千四百九十三 (和歌)防御は最大の攻撃(私が長く勤めることが出来た理由)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十一月二十日(金)
私が今の会社に転職したときに、入社十年未満の人たちの平均退職年数は五年だった。十年未満に限ったのは、その前に入社した人たちは、間接部門で異常に長い人が多かった。平均五年だった会社なのに、私の勤続は二十七年に及ぶ。その秘訣をこれから教示しませう。
まづ、(一)不当な攻撃にはきちんと対応しなくてはいけない。例へば入社してすぐに、早速嫌がらせが始まった。これは直前に勤務した会社の営業部長兼技術部長と云ふ実質社長代理みたいだった人が私を退職させようとし、しかし社長が今の会社に転職させたのに、この部長は転職した会社の有力営業部長と懇意だった。更にその前に勤務した準学校法人(法人化する前は株式会社)の噂は、直前に勤務した会社経由でも流されたし、準学校法人の校長、事務局長と並ぶ専門学校学生時同級生三人組の一人が、今の会社の元課長だったから、こちらからも流れた。
悪い噂を流されたとするのは私の仮説で、噂があったことは一度も云はれなかった。かう云ふ噂があるがどうなのか、と質問されればきちんと説明する。しかし、噂があったことさへ隠して退職勧奨を繰り返されれば、その一つ一つに対応するしかない。そんなやり方が、今から四年前まで二十三年間続いた。
ここで大切なことは、こちらからは攻撃せずに、しかし攻撃にはきちんと対応した。労働者派遣法違反を指摘したことがあった。東京都労働相談情報センターに仲介を依頼したこともあった。都労委、中労委に申し立てたこともあった。
こちらからは攻撃をせずに、しかし攻撃には対処する。このやり方は自衛隊に似る。
我が国の 自衛隊は
よい組織 攻撃せずに
しかしまた 日本が攻撃 されるも許さず
(反歌)自衛隊 日米同盟 無いときに これができたら スイスに並ぶ

十一月二十一日(土)
次の秘訣は、(二)派遣をやらなかった。きちんとその後のキャリアパスがあれば、派遣をやっても構はない。しかし経営側は従業員を派遣に出すと、短期の損得だけに注目しがちだ。人間関係や組織感情も考慮しなくなる。派遣が無くなったときにどう云ふ扱ひを受けるか。
私の場合は更にひどく、担当営業が聞こへよがしに、「いやあ、この職場はほとんど退職するからな」「残業手当が付かないから、長時間勤務すると儲かるなあ」と言った。
私は課長代理と同じ扱ひで、10時間までしか残業手当が付かなかった。このときの不払ひ分は、今年になってコロナ騒ぎで在宅勤務となった分の給料より、更に多い。そもそも在宅勤務は休日ではないから、給料が支払はれて当然だが。
そんなことがあったので、労働者派遣法の規定によって、今後は派遣をやらないと通告した。その後も、派遣ではないのに派遣だったりと攻撃はあったが、一つ一つ反撃した。
派遣法 偽装請負
法律で 派遣とするも
そののちも 偽装請負 ずっと続く
(反歌)下請けと 派遣を禁止 することで 人件費による 平衡機能
高収益企業は、人件費が増大することで平衡機能が働く。しかし下請けや派遣を認めると、平衡機能が働かなくなる。

十一月二十二日(日)
基本給裁量給化事件もあった。ある月の給料が突然低くなった。人事部に問ひ合はせると、基本給の一部を裁量給にしたため、残業手当は15日締めだから、裁量給の半分は翌月払ひになったさうだ。そんなものは駄目だと云ふと、翌月払ひになった分は、最後に払はれるから額は同じだと云ふ。
まづ金利分を無視した。1ヶ月だけ給料が突然減って、減った分は最後に支払ひますと云はれて納得する人はゐない。それより問題なのは、基本給から裁量給に回した分は、将来裁量制度廃止とともに払はれなくおそれがある。だから基本給の裁量給化は絶対に認めてはいけない。この件は東京都労働相談情報センターに仲介してもらひ解決した。
都労働 相談情報 センターは 今も役立つ 労政事務所 変はる前の名
(反歌)労働局 労働相談 始めたが 都道府県は 身近で役立つ
今回は仏足石歌を試した。六句目は五句目の補足で小さく書く。労働局は監督署と職安を配下に持ち、長らく労働側より経営側との接触が多かった。だから15年くらい前の感覚では、労働者が相談するには都道府県の労政事務所のほうが合ふ。これまで労働相談を長年受け付けてきたからだ。

