二千二百十九(和語のうた)歌会始
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月二十一日(日)
歌会始で、天皇様のお歌は
をちこちの旅路に会へる人びとの笑顔を見れば心和みぬ

「をちこち」と古風を使はれ一つ、「旅路」は佳い語なので半分加点、後半は国民の象徴としてのお立場を詠はれたので一つ、すべて和語で一つ。定型のほかもう一つ必要と常に述べてゐるが、三つ半の美しさがある。つまり二つ半のご余裕がある。
皇后様は
広島をはじめて訪(と)ひて平和への深き念(おも)ひを吾(あ)子は綴れり

ご自身のことを詠はれたと読み進むと「吾子」で大逆転し二つ。「訪ひて」「念ひ」で一つ。定型のほか三つ美しさがある。つまり二つのご余裕がある。
皇嗣様は
早朝の十和田の湖面に映りゐし色づき初めし樹々の紅葉

最初はどこにお題があるのか分からなかった。翌日になって「十和田」だと気付いた。これは大逆転で二つ。「十和田の湖面に」は字余りだが「ん」は半音として半分減らす。「早朝」「湖面」「紅葉」は和語では無いが「はやあさ」「うみも」「もみぢは」と読むことはできる。これで一つ。(細かく見ると「うみも」は「う」があるから字余りではなく、しかし「紅葉」はこれだけで「もみぢ」と読むから「もみぢは」はやや無理があるから全体で半分とも解釈できる)。全体では、定型のほか二つ半の美しさがある。つまり一つ半のご余裕がある。
愛子様は
幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ

「いくとせ」は古風な読み方で半分加へる。「難き時代を乗り越えて和歌のことば」は内容が美しいが、戦国時代は「幾年」よりはるか長かった。何十年を含めて幾年とも取れるので半分加へる。
「時代」「和歌」を「ときよ」「うた」と読めばすべて和語だが、そこまでお考へになられたかどうか分らず半分加へる(これは皇嗣様のお歌も同じで「和語の歌ではないですね」と質問して「いや、はやあさ、うみも、もみぢはと読みます」と云はれさうな気がする)。全体で、定型の美しさのほかに二つ半の美しさがある。つまり一つ半のご余裕がある。
選者では、三枝昂之さんの
友垣に夕焼け空に咲く花に和(こた)へて遠く歩みつづける

と、内藤明さんの
海山の怒りの風を和らぐる言葉教へよ樹の中の鳥

と、大辻隆弘さんの
きたにしの風和ぐなへに冬の陽はわが頬を刷くいたくやさしく

が佳いかな。入選者では、七十二歳の方と、七十一歳の方の歌が佳いが、それぞれ一ヶ所づつ小生の歌観と合はないところがある。七十五歳の神奈川県臼杵喜行さんの
呼びに来てくれたる人を追ひ越して電話に急ぎし昭和の夜道

が唯一残った。あと八十八歳の栃木県古橋正好さんの
己が手で漉きたる和紙の証書手に六年生は卒業となる

もよいかな。年齢が六十一歳より下の五人は、まったく波長が合はない。
歌に会ふ年の始めを書き綴る 我が歌観るを示すのみ 人それぞれに歌観方あり

反歌  歳七つ下の人とは歌観るが合はない訳を探す年かも(終)

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