千七百四十三(和語の歌) 潮みどりの歌
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月十三日(金)
塩尻短歌館で、若山牧水の奥さん喜志子(旧姓太田)の妹、潮みどり(筆名)の名を知った。牧水夫婦の仲人で、牧水の弟子長谷川銀作と結婚。しかし結核に罹り、八年後に三十一歳で亡くなった。早速図書館で「編年体大正文学全集 第十一巻大正十一年」を借りた。さいたま市立図書館で検索すると、潮みどりはこの一冊しかなかった。
歌を見て驚いた。破調が一つもない。字余りはすべて「あ、い、う、お」のどれかを伴ふ。そして美しい語を用ゐる。「きさらぎ」と云ふ題で十八首が載る。
花さしの水も氷るとみる朝のひかりつめたき水仙の花

「水も氷るとみる朝」「ひかりつめたき」が美しい。水仙は植物名なので除くと、すべて和語だ。
ひたすらに鳥の啼くなり春を浅み未だととのはぬのどふるはせて

「春を浅み」は「あ」があるから字余りではない。「未だととのはぬ」も「い」があるから同じだ。「ひたすらに」「未だととのはぬのどふるはせて」が美しい。
をとめ子に誘はれ出でゝ山あひの日向の岡に嫁菜つむなり

「をとめ子に誘はれ出でゝ」「山あひの日向の岡に」が美しい。
沖辺よりさざなみうちて寄る波のやはらかき潮ゆかすみたつなり

「やはらかき潮ゆ」は「お」を含むから字余りではない。この一首はすべて美しい。判りやすく云ふと「沖辺よりさざなみうちて寄る波の」「やはらかき潮ゆ」「かすみたつなり」が美しい。
広丘で潮みどりの名を知りて読めば驚く美しき歌


五月十四日(土)
子規や左千夫の歌で、佳作と感じるのは5%程度だから、みどりの22%はかなり高率だ。だから次に、みどりが師事した義兄牧水の歌を、「編年体大正文学全集 第十一巻大正十一年」で見た。破調の歌が少なく、和語のみの歌が多い。みどりは牧水の影響を受けたのだらう。しかし私には、みどりの歌のほうが合ふ。
そのため今回から項目別検索を「良寛、八一、みどり。その他和歌論」に変更した。良寛と八一とみどりは、ほとんど歌人として知られてはゐない。良寛はよく知られるが、それは無欲な僧、子供たちと手毬をする僧、書が優れた僧としてだ。
良寛と八一とみどり歌詠みと知られず今に至り花咲く


五月十六日(月)
再度牧水の歌を見ると、二回目は欠点が目に付く。破調もあるし、佳作がほとんどない。それでは話が進まないので無理に美しい歌を選ぶと
奥ひろき入江に寄する夕汐はながれさびしき瀬をなせるなり

「奥ひろき」「入江に寄する夕汐」「ながれさびしき」が美しいのに、「瀬をなせる」で台無しにした(と私は思ふ)。
うち超えて道をひたせる浪の泡夕日に寒くかがやけるかな

「うち超えて道をひたせる」と「夕日に寒くかがやける」が美しいのに、「泡」で台無しにした。
山川に湧ける霞のたちなづみ沈みたなびき富士は晴れたり

「湧ける霞のたちなづみ沈みたなびき富士は晴れたり」は美しいのに、「山川に」で駄目になった。「山川ゆ」なら良かった。
真日中の日蔭とぼしき道ばたに流れ澄みたる井出のせせらぎ

無条件で佳作はこの歌のみだ。「真日中の」「日蔭とぼしき道ばたに」「流れ澄みたる」「井出のせせらぎ」が美しい。百六首のなかで無条件一首、条件付き三首だから、子規や左千夫と同じ程度だ。みどりは牧水に師事したが、歌風は異なる。私は、みどりのほうが上だと思ふ。牧水を褒めるとすれば、創作数がはるかに多い。多くなれば佳作の比率は下がる。
教へ人教はり人にその技を伝へ渡すも風伝はらず


五月十七日(火)
みどりの歌を十数首ほど紹介する動画を見た。動画制作者の歌感に合ふ歌を紹介したのだらう。また、みどりの死後四十九日に発行された「潮みどり歌集」は、みどりが公表しようとしなかった試作なども含まれるのだらう。この動画には気に入った歌が無いので、さう予想した。
潮みどりを研究するためには、すべての歌を公表したこの歌集は後世に貴重だが。
源や足利羽柴徳川のもののふによるまつりごと 終はりて後は音(ね)の数が異なる文(ふみ)が入り来て 我が国の歌調べ乱れる

(反歌) 或る時はまとめて続く佳き歌が病となりて惜しまれて逝く

五月十八日(水)
「潮みどり歌集」は、国会図書館デジタル化資料参加館で閲覧できる。九時から十一時半まで利用した。
100ページを過ぎても佳い歌が見つからない。注目すべき歌としては
五六本(いつむもと)植ゑたのしみし月見草咲く日となりてこれの忙(せは)しさ

