二千百十八(うた)良寛の止と観
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十月七日(土)
曹洞宗では止は行っても、観はやらないやうに見える。実際には、読経、経典学習、作務が観に当たる。良寛は、読経を遷化する前まで続けたが、経典学習は越後へ帰郷するまでに済ませたと思ふ。作務は、料理作りや水汲み洗濯など自分で行ふが、共同作業としての作務と、生活に必要だから行ふ家事では、後者が弱い。
つまり、このままでは観不足になってしまふ。良寛は、書、漢詩、和歌でそれを補ったのだらう。
良寛の独り修行は尊き行為 良寛は書と詩と歌で観を補ふ

良寛が高齢になったとき、うつ病の傾向がみられる。これは加齢とともに起きたものだが、宗派組織では過去に膨大な蓄積があるから対策済みだ。例へば、老僧は修行僧の教育係を勤めるなど。
良寛は独りだから、この対策が弱い。家事、書、漢詩、和歌が不十分だったかも知れない。止の読経、坐禅を毎日怠りなかったとしても。だから近藤万丈が土佐で良寛に遇った話はでたらめだ。止も観もやらず、ぼんやり一日を過ごすなぞあり得ない。
(追記11.28)止観の観とは、自身を観察することだとする考へもある。小生はこの考へは採らず、心を落ち着けることが止、活性化させることが観とする。周りに見えるものや出来事から知恵を得ることが、観である。

十月八日(日)
良寛は独りが好きだ。自書にもある。ここで多くの人が誤解することは、若いときは無制限に人が嫌ひだったと考へることだ。宗派組織で、出世の為に心にも無いことを言ったり、無駄話をすることは嫌ひだが、人が嫌ひなのではない。だから加齢のためもあるが、雪で誰も来なかったと嘆く場面もある。若いときも同じではなかったか。
良寛は 私欲のための交はりを嫌ふとは云へ 私心無き人の交はり嫌ふこと無し

反歌  私欲無し仏を別に良寛の特長にして人気の秘訣
良寛こそ真の僧だった、などと云へば、賛成の人も反対の人もゐる。良寛は私欲が無いことが特長だった。これなら皆が賛成できる。

十月十一日(水)
良寛にゆかりの土地が二つあり越後備中 そのほかに行脚の場所は無限にて 所在不明と漢詩から 渡航の説も確率高し

反歌  良寛の行く場はすべて修行にてあとは漢詩と書と歌の為(終)

「良寛、漢詩、和歌」(六十)へ 「良寛、漢詩、和歌」(六十二)へ

メニューへ戻る うた(六百五十七)へ うた(六百五十九)へ