千八百四十三(和語のうた) 「日本詩歌集 古典編」を読む
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十月二日(日)
(前回)に続いて、日本詩歌集を鑑賞した。明日香時代の冒頭の
倭には 群山あれど、
とりよろふ 天の香具山。
登り立ち 国見をすれば、
国原は 煙立ち立つ。
登り立ち 国見をすれば、
国原は 煙立ち立つ。
  海原は 鷗立ち立つ。
うまし国ぞ。あきづしま。
  大倭の国は。

万葉。ゆったりした歌感が美しい。表現に注目すると「群山あれど」「登り立ち 国見をすれば (中略)立ち立つ」の繰り返し、「うまし国ぞ あきづしま」が美しい。
たまきはる宇智の大野に馬數(な)めて、朝踏ますらむ。その草深野

万葉。「たまきはる宇智の大野」「朝踏ますらむ」「草深野」は、取り立てて美しい訳ではないが、薄く美しい。
志貴皇子(しきのみこ)の歌は、佳作が多い。
采女(うねめ)の袖吹き返す 飛鳥風。都を遠み、いたづらに吹く。

万葉。「袖吹き返す」「飛鳥風」「都を遠み」が美しい。
葦辺(あしべ)行く鴨の羽交(はがひ)に霜降りて、寒き夕べは、大倭(やまと)し思ほゆ

万葉。「葦辺」「羽交に霜降りて」「寒き夕べ」が美しい。
「石激る垂水の上のさ蕨の(以下略)」はあまりにも有名なので省略。
人麻呂もあまりにも有名なのですべての歌を省略。有名な歌は断ることなしに省略したい。

十月四日(火)
奈良時代に入り、赤人の長歌
天地の 分かれし時ゆ
神さびて 高く貴き(以下略)

は有名なので省略すべきだが今回気付いたことは、一句二句は体言と用言の文章だ。三句目以降は奇数句が補助で偶数句が主要の形態が三つ続き、体言と用言が三つ続いたあと、補助と主要が二つ、そして「不尽の高嶺は」と前に出た主要を繰返す。全体が美しい流れになってゐる。反歌の「田子の浦ゆ(以下略)」はあまりにも有名なので先へ進みたい。
憶良らは今は罷らむ。子哭(な)くらむ。そも、その母も我(わ)を待つらむぞ

万葉、憶良。帰るところを見咎められ、即興で作ったと云はれる。しかし憶良の歌で一番優れてゐる。「今は罷らむ。子哭(な)くらむ。」の表現と、「そも、その母も我(わ)を待つらむぞ」の筋書きの、どちらもが美しい。
防人の歌は、優れたものが多い。東歌と並び、これらの歌を選歌したこと自体が、万葉集の優れたところだ。
よろづはの優れるところ東歌防人の歌憶良らの歌


十月五日(水)
平安時代は、漢詩が多くなる。その後ろに歌が現れるが、角の取れた歌ばかりだ。江戸時代後期に、万葉へ返る主張が出たのは、今のやうに万葉が広く出版された時代から見れば、当然に見える。そんななかで
葦そよぐ潮瀬の浪の何時までか憂き世の中にうかび渡らむ

新古今。表現では「葦そよぐ潮瀬の浪」が、話の筋では「何時までか憂き世の中にうかび渡らむ」が、それぞれ美しい。
これやこの行くもかへるも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関

後撰集。「行くもかへるも」「知るも知らぬも」を「逢坂の関」で終結させたところが美しい。
「奥山に紅葉踏み分け(以下略)」は「名歌辞典」を再度読む(その四)で取り上げた。
駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり

新古今。解説には「相手が自分を思っていれば、夢の中に現れるという俗信に基づいたもの」とあるが、それを抜きにしても、宇津の山辺は夢にも人に逢はないくらい寂れてゐるとする筋書きが美しい。
つくばねの峯よりおつるみなの川こひぞつもりて淵となりぬる

後撰集。男体山、女体山から発する川を詠み「こひぞつもりて」とまとめたところが美しい。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな

拾遺集。一首全体の話が美しい。私は「春な忘れそ」のほうが好きだが。
わがいほは京(みやこ)の巽(たつみ)しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり

古今。表現では「京の巽」、内容では良寛と同じ質素な生活が美しい。

十月八日(土)
平安時代の二回目だ。前回の歌が二四六頁。その次は三百六頁迄飛ぶ。紀貫之、和泉式部、清少納言、紫式部が間に含まれる。この時代の歌が駄目だったことがよくわかる。掲載は漢詩が二割ほどだらうか。文学の主流が漢詩になったのか。
あらし吹く三室の山のもみぢ葉は龍田(たつた)の川の錦なりけり

