千五百一 (和歌)多人数が注目しないことに注目
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十二月十三日(日)
私のホームページでは多人数が注目しないことに注目することに、気付いた方も多いことでせう。三年前の旅行ではねぶた祭り、ねぷた祭り、竿灯祭りの始まる前日に青森、弘前、秋田に行った。先月末の旅行では、ストーブ列車の運転が開始される数日前に津軽鉄道に乗った。
これらは、有名な祭りやストーブ列車を気にせず旅行を組んだら、たまたまこれらの直前になっただけで、混雑を避けた訳ではない。ストーブ列車の運転される前に乗ったので、普通の気動車でも観光アテンダントが乗務することがあるのか、と判ったし、普段の津軽鉄道の雰囲気が判った。
インターネットで調べると、客車が一両のときは気動車が客車を牽引するし、二両以上のときは機関車が牽引しストーブ列車料金を払はない地元の人たちのために気動車も連結する。ここでは、次のことに注目するとよい。
(1)操車場で中継する貨物輸送が廃止される前の国鉄(及び貨物が乗り入れる全国の私鉄)では、機関車が貨車(或いは客車)と気動車を牽引するときは、気動車を最後尾(車掌車があるときはその直前)に連結する。津軽鉄道では、終点で折り返すと気動車の後方が客車になるが、連結器を補強したのか、或いは後方が二両だからよいのか。
(2)気動車が客車を牽引できるのは、気動車の出力を増強したのか、或いは速度がそれほど速くないので大丈夫なのか。
上記の赤い部分は、日本では珍しい。全国から青森県を訪れて、津軽鉄道に乘らう。そして鉄オタにかぎらず、普通の人も赤い部分を全国でここだけだと満喫しよう。
全員が 一斉注目
することに 自分も加はり
入っても 世のため地球の ためにはならず
(反歌)世の中は 付和雷同に なりがちだ しかしそれでは 補正ができず
十二月十四日(月)
多人数に付和雷同してはいけないが、多人数を見下してもいけない。それをやるのが、いはゆるリベラルである。
私は長年、日経ビジネスと云ふホームページからメールが送られる無料会員だったが、二ヶ月くらい前に退会した。経営や経済に関する良質な記事がある一方で、日本の労働法制を解雇自由に誘導しようとする記事も幾つかある。
私が退会した理由は、そのことではない。二人のコラムニストが不快だった。うち一人は四十年近く前にパソコン雑誌の記事が面白く、当ホームページでも一回誉めたことがあった。ところが病気になったためか、文章が冗長でとうてい最後まで読めなくなった。それはまだよいとして、題がリベラル過ぎる。もう一人も冗長で題がリベラルだ。内容は二人とも読まない。
リベラルは 大多数を
見下すが それでは駄目だ
西洋の 真似ではなくて 国民の為に
(反歌)西洋の 物まねなのに 進歩派と 勘違ひして 多くを見下す
十二月十八日(金)
民主主義を叫ぶ人間は悪質だ。そのことを感じたのは、富士通労組の全国大会だった。製造業のほとんどの大企業は、管理職を除いて労働組合に入らなければならない。さう云ふ協定を労使で結んでゐるからだ。
組合支部の執行委員は、勤労部の指示でなった人さへゐる。本人がさう云った。そんなところで民主主義を叫ぶことは、会社の言ひなりになれと云ふことだ。
この男の前に委員長だった男は電機労連委員長で、来賓あいさつでまともなことを言った。昭和五十年代のストライキが行はれた時代と、そのあとの行はれなくなって十年で、こんなに劣化するのかと驚いた。
しかし電機労連委員長も、初代全民労連委員長になったあと、官公労との統合で初代連合会長を狙ふ全電通の山岸さんが、この男を社会党参議院選挙の比例一位に祭り上げた。議員になって最初は社会党らしかったが、最後は自民党と変はらなくなった。
民主主義 江戸時代なら 叫ぶと偉い
権力と 出世が好きな 人ほど叫ぶ(終)
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