千九百二十一(和語のうた) 沼津旅行記(牧水関係の三ヶ所)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
西暦元日後一月十一日(水)(2023.1.11)
旅は旅の前に始まる。今回の旅行では、それを強く感じた。まづ、熱海の万葉公園と、小田原の城跡公園を予定した。しかし万葉公園は、温泉を歌に詠まれたことに由来し、地元民向けだ。そこで、沼津の千本松原と、三島大社に行くことにした。
ジパング倶楽部の切符は、所用で行った途中の巣鴨駅で購入した。みどりの窓口は二つ開くこともあったことを思ひ出した。
沼津へ到着の後に千本松原に向かふと、左折して牧水記念館の標識があった。帰りに寄らうと直進すると、道に迷った。スマホの地図を見ると、牧水の家跡が近い。岩と説明版があるだけだが、海岸や千本松原との距離感など得る物は大きかった。
沼津へはちもと(千本)松原見るために歩きたまたま牧水に逢ふ

千本松原は、まづ堤防上の道を歩いた。次の通路で松原内に戻った。松原北側の二車線道路を歩くと、首塚がある。明治三十三年に倒れた松野大木の下から多数の頭蓋骨が出て来た。科学官邸の結果、北条と武田の合戦によるものと分かった。
次に、若山牧水の墓に行った。正面に牧水、後ろの墓地側に若山家の墓が背中合はせに配置してある。
次に、沼津市若山牧水牧水記念館へ行った。入場料二百円は安い。しかしラウンジは無料で、図書、館報、ビデオ放映、喫茶コーナーがある。展示室だけだと二百円が適正価格かな。小生はおしるこ(ほうじ茶附き)五百円を食べた。若山牧水牧水記念館は、一見の価値がある。
歩いて記念館到着が十時四十分。沼津駅へのバスは十一時十五分。展示室を見終はった段階で、急げば間に合ふ。しかし牧水のビデオ、館報、おしるこで、十二時十五分のバスに数分の余裕があるだけだった。

沼津駅から在来線で三島へ戻った。東京行きのこだま号は数分後だが、一本後にして駅の改札を出た。駅前を少し歩いただけで戻り、駅の売店で焼鯖押し寿司6貫五百二十円(税込)と角ハイボール濃い二百十五円(税込)を買ひ、新幹線ホームの待合室で食べた。
地酒を買はうとしたら、兵庫や京都の酒しかなかったためだ。新幹線改札内にも売店があるので、或ひはこちらにはあったかも知れない。
旅行前の計画で牧水関係に気付かなかったのは、インターネットで沼津の観光を調べたら、牧水関係が一つもなかった。遊ぶだけが観光ではない。学ぶことも観光だ。古い寺社や建築物を見るだけが観光ではない。沼津に住んだ牧水の関係する場所も観光だ。
草枕旅は遊びに非ずして学ぶが多く世の為になる
(終)

追記一月十二日(木)
(一)今回の旅行で思ったことがある。小生は、鉄道が好きなのではなく、旅行が好きだ。(1)貨車を全国で分解組成した時代は好きだった。(2)民営分割で客貨分離後はほとんど好きでは無くなった。(3)葛西についての報道を読んだ後で今回JR東海に乗ったので、完全に好きではなくなった。
とは云へ、大人の休日倶楽部やジパング倶楽部があるので、旅行のときは利用する。
(二)前回の旅行で、富士山ではない山を富士山と間違へた。今回は、その山がどれなのか分からなかった。
白くない高くない山分からずに冬は白妙真白尊し

(三)牧水とは、三つの偶然がある。
  1. 今から三十五年ほど前に、寝台特急「富士」で宮崎、延岡を旅行した。帰りの車内で、車掌がオレンジカードを販売するので、一枚購入した。牧水の数頁の小冊子をいっしょに頂いた。それを読み、牧水が歌人で宮崎出身と初めて知った。
  2. 昨年、広丘の塩尻短歌館を訪問したときに、牧水の奥さんは広丘出身と初めて知った。
  3. 沼津へ旅行し、千本松原に行こうとして牧水記念館への道しるべを見て、牧水が沼津に住んだことを思ひ出した。観光案内に無いので、完全に忘却状態だった。
(今回は、「イ、ロ、ハ、」で渋く作ってみた。小生が小学生のときは、「イ、ロ、ハ、」か「一、一、一」が普通だった。このうち後者は
一、之々々々々々々
一、之々々々々々々
一、之々々々々々々
読む時は「ひとつ」で「ひとつ、之々は之々々々なり」と読むと、心地がよい。)

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