千四百九十九 (和歌)正信会を考へる
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十二月十日(木)
佼成図書館で、正信会任意団体派の機関紙と、XX会昭和四十五年以降残存組織の機関紙を読んだ。正信会は宗教法人を設立するかどうかで、二つに分裂した。正信会宗教法人派の機関紙は佼成図書館にも国会図書館にもないので、不十分な調査ではあるが、判ったことを述べたい。
その前に、今回から各団体の正式名は用ゐないことにした。その理由は、元妙信講が旧本門宗北山下条中間地点北側派のことを寺の名で呼んでゐる。そのことは構はないが、正信会から今年四月に分裂した人まで、同じ名称方法を使ひ始めた。
私個人としては、元妙信講の非常識な布教方法に抗議して同団体を正式名で呼ばなくなったから、同団体の命名法と間違はれないため、寺の名は入れずに地点表示に改称した。決してこの宗派への不満が増大した訳ではない。だから平衡を取るため、X宗とXX会も、呼び方を変へた。
これまでの名称
これからの名称
理由
X宗
身延池上中山京都野合宗
寺族(僧侶の家族)に性格の悪い人がゐる
XX会
XX会昭和四十五年以降残存組織
XX会は布教のための実行部隊で、昭和45年に布教を停止
旧本門宗X寺派
旧本門宗北山下条中間地点北側派
元妙信講がX寺を使用
元妙信講
元妙信講
非常識な布教
正信会
任意団体派と宗教法人派
組織分裂
元妙信講は人数が増えてゐると主張するが、実働人数がまったく増えない。しかし受戒人数を誤魔化すことはしないから、講員が無理な布教を行なひ、世間の顰蹙を買ふ。同じ方法を始めたのが旧本門宗北山下条中間地点北側派だ。
十二月十一日(金)
正信会任意団体派の機関紙に、昔の貫首や僧侶のエピソードが載る。これはよいことだ。私が正信会(宗教法人派と任意団体派の双方とも)こそ、旧本門宗北山下条中間地点北側派の伝統を受け継ぐと主張する所以だ。
とは云へ、正信会任意団体派の機関紙に、気になる内容が二つあった。一つは、英明な法主が現れたときは、この宗派に戻ると云ふ。この宗派では僧X以来の血脈が法主にあると主張する。その血脈が六十六世で切れたとするのが、正信会だ。血脈が切れたのだから、英明な法主が出現することは永久にない。
二番目に気になる記事は、僧X僧△の時代は伝統、後世は伝説だとする。伝説は、それぞれ都合のよいことを加へたのだと云ふ。それは正しい。しかし(1)それでは原理主義になる、(2)後世の伝説を経ずに、伝統に遡ることが可能か。
そのために、僧Xや僧△の古文書があると主張することだらう。古文書は、判り切ったことは書かない。しかし今の時代は、判り切った内容が昔とは異なる。つまり古文書は一部を伝へるに過ぎない。
僧Xや僧△の時代を遡るには、まづは六十五世日淳、六十四世日昇、五十九世日亨の時代を知る人たちの記憶や文書を経由するのがよい。これらはXX会出現後の影響をほとんど受けてゐない。
原理主義 近代にては
薩長の 廃仏毀釈が
典型だ 古代の神話
盲信し それでは途中の
膨大な 人たちによる
融合の 努力を破壊 先の敗戦
(反歌)
敗因は 工業力が 一番で 宗教破壊を 二番と推定
(反歌)
宗教を 軽視はできぬ 近年の 温暖化とは 宗教破壊
(反歌)
西洋の 野蛮思想の 根源は 唯物論だ 悪魔の思想
十二月十二日(土)
戒壇の板本尊だけが僧X大聖人の本懐で、それ以外は戒壇本尊の写しとする教義には、無理がある。ぎりぎり妥協できる線は、すべての本尊は一機一縁で戒壇本尊もその一つだが、僧X遺命の戒壇建立の暁に安置するものだから、戒壇本尊が僧X直作のなかでは第一。
とは云へ、戒壇建立の暁に安置する仏像は、本尊の図の如し。この古文書をどう解釈するか。
そんな議論を超越する出来事が発生した。河辺メモである。これで戒壇の板本尊が後世の作であることは、確実となった。
血脈は切れた。戒壇本尊は後世の作だ。これで教義を旧本門宗北山下条中間地点北側派は、僧X、僧△の時代に戻せる。こんな有難いことはない。
十二月十三日(日)
昭和四十五年以降僧Xを信仰すると、性格が悪くなる。しかしそれでは真面目に信仰してきた人たちが救はれないから、宗派会派の伝統保持など特殊な使命があれば、性格は悪くならないことを示してきた。だから正信会、法華宗各派、霊友会、立正佼成会などは大丈夫だ。
身延池上中山京都野合宗は、個々に活動する人たち(池上での講習会、名古屋でのパゴダなど)は大丈夫だし、僧侶は荒行で(本人は参加しなくても)好影響があるが、寺族は駄目なことを前に指摘した。
XX会昭和四十五年以降残存組織は、広宣流布(布教完成)と云ふ目的を昭和四十五年に放棄したから既得権集団になったが、復帰の方法を既に示した。
旧本門宗北山下条中間地点北側派は、血脈が切れて、戒壇本尊が後世の作であることが判ったのだから、それに対応すれば、北山、西山、保田、京都を含めて、カルトではない本門宗として復活できるだらう。(終)
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