃へた。もう一人「我が」は信州と関係するのか、と云はれさうだ。「我が」の母も松本出身である。(終)
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