千六百五十一(新和語の歌) 新潟、越後湯沢旅行記
辛丑(2021)
十二月四日(土)
(乗る前の経緯は下記の閲覧注意へ移動)上越新幹線「とき」に乗った。高崎と上毛高原を過ぎて、国境の長いトンネルを抜けると雨国であった。一日目の出発前に、一日目は雨、二日目だけが曇り時々雨で何とか新潟旅行ができ、三日目と四日目は雨のことを忘れてゐた。傘も持って来なかった。昨日まで関東、南東北地方は晴天だったので、完全に忘れた。
雨天の場合は、特急「しらゆき」で上越妙高に行き、北陸新幹線で軽井沢に寄らう。そんなことを考へるうち、長岡辺りで晴れ間が出た。燕三条で雨になった。つまり、曇りときどき雨、晴れ間も出る。新潟駅に到着した時は晴れだった。
第一部

長い上越新幹線を抜けると晴れ国であった、と書きたくなるほど新潟駅前は太陽が見えた。怪しい雲はない。南口に出るのは、長岡行きの高速バスに乗るとき以来、二度目だ。駅前通りを歩き、鳥屋野潟に着いた。橋の向かう側の弁天堂を観たあと岸に沿って歩いた。新幹線の窓から見えたスタジアムは、朱鷺メッセにしては近いと思ったが、対岸の施設(帰宅後に調べて新潟スタジアム)だと判った。
鳥屋野潟 かつて田圃は 水の中 信濃川への 水出しが 進み今では 乾き田となる

途中で、ひょうが降り出した。濡れないからいいと思ってゐると、公園入口で雨になり、図書館に滑り込んだ。図書館を見ると、その街の様子が解る。郷土資料コーナーの詩歌を見ると、貞心尼の「はちすの露」がある。貞心尼の書いた序こそ、良寛の正しい伝記だ。これまで見た「はちすの露」は著者の偏りがひどいので、無視に近い斜め読みだった。ここで詠んだ本が正しい。良寛の出家を十八歳とし、しかし原文は二十二歳で誰かが十八歳にしたとある。これも正しい。時間が無いので、序のみを読んで終了した。
貞心尼の本は何冊もあるのに、なぜ良寛の本がないのだらう。二つ先の列だ、棚を見て驚いた。良寛の書籍が二つの棚に、ぎっしり詰まってゐる。これまでさいたま市立図書館にある良寛の本は、ほとんど読んだ。しかしここにはその十倍はある。一週間ほど新潟市に引っ越したくなった。

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図書館を出た後、駅行きのバスはずっと来ない。市役所行きは十五分ほど待つ。それならばと歩き始め、途中で雨が降ったのでスーパーで特売の、かに弁当を600円強で買ひ、出る時は雨が上がったのにまた降り出したりしながら駅に着いた。新幹線改札内の待合所で食べた。もし駅弁で似たものを買ったら900円はした。
新潟は 雨が降ったり やんだりで 慌ただしくも 良寛に 関はる本を 読みて役立つ

新潟駅は、大規模な工事中だ。高架の一番は敷設中、二番から四番までと、五番の対面は両面式の新幹線十一番。十一番の対面が十二番で、あと十三番と十四番。離れた場所に行き止まり式の九番と八番。すべて一昨年に新潟で乗り換へた時と同じだ。万代口の駅側にあった旧新潟鉄道管理局の建物が無くなり更地になった。
第二部

新潟から越後湯沢まで自由席で戻った。下車後は、大宮までの指定席を発券のあと、西口を出て雪国館まで往復した。ここには入場しなかったが、往復の景色を楽しんだ。と云ひたかったが雨が降ったりやんだりで大変だった。
駅の改札外に、広大な商店街がある。上毛高原や白石蔵王の五十倍はあり、観光客の数は二百倍ある。すごい賑はひだ。私も、新潟県新発田市にある酒造会社(偶然酒米の記事を引用した)の「五郎八」と云ふにごり酒を買った。店の人がビニールに入れようとしたので「いいですよ、その辺で飲んでしまふので」と云った。事実、その辺で飲んだ。アルコール分21度、リキュール。これは美味しい。
発車まで時間があったので、東口を出た。駅前にはバス停と普通の街並みがある。西口だけ観た人は、ホテルや食堂やスキー場しか見えない。しかし元からここに住む人たちと、観光施設で働く人たちが住む。
旅に出て 宿や遊びが 目に入る だが街もあり 人が住む 働く人に 子と親がゐる


閲覧注意、複雑

本日は妻が午後、家にゐるので帰りが遅くてよいと云ふ。国上山に行くには、弥彦駅から広域循環バス「やひこ号」を使ふ。しかし土曜は運休する。次に、良寛美術館へ行かうと思ったが、当初の予定では同じ日に良寛堂を含めて廻る予定だった。と云ふことで、後日三つまとめて一泊旅行で周ることにした。
代はりに、新潟駅から鳥屋野潟と県立図書館へ行くことにした。今までの三日間は、自由席だけを使った。今回は初めて指定席を使ふため、京浜東北線で大宮駅に到着ののち、在来線の改札口から外に出た。昨日までの旅行で、みどりの窓口は改札の外にあると云ふ案内を読んだためだった。
7時30分なのに、次の新潟行きは8時13分までない。上越新幹線と東北新幹線は同じ年に開業したから、運転間隔も同じだとばかり思ってゐた。考へてみれば、東北新幹線はその後、函館まで伸びた。山形新幹線や秋田新幹線もできた。後から開業した長野新幹線もその後は伸びて、北陸新幹線になった。
座席指定券を発券して改札を入り驚いた。中に座席指定券売機があるではないか。大宮駅の案内表示は、みどりの窓口が改札の外にある、ではなく、指定席券売機を使ふか、緑の窓口は改札の外、と書かなくてはいけない。(終)
(1.20追記)今回の旅行で新たに判ったことは、新幹線改札の外に指定席券売機と緑の窓口があり、更にその外側の改札の外にも指定席券売機と緑の窓口がある。つまり新幹線ホームの案内は「改札の外」ではなく「新幹線改札の外」が正しい。

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