二千二百二十三(和語のうた)一年ぶりに「萬葉集講座」(第一巻から第三巻まで)
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月二十五日(木)
図書館から萬葉集講座を借りた。第一巻は、ほとんどの章が転読(頁をパラパラめくる)になり、きちんと読んだのは
近代における万葉集
----アララギ派の万葉論から万葉学へ----

だけであった。ここで小生が、過去にホームページに書いたものを検索すると、第一巻と第二巻第三巻以降第四巻の二回目と三つあった。第一巻について、前回は幾つかの章を取り上げたのに、今回が「近代における万葉集」だけだったのは、萬葉集それ自体では無く、掲載された歌を見るやうになったためだらう。この章について取り上げたい部分は、既に前回取り上げてゐた。
よろづ葉は多くの歌を集めれば 佳きか悪きは人により 一つ一つの歌につき心留めず大きく外を

反歌  建物を見るに内から小さくか又は外から大きくもあり

一月二十六日(金)
第二巻は「万葉集の時代的背景」を読み始めると、大化改進前後の話で紙面に釘付けになった。終了の数頁前で、歴史を調べるためではない、と気付きその後は省略した。
その次の章からは三つ省略し、「万葉時代の暦と時制」を興味深く読んだ。七つ省略し「万葉集と固有信仰」では
信仰というものを強く決定づけたものは、わが国の主要な生産手段が、農業生産であったという事実である。

これは、一神教がアラブの砂漠で生まれたのと対照的である。
「幸魂」とは人々ひいては万物の生命を守り、幸を与えてくれる神の霊魂であり、「奇魂」とは霊妙な徳をそなえ、万事にすぐれた判断力を示す神の霊魂であった。そして、この二つを綜合したものを「和魂(にぎみたま)」とよんだ。(中略)この「和魂」に対してもう一つの神の霊魂を「荒魂」と呼んだ。

萬葉集を読むとき参考になる。そして神から天皇、一般人に至る迄、顔を描写しないと云ふ。
神々はにぎみたま及びあらみたま どちらが来られ動くのか どちらになりて来られるか 人々歌で和むを託す

反歌  言霊と歌霊により神々をにぎみたまとし世を穏やかに
「万葉集と中国思想」も興味深い記述がある。しかし前回取り上げた。

一月二十七日(土)
第三巻の「万葉時代の言語生活」は、巻二の九六、九七について
久米禅師が石川郎女に対し求愛の発話をし、それに対して石川郎女が禅師の上句をそのまま使って、うまくはぐらかす内容の発話をしたもの。

ここで重要なのは、二つの歌を分けたら理解できなくなる。小生が歌を普通文に組み込むのと、歌を二つ並べるのは、思想が同じだ。
「万葉人の言語観と和歌観」では
路の後深津島山暫くも君が目見ねば苦しかりけり (巻十一、二四一五(以下略))
単にしましくの「しま」を引出すための序であるというより、(中略)孤独感を描き出す実感的なもののように考えられる。又そうであって初めて枕言葉についての神授の詞章をもつ威力を担った(中略)それは歌に残った咒詞的な痕跡(以下略)

古今集になり
立ちわかれいなばの山の峯におふる松としきかば今かへりこむ (古今巻八、三六五(以下略)
上3句は(中略)実景ではない。序詞は明らかに知巧である。

次は「万葉人と言霊」で
人麻呂の作品は、初期万葉に対して飛躍的に新しく(中略)初期万葉のころにはすでに短歌形式が確立していたが、初期万葉の人々は主に一五句内外の小型長歌に表現を託した。人麻呂(中略)の長歌は(中略)巨大で(中略)すこぶる修辞的である。

そして
人麻呂は、以後の専門的な歌人たちの分水嶺となり、旅人を除く人々に(中略)表立った形式が長歌であった(中略)知識階級のあいだでは、この傾向は万葉末期の家持まで続く。しかし、衆庶の人々は、すでに人麻呂の時代から、短歌を、(中略)操りつづけた。

-------------ここから(歴史の流れの復活を、その四百六十七)--------------------
折口信夫の言葉を引用し
「どんな語の断片にも言語精霊が潜んでゐたのではない。完全な言語の一続きでなければならなかった」(中略)神々に関する詞章がそれであると指摘された。

ここは、小生の見解と異なる。小生は、言葉すべてに言霊があると思ふ。古代だけではない。現代も、である。つまり唯物論者が古代を見ると折口信夫の見解になるし、唯物文化論(唯物は正しいとして、その上で動く文化があるから唯物論は間違ひとする。唯物をコンピュータ、文化をOSに例へると判りやすい)の立場だと、小生の見解になる。
硬質の、いわば文語的言語が(中略)言霊のためには必要だったのではないか。(中略)口語と文語の分岐点であり(以下略)

これも、小生は別の見解を持つ。古代人は文語を話した。時代の推移とともに口語は変化したが、文語は万葉仮名などで書いたため、変化しなかったのではないか。
「万葉人と言霊」は、小生とかなり意見を異にした。著者は伊藤博(はく)、当時は専修大学教授であった。
神々へ述べることのみ言霊か またはすべての言葉には言霊がある この違ひ 唯(ただ)物のみを論(と)くものと 物の上には言葉ありそこに新たな世があるを論(と)く

反歌  かみほとけ文にて化(かへ)る世にあるとするが住みよい世を作る道
反歌は、宗教は文化の一部とする小生の自論を歌にした。
(歴史の流れの復活を、その四百六十六)へ 兼、(歴史の流れの復活を、その四百六十八)へ
-------------ここまで(歴史の流れの復活を、その四百六十七)--------------------

一月三十日(火)
「万葉人の美意識と言語」では、二つの景の順接による構成、二つの景の逆接による構成を取り上げるものの、景の末尾に情の添う構成(かも、けり、らむ、らし)など、幾つかの定型の一つとして取り上げるに留まる。
小生は、序詞と同じで一つの歌にある二つの事柄の関係性は、美しさの重要要素だと思ふ。美しい風景を詠んだり、美しい調べを用ゐたり、実効の美と同じやうに、二つの関係性も重要な美しさである。(終)

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