千六百六十(和語の歌) 1.良寛二つの未解決問題、2.詞書
辛丑(2021)
十二月二十日(月)
良寛には二つの未解決問題がある。
1.清国に渡航したのか
2.父親は桂誉章か
このうち1.については、渡航した可能性は80%と見る。国内にゐたのなら、痕跡が残らない筈がないし、少なくとも貞心尼には本当のことを打ち明けるはずだ。話せなかったのは、国禁を犯して清国に渡航したからだらう。
2.については、父親が桂誉章の可能性は30%と見た。良寛は歌で、以南を父親として懐かしみながら詠ふ。とは云へ、良寛の生年月日を後に山本家の人たちはなぜ隠す必要があったのか。可能性が0%ではなく30%残った。
良寛の 生まれた年が 二つ説かれる 倉敷を 出た行き先も 二つ説かれる
十二月二十一日(火)
良寛は、弟の由之と仲がいい。それ以外の弟妹とも仲がよい。だから、良寛だけ父が異なるとは信じられない。可能性として、良寛本人に内緒にした。今と異なり、役所で戸籍を調べることができない。親と親戚が口裏を合はせたため、良寛は亡くなるまで知らなかったのではないか。
しかし、良寛が亡くなった後の人たちは知った。そこで生年を作り替へたのではないか。
良寛は 越後を越えて 江戸にまで 名が広まりて 家の人 生まれた年を 後に変へたか
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十二月二十二日(水)
「定本 良寛全集」第二巻歌集を読み、詞書について私の感想が二転三転した。なぜか調べてみると、短い詞書は無意識のうちに目を通し、だから読んだ自覚がない。一方で長い詞書は途中までしか読まず、これは読まなかった自覚がある。だから、詞書を読むかと聞かれれば、読まないと答へる。「布留散東」の後半は、長い詞書が多かった。
そのことが判らず、早とちりして作ったのが次の歌だ。つまりこれは変な前提で作った。
詞書 飛鳥の後に 始まりて 私に合はず 良寛は合ふ
万葉集で、歌の前の説明文は題詞と呼ぶ。詞書は古今集以後だ。だからこの歌は詞書を飛鳥の後として万葉集を含めるから、そこも前提が変だ。
「布留散東」は良寛が、万葉集に向かふ前の、古今集、新古今集を志向した時代だから、詞書が長いのかも知れない。
私は、詞書の代はりに、文章に歌を入れる。これは古事記や日本書紀、伊勢物語に前例がある。俳諧の「おくのほそみち」も同じ発想だ。良寛は、筆の中に歌を入れた。これも同じ発想だ。
歌を詠み 文(ふみ)へ狭しと 埋め込むと 文が動きて 歌も輝く(終)
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