和語を使ふことに気を使った歌だ。ここまで佳い歌が見つからないのには驚く。ところが「富士及び裾野」の章に入ると
ゆく汽車ゆ仰ぐに惜しき富士が根の大き姿は窓のま上に

「仰ぐに惜しき」「窓のま上に」が美しい。
山々はあとにつゞけと裾ひきて立ちそびえたる夕富士のやま

「山々はあとにつゞけと」「夕富士」が美しい。次の「三保松原」の章に入り
老松の木立の道につぎつぎにみだれてきこゆ夕なみの音は

「みだれてきこゆ夕なみの音は」が美しい。
雨降ればなほなみの音のゆたけしやねむるに惜しき松原のやど

「ねむるに惜しき松原のやど」が美しい。
朝雨のしめやかなればたちいづる松原の宿に心はのこる

「朝雨のしめやかなれば」「松原の宿に心はのこる」が美しい。「松原の宿に」は字余りなのに目立たない。かうなる条件を調べたいものだ。
足もとの砂にもふかき潮の音のこもりてきこえ歩むに惜しき

「足もとの砂」「ふかき潮の音のこもりて」「歩むに惜しき」が美しい。次の章は「静岡清水山」で
目の覚めていまだ間もなきうなゐ子の瞳のごとき露草の花

「目の覚めていまだ間もなき」「瞳のごとき」が美しい。一つ飛ばして「沼津行き」の章では
この大き家のあるじとなりすましたのしげなれやその兄と姉は

この歌は、みどりの義兄が牧水だと知るからこそ美しいのかな。
香貫山背に負ひたけば遠潮のこだまはきこゆひろき家内(やぬち)に

「背に負ひたけば遠潮のこだまはきこゆ」が美しい。
朝はやき廊下におこる足音のたどたどしきにききほれてをり

姉夫婦の子を詠み「朝はやき廊下におこる足音のたどたどしき」までの一連が美しい。
以上が大正九年。大正十一年は章が二つあり、「きさらぎ」は十三日に紹介したやうに、美しい歌が続く。ところが「菜の花は」はすべて駄目だった。
大正九年に結婚したときと、富士裾野三保松原静岡清水山沼津までは新婚旅行かも知れない。歌が活き活きとしてゐる。
心には上がり下がりの波がある 歌にも波があるものの 心の波が大きく洗ふ

(反歌) 歌の波年月を経て変はるもの心の波はすぐにも変はる
心の波を痛感したところで、昼前になった。午後は来館しても、三十分更新のため連続して閲覧できないかも知れないので、再来週まで待つことにした。

五月十九日(木)
牧水の歌を三度目に詠むと「近詠」の章は佳い歌が多い。今までは、五句目に「山ざくら花」の歌が続くので、見逃してしまった。
うすべにの葉はいちはやく萌えいでて咲かんとすなり山ざくら花

「うすべにの」「いちはやく」が美しい。
日は雲に影を浮かせつ山なみの曇れる峯の山ざくら花

「日は雲に影を浮かせつ」が美しい。最後の三首は五句目に「河鹿なくなり」が続く。
山のかげ日ざしかげれば谷川のひびきも澄みて河鹿なくなり

「日ざしかげれば谷川のひびきも澄みて」が美しい。
ところが次の章の「冬雑詠」に入ると、途端に佳い歌が無くなる。前回条件付きで紹介した「うち超えて道をひたせる浪の泡(以下略)」は、今回無条件に佳い歌だと思った。前回は二句までが「浪の泡」に掛かると解釈した。今回「浪」に掛かると解釈すると、悪くは無いことに気付いた。その次の章は前回と変はらない。
つまり牧水の佳い歌は、特定の章に集まる。みどりも同じなので、牧水一門に作歌法など理由があるのかも知れない。
みどりの歌も、佳い歌を一つ追加した。「きさらぎ」の
耳すましをれば聞ゆる鳥の声いづこか遠く春めきて啼く

「いづこか遠く」「春めきて啼く」が美しい。前回選ばなかったのは「耳すましをれば」と解釈したが、今回「をれば聞ゆる」だと気づいた。
長生きをすれば佳き歌ひと続き 時に初めて終はりのち 次も初めて終はりその次

(反歌) たまきはる命の長さ短くも佳き歌の数ひとに劣らず

六月四日(土)
デジタル化資料のうち絶版本が、自宅で閲覧可能になった。二十一日に申し込み五開館日程度のはずだったが、混雑したのだらう。本日夕方にメールが届いた。二百五十頁までを前回読んだので、今回は残りの三百十頁までを読んだ。予想どほり佳い歌は見つからなかった。
大正九年と大正十一年のみ佳い歌が集中するのは、結婚直後の心の明るさが原因だらうと前回想像した。目次の前に「小伝」があり、大正八年十一月に長谷川銀作と結婚し横浜市本牧町箕輪下に居住。大正九年八月牧水創作社と共に沼津に移り、同月みどり夫婦は夫の郷里静岡、久能山、三保松原、田子の浦に遊び、沼津に創作社を訪ふ。九月牧水より「創作」の発行経営を託され夫と協力する。このころから頂点が始まる。
大正十一年六月に二年間の「創作」編集経営を創作社に返す。十月夫と出湯ヶ島、吉奈、修善寺、長岡の諸温泉に旅行。ここまでが頂点だった。
大正十二年四月沼津で創作社全国社友大会。同地の病院に廿日間入院、七月まで創作社で静養し横浜へ戻った。九月大震災で全焼、夫と上京し渋谷、谷中と友人の許を転々とし、市外淀橋町柏木の二階を借りる。病と震災と何回もの引っ越しが歌に影響したか。
大正十四年四月頃より宿病を得、八月房州白浜に転地、十月快方に向かひ帰京し、市外東中野上之原に移転。昭和二年十月に亡くなる。(終)

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