六百七十四(その四)、中之条、長野原、万座鹿沢口旅行記(続、原発と太陽風力地熱発電を叫ぶ輩は悪魔の手先だ)

平成二十七乙未
三月二十三日(月) 一枚余つた青春18切符
青春18切符が一枚余つた。最初は松本に行かうと考へた。高山バスセンターで松本行きのバス停を見たから、今度は松本側から見れば、バスセンターの賑はひ、雰囲気に新発見があるだらう。しかし松本は青春18切符で何回か行つたことがある。中央線をまた往復するのは退屈なので、次に掛川か御殿場にしようと思つた。しかし東海道線は先日乗つたばかりで退屈である。といふ事で今回は吾妻線に乗ることにした。今から四十年近く前に家族旅行で草津温泉に行つたことがある。行つたことは完全に忘れてゐたが広場の中央に湯の噴き出す大きな源泉を見た記憶がある。たぶん長野原駅まで特急に乗つたのだらう。或いは帰路に長野原駅から特急に乗つたのだらう。といふことで吾妻線を旅行することにした。

三月二十四日(火) 中之条
最初の計画では長野原で2時間半を過ごし、次の列車で終点の大前まで行く。しかしこれだと長野原が長い。そのため中之条で降りた。駅前に、四万温泉と沢渡温泉行きのバス停があるが往復の時間はない。駅前の国道を暫く東に歩き、戻る途中を左折して道祖神と不動を見た。不動は村落の共同墓地にある。右手に広い公園がありこの辺りはほとんど車が来ないのに立派な2車線の道路が縦横に走る。こういふ街は好きではない。暫く東に歩くともう一つ大きな公園があり土地改良組合が区画整理を行なつた碑が立つ。農地ではなく住宅地の区画整理である。国や県から補助金がどれだけあつたのか気になる。右折して踏み切りを渡る辺りで元の古い街並みに戻つた。日本は古い街並みが似合ふ。駅前のバス停で持参した弁当を食べた。
次に中之条合同庁舎前に行つた。広場に忠霊塔がある。先の戦争は侵略戦争かどうかの議論がときどき出るが帝国主義どうしの戦ひであり、侵略国どうしの戦ひである。侵略戦争ではないといふ主張には反対だが、米英仏は正しく日本は悪いといふ主張にも反対である。だから戦死者に対しては尊敬の念を持つべきで、合同庁舎の前にこのような塔の立つことはよいことである。戦死者の一覧に小渕姓が一人もゐなかつた。区画整理の碑の役員名には小渕姓が何人もゐたので不思議だつた。小渕姓だからといつて小渕敬三元首相の親戚ではないと思ふ。先祖を辿れば親戚でも何代も過ぎれば無関係である。
近くに林昌寺といふ山門と本堂が立派な曹洞宗の寺がある。これを見て1時間半が過ぎた。

三月二十四日(火)その二 長野原駅(今は長野原草津口駅)
長野原駅のバス乗り場は草津温泉行きのJRバスが停車し大学生らしい二十人が乗つた。家族連れは自家用車で来るようになつたのだらう。それより駅前に何もない。一つは長野原町の中心はここからかなり離れる。二つは帰宅後今調べて判つたことだが、ダム工事の影響で駅周辺の建物は移転し駅だけ残された。この辺りは水没せず駅は移転しない。なぜ建物を壊すのか。ここで補助金といふ言葉が思ひ浮かぶ。駅舎は一昨年新築された。今後駅前に立派な建物を造るのだらう。ダムの建設費に群がる人たち。そんな構図が思ひ浮かぶ。
一時間掛けてまづ国道の新道に出て端を渡るところまて行つた。移転した線路と新しい線路を遥か遠くから見た(駅のホームから見ればすぐ近くに見えるのだが一応行つてみた)。次に大前方面に少し歩いた。こちらが町の中心だが残り時間が15分のため三叉路までで戻つた。駅前広場も大掛かりな工事をしてゐる。駅に行くには大回りしなくてはならないが1m高い駐車場に登つてそのまま駅に行つた。40mほど短絡できた。ここでもダムの建設費に群がる人々といふ構図が浮かんだ。

三月二十六日(木) 万座・鹿沢口駅
次に万座・鹿沢口駅まで乗つた。上野から特急草津がこの駅まで行くので駅名は知つてゐた。しかし万座と鹿沢は山の名前でその登山口なのだらうと今まで四十五年以上ずつと思つて来た。鉄道が万座・鹿沢口の一つ先まで開通したのは昭和四十六年だつた。駅を降りて万座が温泉だと知つた。もう一つの鹿沢がない。あちこち探してやつと一つ先の終点大前駅からかなり離れた場所だと判つた。だとすれば万座・鹿沢口駅は万座口駅にし終点の大前駅を鹿沢口駅にすればよいではないか。
そもそも万座・鹿沢口駅から万座温泉も鹿沢温泉もバスで四十分掛かる。しかも周囲には他にも温泉がある。山の名に口をつけるのはよいが温泉名に口を付けるのは不適切である。万座・鹿沢口駅からは鬼押し出しが近い。駅名に入れるとすればこちらではないのか。

三月二十七日(金) 吾妻線電化の不思議
まだ不思議なことがある。吾妻線はどう見ても電化する線ではない。電化したのは国鉄時代だか、今の時刻表を見ると長野原までは十六往復(うち特急二往復)、万座・鹿沢口までは十三往復(うち特急二往復)。それより先は一駅だが大前まで四往復。本来は大前を鹿沢口、万座・鹿沢口は万座口とすべきだしどうしても万座口を万座・鹿沢口とするなら大前まで造る必要はない。JRになつてからならともかく国鉄時代である。こんな出鱈目は許されない。野党と会計検査院と国鉄を監督すべき運輸省は一体何をやつてゐたのか。