後拾遺集。「龍田(たつた)の川の錦」も美しいが、「あらし吹く三室の山のもみぢ葉」が美しい。
夕されば門田の稲葉おとづれて葦(あし)のまろやに秋風ぞふく

金葉集。「夕されば」「門田」「稲葉」「葦のまろや」は多くの歌で使はれる語だが、うつくしい語がたくさん使はれてゐる。それより作者の解説で「正二位大納言」は不用。大納言はともかく、正二位は公家の内輪の話だ。
旅ねする夜床さえつつ明けぬらしと方ぞ鐘の音聞ゆなる

金葉集。これも同じ作者。「旅ね」「夜床さえ」「明けぬ」「と方ぞ鐘」。この組み合はせが美しい。
うづらなく真野の入り江の浜風に尾花なみよる秋の夕ぐれ

金葉集。「うづらなく」「浜風」「尾花なみよる」「秋の夕ぐれ」が美しい。
潮みてば野島が崎の小百合葉に浪こす風の吹かぬ日ぞなき

千載集。「潮みてば」「小百合葉」もだが、特に「浪こす風」が美しい。
なごの海の霞の間より詠(なが)むれば入(い)る日を洗ふ沖つ白浪

新古今。「入る日を洗ふ沖つ白浪」が美しい。
岩間閉ぢし氷も今朝はとけそめて苔の下水道求むなり

新古今、西行。「岩間閉ぢ」「苔の下水道求む」の表現と、状況が美しい。
道の辺に清水ながるる柳䕃しばしとてこそ立ちどまりつれ

新古今、西行。「道の辺」「柳䕃」と語がきれいな上に、「しばし」「立ちどまり」の状況が美しい。
山里は秋のすゑにぞ思ひ知る悲しかりけり木枯の風

新勅撰集、西行。「秋のすゑにぞ思ひ知る」「悲しかりけり木枯の風」が美しい。「日本詩歌集 古典編」には西行の歌がたくさん選歌されてゐる。その割に、私が佳いと感じた歌が少ない。

十月九日(日)
鎌倉・室町時代に入り
見わたせば花ももみぢも無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮

新古今。全体が美しい。強いて表現を探せば「花ももみぢも」「浦の苫屋の秋の夕暮」。
山ふかき松の嵐を身にしめてたれか寝覚に月をみるらむ

千載集、家隆。全体の状況が美しい。低調なこの時代にあって、家隆は佳い。
下紅葉かつちる山の夕時雨ぬれてやひとり鹿のなくらむ

新古今、家隆。下紅葉ではなく全紅葉のほうが美しい。しかし「下紅葉」「夕時雨」「ぬれてやひとり」と表現が美しい。
限りあればあけなむとする鐘の音になほ長き夜の月ぞ残れる

新勅撰集、家隆。「あけなむとする鐘の音」「長き夜の月ぞ残れる」が美しい。
わたの原やそしま白くふる雪のあまぎる浪にまがふ釣舟

新勅撰集、家隆。「あまぎる浪にまがふ釣舟」が美しい。
鐘の音も窓うつ雨にほのかにて枕に深き長き夜の闇

壬二集、家隆。状況が美しい。表現では「窓うつ雨」。
今朝みれば山も霞みて久方の天の原より春はきにけり

金槐集、実朝。「天の原より春はきにけり」がこの歌の特長だが、「今朝みれば」も巧みだ。
わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る

関八州古戦録。「松原つづき海近く」「富士の高嶺」「軒端にぞ見る」が美しい。

十月十日(月)
江戸時代に入り
かげろふのもゆる春日の山桜あるかなきかの風にかをれり

賀茂翁歌集。「あるかなきかの風」の技巧が美しい。
紀の海の南のはての空見ればしほけにくもる秋の夜の月

藤簍冊。何回か取り上げたが、「南のはての空」「しほけにくもる」が美しい。
葦がちる秋の入江の夕やみにひかりとぼしく飛ぶほたるかな

藤簍冊。「ひかりとぼしく飛ぶほたる」が美しい。
長閑(のどか)なる日影はもれて笹竹に籠れる庵も春は来にけり

藤簍冊。「日影はもれて笹竹に籠れる庵」が美しい。
冬ごもり 春さりくれば (中略、反歌も)今日もくらしつ

良寛歌集。良寛の歌を集中して読むと、感覚が麻痺して前は見逃したと思ふ。良寛の歌は、これ以外にも七首選んだが、これまでも何回も特集を組んだし、良寛の歌は全部良い、で先へ進みたい。
山の井のそこはかとなき怠りをうちおどろかす入相の鐘

海人の刈藻。「山の井」で雰囲気を作り「怠りをうちおどろかす」で状況を作る。これらは美しい。
江戸時代は、俳諧が中心で、歌は少ない。戦国時代と世の中が一転したことを感じる。あと、幕末の歌人は国学者が多いことを感じた。童謡は今も通じることも感じた。江戸時代に良寛の占める比重が高いことも感じた。(終)

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