千六百五十五(和語の歌) 山本健吉編「日本詩歌集 古典編」江戸時代
辛丑(2021)
十二月九日(木)
前回に引き続き、山本健吉編「日本詩歌集 古典編」を読んだ。新たに図書館から借りたのではない。前回借りたものを期間延長(二週間)して、主に上代と明日香時代を集中して読み直した。奈良時代以降も読んだが、江戸時代に注目すべき歌人を三人発見した。一人目は上田秋成で
かぐ山の尾上にたちて見渡せば大和国原さなへとるなり

に注目した。あと次の歌は赤字の部分が不満だが
紀の海の南のはての空見ればしほけにくもる秋の夜の月

同じく
葦がちる秋の入江の勇みにひかりとぼしく飛ぶほたるかな

赤字の部分に不満なのは、汎用性が無くなる。「紀の海の」ではなく、「暗い海」にすれば、誰もが共感する。「葦がちる」ではなく「風が無い」にすれば、これも皆が共鳴する。文学性より写実性を重視したのだらう。上田秋成の解説も載り
江戸後期の国学者・歌人・小説家。(中略)万葉集・音韻学に通じ本居宣長とも論争。

二人目は香川景樹で
けさも猶(なほ)まがきの竹に霰(あられ)ふりさら〱(繰り返し記号)春の心地こそせね

文は美しいが、技巧的過ぎる。さう思ひ、作者の解説を読むと
江戸後期の歌人。別号、桂園。(中略)あるがままの感情を和歌の本旨とした。その派を桂園派という。

なるほどと思った。
三人目は良寛で、現代人の編集した良寛歌集は、歌がこれでもかこれでもかと続くから、つひ欠点に見えてしまふことがある。山本健吉編「日本詩歌集 古典編」では、長歌と短歌を二十幾つ紹介するので、良寛は江戸時代で一番優れる歌人だと改めて思った。歌の後に漢詩も載る。
良寛は 徳川の世で 一つ目の 歌詠む人と 今頃気付く

山本健吉編「日本詩歌集 古典編」の江戸時代は、膨大な作者が登場するものの、俳諧がほとんどで、和歌と漢詩はわずかに混じるだけだ。江戸時代は、それまでと異なり平和が続いた。文学の世界もそれが影響した。
江戸の世は 戦が無くて 良い世にて しかし仏と 歌衰へる

そんな時代に良寛が出現した。時代の要請だったのかな、と思ひたい。(次へ)(終)

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