二千五百三十一(うた)1.実効の美、2.SL水上号車内の文学談義
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十月二十八日(月)
実効の美は、これまで十回ほど取り上げた。それを読み返して、実効の美にもう少し言及しようと思った。実効の美があるのは万葉集、無いのは古今集以降。花や月を月並みに書くことばかりになった。
実用文実効中味 宣伝は実効販促 文芸は実効の美に中味も含む
反歌
実用文宣伝文も文芸も実効あるは皆美しい
今回は、2530「定本 良寛全集 第一巻詩集」と2532「ダンマパダ」が隣接するとリンクが複雑になるので、それを避けるために作った。とは云へ、元々作りたいとは思ってゐた。過去に書いた内容と重なるといけないので、今回のやうな事情が無いと、着手できなかった。
ここまでで1540バイト。自主規制(これ以下ではいけない)の3500バイトまで書き続けられるか。
十月二十九日(火)
歌に話し言葉がいけないことは、これまでに何回も書いてきたやうに、歌は文章であり話ではない。これを実効の美からも説明できる。
抒情と叙事があり、どちらも実効がある。話は、その背後に心がある。説明や報告だと事実がある。しかし事実を話し言葉で歌にはしないから、心だけを考へればよい。話し言葉は、心を表すやうに見えるが、実は瞬時の心だ。瞬時の売上が多くても、全体の売り上げ高ではない。つまり話し言葉は心を描かず、実効が無い。
或る時の心が動くを示せても心自体を示すに非ず
十一月二日(土)
短歌だけではなく、不定形の文章も書ける。これが普通である。ところが短歌しか掛けない人が貴族に多く、さう云ふ人たちの歌集が、古今集より後、或いは古今集を含めた後。だから実効の美が無い。
掛詞と縁語は、美しさに入らない。枕詞と序詞は、美しさに入る。その理由は、掛詞と縁語が表面の技巧に留まるためである。貴族の言葉遊びである。
実効の農民漁民防人と異なる貴族無効人間
十一月六日(水)
水上への旅行で、往路のSLぐんまレトロ水上号の向ひの席の男女が、小説を書いたなど話した。たまたま昔の客車との違ひは、床が今は合板だが昔は板に油を敷いた話をした。
水上は周りの町村が合併し、牧水に因んでみなかみ町としたことを話した。小説の話になり、小生も書くのか訊かれたので、散文に和歌を入れて、伊勢物語みたいにすると答へた。何か作ってと云ふので、一秒後には何か作った。高崎駅で日本酒、SL列車の売店車で缶酎ハイ(4%)を三つ買ったとは云へ、この速さには驚く。
酒類は頭の速さ増すほかは間違ひ増える失敗注意 一長二短
酒類を般若湯とはよく言ふか般若は智慧の天竺言葉
小説はあらすじと文体。和歌は単語選びを含む推敲の速さ。小生の文学観を述べた。向かひの二人は直木賞志向なので、小生とは異なるかな。(終)
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