十一月二十三日(月)
次の秘訣は、(三)攻撃的になってはいけないが、我慢してはいけない。我慢するとは、ひもが伸びた状態だ。そんな状態を続ければ、心身に悪影響が出る。攻撃にきちんと対応すれば、我慢する状態にはならない。
派遣ではなく週二日コンサルタントとして行くだけだと云はれた。ところが週五日で嘘をつかれたので、週二日に戻させた。嘘をついた二人(上司と営業部長)は反省すべきなのに、コンサルタント契約の切れる半年後に週五日を強行しようとして大変な騒ぎになった。
まづ喫茶店激論事件があった。終業後に話があると云ふので喫茶店に行った。営業部長とともに四流銀行から押し付けられた社長の大学時代のお友だちが来た。週五日を強行しようとするので、前の派遣先(会社は請負だと後の都労委で言ひ張った)があまりにひどかったことや、労働者派遣法違反を主張した。営業部長が私にバカだと発言したので、ここを追求し謝罪させた。ところが暫くしてまたバカだと言った。この男は本当にバカだ。今回は何もしなかった。バカにバカだと云はれても怒る気にならない。
喫茶店激論事件は、営業部長と四流銀行押し付けられ男の発言に対し、私は倍の反論をした。時間ではなく内容で。半沢直樹の「倍返し」の十五年前のことだ。営業部長は、まもなく退職した。私の仮説では、営業成績が悪いからクビだが、あの男を派遣に出せば残してやらうと云はれたのだらう。誰に云はれたかは不明だ。
経営は 人を有効 利用する これが株式 公開の道 公開できず
(反歌)株式の 公開目指し その後は 目標失ひ 迷走があり
(反歌)目標を 失ふ組織は 気をつけよ 私利と私欲と 利権意地悪
(反歌)倍返し 騒ぎを避ける 為に在る 半沢直樹は 騒ぎを大きく

十一月二十四日(火)
次の秘訣は、(四)長時間残業をしてはいけない。これまでに長時間残業をして、うつ病になった人をたくさん見た。休職し精神科や心療内科で治療のあと復職するものの、ほとんどは長続きせず退職する。だから長時間残業は、絶対にしてはいけない。
私の場合は、期せずして長時間残業と無縁になった。週二回コンサルタントだと云はれて実際は週五日の派遣だった事件で、半年後に騒動が再燃した。そして契約は打ち切りになった。悪いのは嘘をついた上司と担当営業だ。
打ち切りになった後は、半年前までの職場に戻すのが当然だ。部長がそれでは困ると云ふのなら、部長を解任すべきだ。嘘をついたのだから。それなのに、私が移動になった。新しい部署は閑職で、それ以来、残業をする機会がなくなった。
担当営業はすぐ退職した。上司は五年ほど居座り、私と顔を合はせる度に舌打ちするやうになった。かなり大きな音で、最初は驚いたが、二回目からは「そんなことを続けると、心身に影響が出るし、自分が退職しないと釣り合ひが取れなくなる」と呆れるやうになった。たまたま別の人と打ち合はせ中に、横を通り舌打ちしたので、打ち合はせ中の人が凄く驚いたことがあった。
退職しないと釣り合ひが取れないの意味は、私を退職させようとした場合に、私と敵対してゐてはその人を退職させないと、あの男は退職しないなと誰もが考へる。予想どほり数年後にその男は転職した。外資系会社の仕事を受注するうちにスカウトされたとの発表だった。私は偽装転職を疑った。そしてこの疑問は正解だった。東北太平洋沖地震の前年に戻ってきた。
残業は 非常のときの 行為にて すればするほど 我が身を削る うつ病になる

十一月二十五日(水)
次の秘訣は、(五)会社や周りの人たちと敵対してはいけない。会社から雇用されたからには、会社の一員だ。周りの人たちも会社の一員だ。だから敵対してはいけない。経営側から嫌がらせや退職勧奨があったときに、多くの人が間違へることは、周りの人たちまで敵にしてしまふ。或いは会社の業務をいい加減にやったり損をさせることをして、周りの人たちに嫌悪感を与へることだ。
周りの人たちは味方、会社も味方。敵はゐない。と云っても敵対する経営者には対応せざるを得ないから、敵になってしまふが。
この世には 敵なぞゐない それならば ここは楽園 ここは極楽 衆生本来仏なり

今回は初の試みで、第六句では漢字一字を一音節とした。(終)

追記十一月二十七日(金)
今回の前提として、経営側の人間が次々に辞めさせられたり裏切ることが続いた。それが無かったときは(五)が少し変はるが、それはまた機会を見てお話したい。
営業部長の次に、顧問事件と云ふのもあった。都労委と中労委に申し立てた事件と、再雇用規則変更事件もあった。これらについては、機会を見てお話したい。

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