千八百三十九(うた) 最新の歌論
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
九月二十六日(月)
三日前に、母音があっても現代は字余りをしないほうがいいと書いた(佐竹昭広「字余り法則の発見」)。佐竹さんは次のやうに結論を出した。
その母音々節は前の語の最後の音節を構成する母音の直後に続いて之と接触する事となるのである。

歌を引き延ばして読むと、前の音節に続けて次の母音を読むと、二つで一音の長さになる。試してみると、なかなか心地が良い。と云ふことで、私の作る歌も、母音があるときは字余りがあるやうになった。大きな進歩だった。
今まで半信半疑だったのは「え」が該当しないことだが、これも次の主張で解決した。
古く「え」はア行のエとヤ行のエとに分れてゐて(中略)、ア行のエを有する語は非常に少数である故、字余りに用ゐられた例が見出されないのであらう。

現代では、ヤ行のエもア行として発音するから、今では母音がすべて字余り可能である。私も早速作った。
「国民の半数以上が反対し実態国抜き空葬虚葬」  (立民党は、野田を除名するとよい)

九月二十七日(火)
明治以降の歌を取り上げるときに、「え」を含むものを破調として扱ったのではないかと心配だ。過去のものを見たが、今のところ見つからない。
若山牧水の一門に破調が少ないのは、朗詠をしたことがよかったのだらう。子規一門では左千夫が、歌はゆっくり読まないと駄目だと語ったことがある。これも朗詠と同じ効果が期待できる。しかし左千夫本人を始め、赤彦、茂吉などに破調の歌がある程度ある。鴎外の観潮楼歌会に出席してロマン派の悪影響を受けたのかも知れない。

九月二十八日(水)
「名歌辞典」を再度読む(その五)で「紀の海の南のはての空見ればしほけにくもる秋の夜の月」について
「紀の海の南のはての空」「しほけにくもる」が美しい。

と称賛した。その一方で、昨年十二月の山本健吉編「日本詩歌集 古典編」江戸時代では、この歌について
汎用性が無くなる。「紀の海の」ではなく、「暗い海」にすれば、誰もが共感する

と批判的に書いた。この違ひは、地名に最近価値を見出したことが原因だ。声調の美しい歌は、地名に依るものが多い。あと現代では、古語を用ゐることで美しさを出す方法がある。地名は限りがあるが、古語は膨大な数に上る。使ひ過ぎると、逆効果になる。
私自身は、分かりやすい歌を心がける為に、古語を使ふことはほとんどないが。

九月三十日(金)
古語と現代語、京言葉に東言葉は、二者に分離できるものではない。東歌は東言葉を使ふこともあるし、京言葉を使ふこともある。
文語と口語も同じである。上二段活用を方言と考へれば、上二段と上一段が混ざっても変ではない。仮定形と已然形が混ざっても変ではない。
変ではないのだが、読む人が心地よいと感じない混用は駄目だ。文法を十分に理解し、文学の感覚を持ったうえで使ふべきだ。
心地よい混用とは、例へば口語に「あり」を使ふ場合だ。文語の豊富な助動詞は口語には使ふべきでない。字数合はせと見えてしまふ。
平成とそれ以後にては 文語とは古語のことにて 日常に使ふことなくそれならば 方言として使ふてみよう

(反歌) 止まれ見よ何々せよと現代も文語をたまに使ふことあり

十月一日(土)
山本健吉「日本詩歌集」古典編を、再度読み始めた。「名歌辞典」みたいに、載った歌から佳作と思ふものを選ばうと云ふ次第である。
取り合へず、前調べとして最後まで読んだ。前にも書いたが、江戸時代は俳諧が多くなる。或いは歌が衰退した為ではないか。歌が衰退したから俳諧が出たのか、俳諧が出たから歌が衰退したのか。
そしてその時代背景は何なのか。考へられる一つの理由は、江戸が文化の発信地になったことだ。
江戸時代 戦無き世は停滞も 身分固定で窮屈な 幕府強すぎ動かない世を生きる知恵 商ひ俳諧

(反歌) 小作農江戸中期以後現れて明治維新で更に悪化を(終)

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