二千二百十四(和語優勢のうた)最新の歌論「『光る君へ』を観て」
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月十五日(月)
NHK大河ドラマ「光る君へ」を観て、同感に思ったことがある。歌の作り方である。主人公(後の紫式部)が代書の仕事を絵師のところでやり、来たお客さんの求めに応じてすらすらと歌を書く。歌を作るときは、かうでなくてはいけない。
小生も歌をすらすらと作る。出来の悪い歌は推敲をする。推敲はすればするほどよくなる。そして一旦作った歌は、捨ててはいけない。作った歌には魂が宿る、と前に云った事がある。
なほ人によって、作り方に差がある。赤彦はたくさん作ってはいけないと云った。それは一つのやり方である。誰だったか覚えてゐないが、後から推敲してはいけないと云った人もゐた。それは同意できない。たくさん作ってはいけないは、小生とは異なる作り方だが、後から推敲してはいけないは、変だ。
歌を詠む歌は魂宿る故 捨てるべからず更に佳く直すことにて歌は喜ぶ

反歌  言葉には言霊があり大和歌歌霊がある物は物魂
物にも物魂がある。この気持ちは大切だ。

一月十六日(火)
昨日の「推敲はすればするほどよくなる」を補足すると、歌を作ったときは字句を変へたり工夫したりする。これは推敲ではなく、作成の段階である。少し時間を空けて修正するのは推敲である。その後は日を空けてから修正する。これも推敲である。小生の推敲は、この程度である。だから「するほどよくなる」と胸を張れるほど、してはゐない。

「光る君へ」で、藤原道長は怒らない人として描かれてゐる。小生も止観のうちの止をするやうになって、怒らない人になれた。そして歌を作るやうになってますます怒らなくなった。瞬間に語気を強めることはあるが、これは反射神経である。物が飛んで来たから手で払ひのけるが、怒って払ひのけたのではないのと同じだ。
小生は止観のうち止しかやらない(性格と止観心を安定の記事を読んで止観と歌作り良寛の止観)。歌作りは止観の効果があるから、小生は歌を詠むことで観を補ふのだと思ふ。
小生の歌作りは、風景や現象に遭遇してその場で作ることはまづ無い。あとで回想して作る。例へば伊東や三島へ行ったときの歌は、帰宅後に作った。歌を作ると回想になる。これは止観に役立つ。
後に回想すると意識して観光をしてはいけない。観光の時は、歌を忘れて観光。帰宅したら、回想して歌作り。これがよい。
旅に出る歌を忘れて楽しみて 家に戻りて思ひ出し作る歌こそ佳き歌となる

反歌  旅に出る戻り作るか次の日に作るも出来るまた佳き歌が
反歌  赤彦のやうに歌数少なきは旅先にてもまた作るあり(終)

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