三月二十八日(土) 中之条町賞賛
沿線で一番活気のあるのは中之条町である。主要産業は山間の小規模農業である。それでこれだけ賑はふのだから大したものである。駅前からは四万温泉、沢渡温泉までバスがある。長野原からは六合(くに)の里温泉郷があるが、草津温泉も長野原で下車のためほとんど知られてゐない。六つの村が合併し六合をくにと読むのは日本書紀の「兼六合以開都、掩八紘而為宇」(六合を兼て以て都を開き、八紘を掩て宇と為さむ)に因むさうだ。三月十六日に国会で三原じゅん子議員がこれを引用したが、私は後から中之条駅にあつた中之条町六合地区のパンフレットを見てこのことを知つた。六合は「日本で最も美しい村」連合加盟地区ださうだ。長野原駅からバスで15分だから吾妻線に乗つた人は寄るとよい(私は帰宅してパンフレットを読んだから行けなかつた)。
かつて長野原の次の太子(おおし)駅が終点だつた。しかし昭和四十二年に長野原から大前まで開通すると太子は廃止された。太子は六合地区にある。それにしても長野原を長野原・草津口なんて改名させては駄目である。長野原は長野原・六合口、一つ先の群馬大津を大津草津口と改称させるべきだ。草津へは群馬大津のほうが近い。長野原町と草津町は観光で財政が裕福だから合併しないが観光で財政が裕福なところは必ずといつてよいほど縮小再生産を続ける。ここ三十年ほどその理由は円高で海外に行く人が増へたためだが、それがなかつたとして本来観光は地道な産業であるからだ。派手な観光は長続きしない。東京ディズニーランドはできて三十年。そろそろ衰退する時期だがそれが起きないとすればそれは日本国内での拝米工作が原因であり観光の原理が原因ではない。

三月二十八日(土)その二 沿線の風景
吾妻線に乗るためにまづ高崎駅まで高崎線に乗つて思つた。私が二十歳くらいのときは東京が市街地で埼玉県に入るととたんに田んぼが多くなつた。いはゆる郊外である。郊外とはコトバンクによると「都市に隣接した地域。市街地周辺の田園地帯」とある。wikipediaには「都市の外縁部に位置する人口の多い地域を指す。近郊とも言う。」とあるがこれは間違ひだと言つてよい。当時そんな感覚はなかつた。私が高校一年のときだらうか桶川から東京の九段まで来た高校生(通学は地元だと思ふ)を聞いて、ずいぶん遠くから来るものだと驚いたことがある。当時の感覚では桶川は首都圏の外側である。私が二十八歳くらいのとき勤務してゐた水質分析会社が桶川市役所から河川の水の採取と分析を受注し月に一回桶川に出張した。駅前に商店や民家はあるが少し離れると回りは農地や草地ばかりだつた。
今回鉄道の窓から眺めるとかつての雑木林と思はれるものはあつた。しかし他はすべて宅地だつた。東京の宅地圏は熊谷まで続く。熊谷の一つ先の篭原でやつと宅地圏が途切れる。これは異常である。
今回、私が新興住宅地を嫌ひな理由を発見した。緑が少ない上に経年した渋い家がない。昔は埼玉に家を建てるときは建蔽率もあり緑があつた。昔からの古い家だと高い樹木があつたり垣根があつた。今は緑が無い。敷地内に駐車場を造るためだ。家も木造の古びた家ではなく毒キノコみたいな色の家ばかりになつた。街全体の美しさがなくなつた。プラザ合意による輸入材料や輸入工法による弊害であらう。

三月二十八日(土)その三 高崎駅
かつて高崎線はホームと並行に客車の留置線があり、外れに洗浄線と研修庫があつた。ところが新幹線の駅を作るために留置線を撤去し駅の南側に新たにこれらを作つた。駅と離れた場所に作る訳ではないから駅と一体となつた客車操車場として多少美しさは残つた。昔は上野発高崎行きの客車列車があつた。たまたま私の乗つた列車は高崎で機関車を切り離し客車はそのままホームに停車して長野行きだつたか長岡行きだつたかになつた。つまり上野発長野(或いは長岡)行きでもよいのだが高崎で停車時間が長いため分けたようだ。その直後、客車の定期列車はすべて電車化された。その後、上信電鉄の貨物廃止でホーム南西にあつた亘り線が廃止された。といふことでどんどん美しさが失はれた。
新幹線ができる度に大きな駅の貨車や客車の留置線が新幹線の駅に変はるから、私は新幹線が嫌ひだつた。しかし近年は新幹線開通にもはや何の感心も示さなくなつた。まづ貨物を旅客会社から分離したため客貨が一体となつた美しさが消えた。二番目に留置線が駅ビルなどに変はつて10年以上経つからである。

三月二十八日(土)その四 太陽発電
今回の二回の青春18旅行(飛騨と吾妻線)で心配なことがある。農地だつたと思はれる場所に太陽光発電板が設置されてゐるのを何回か見た。農地は食料を生産する大切な場所である。太陽光なんかをやつてはいけない。。地熱発電は温泉枯渇につながるから絶対にやつてはいけない。電力が足りなければ節約すればよい。昭和五十年代に戻すだけだから簡単である。(完)


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