千四百六 1.(モリカケ疑獄百九十一の五)二階及び中曽根を批判、2.そして社会党と総評が消滅しプラザ合意もあった
庚子(仏歴2563/64年、基督歴2020+3+α年、ヒジュラ歴1441/42年)
一月二十六日(日)
モリカケ桜ゴーンIRの安倍を支へる二階について、一番批判されるべきは安倍を支へることだが、二番目は中曽根の後継と云ふ事実であらう。
中曽根は悪質な男だ。当時の国鉄で国民から最も嫌はれた動労本部を寝返らせて、国鉄民営分割を行なった。その後遺症は、昨年のJR東日本の組合員JR総連脱退騒ぎまで続く。
JR総連について、牧さんが批判する本を著されたので、当ホームページも何回か紹介した(123)。
中曽根の行った動労本部寝返り工作への批判では、牧さんと意見が一致するものの、今回牧さんが「現代ビジネス」に書かれた
中曽根元首相が私に語った「国鉄解体」を進めた本当の理由

では、中曽根の主張にかなり反論しなくてはならない。牧さんは中曽根の話した内容を書いただけだから、牧さんに責任はない。

一月二十七日(月)
まづ
国鉄分割・民営化によって「昔陸軍、今総評」と言われた戦後の政治体制は一変する。「中曽根氏の存在抜きに国鉄改革は語れない。国鉄分割・民営化はまさに“戦後昭和”の解体だった」――これが集まっていた一同の一致した見解だった。

冒頭からこれは間違ひだ。「集まっていた一同」の意見だから牧さんの責任ではないが。一同とは
国鉄分割・民営化を旧国鉄内部から推し進めた「改革三人組」の一人、井手正敬氏(元JR西日本社長)ら旧国鉄関係者とその過程を取材したジャーナリストとの会である。

ジャーナリストには、自民党支持と社会党(当時)支持、更には公明党、共産党、民社党(当時)支持の人がゐるだらうが、この感想は間違ってゐる。国会が国鉄改革八法案を可決したのが一九八六年十一月。その四年前に全民労協が結成され、これは協議体から連合体に移行し、官公労を合流させ、従来の労働四団体(総評、同盟、中立労連、新産別)を解散させる。
つまり一九八二年に、総評は解体することが運命付けられた。国労と動労がいくら民営分割に反対しても、賛同するのはわずかな単産(全国金属、全国一般、全印総連など)に所属する一部組合と、共産党系の統一労組懇だけだった。
中曽根みたいな矮小で腹黒い手法の政治屋に、戦後の政治体制一変なんてできるはずがない。とはいへ中曽根のしたことは三十四年前のことだ。今さら批判する必要はないのだが、中曽根の後継者たちがモリカケ桜ゴーンIRの安倍を支へる以上、批判せざるを得ない。
中曽根の後継者たちは、早く反安倍に回るべきだ。

一月二十八日(火)
中曽根政権の強硬姿勢に抵抗できず、仁杉総裁以下14人の常務理事全員が辞表を提出、(中略)総裁、副総裁、技師長を含め半数の7人の解任を決めたのである。国鉄史上最大でかつ異例の首脳刷新人事である。
ここまでは事実だ。しかし中曽根の次の発言ははったり、でまかせだ。その部分を赤色にすると
「国鉄分割・民営化によって国鉄労組が分解し、総評が潰れた。それが社会党の生存基盤を奪った。私は国労が崩壊すれば総評も崩壊するということを明確に意識してやったのです」

一九八二年に総評など四団体の解散は既定方針になったが、社会党の消滅は別の理由だ。それは一九九四年に村山富市が自民党と連立政権を組み、しかも首相になったからだ。
更に二年後に社会党を解散し社民党を結成した。あのときは党名変更ではなく、社会党を解散し社民党を結成したと大々的に情宣した、今は不明だが。今では昔からの社会党だらうと、新たに結成した社民党だらうと、国民からその存在すら無視される。
中曽根は、このやうにはったり、でまかせばかりの男だった。死後まで批判されるのは、その後継者たちが、モリカケ桜ゴーンIRの安倍を支へるからだ。

一月二十九日(水)
社会党が野党第一党だった時代を硬い対決と呼び、社会党消滅後の時代を軟らかい対決と呼ぶ。前者は労使対決だったが、後者はフェミニズムや同性愛公認になった。今から十五年くらい前だらうか、さういふ記事を一回だけ読んだことがある。私はこの主張に賛成だが、その後、管見では同じ種類の主張は出て来なかった。
硬い対決の時代には、保守(社会主義に対して現状の経済を守る意味)も革新(社会党の社会主義、公明党の人間性社会主義、共産党の共産主義、民社党の民主社会主義)も、国の独立を大切にした。
しかし軟らかい対決では、自民党がアメリカの猿真似、野党もアメリカの猿真似。日本はとんでもないことになった。日米安保条約を維持するのは構はない。しかしアメリカの猿真似をしてはいけない。
連合が誕生したときに、全電通の山岸さんは、労働政権を確立しようと尽力した。山岸さんは社会党総評ブロックの右派の頭目と見做され、左派から毛嫌ひされたが、一回試す価値はあった。ソ連が崩壊したあと、社会党総評ブロックがマルクスレーニン主義を保つことは無理だ。西欧式の労働政党に非西洋を加味すれば、二大政党に成れた。
将来、社会党及び民社党に、小沢一郎さんの新進党が加はれば、まさに労働政党+非西洋になれた。それをその前にぶち壊したのが、中曽根だ。
既に総評は解散の潮流に乗ってしまった。それなのに国労の解体、動労の裏切りを画策する。非正規雇用を置き去りにした今の不安定な日本は、中曽根の腹黒い政策が原因である。

一月三十日(木)
昨日の件を再度説明すると、暑ければ上着を脱ぐし、寒ければ上に着る。それなのに中曽根は、逆をやった。既に総評の解体が決まってゐたのに、国労の解体と動労の裏切りを画策した。話はさかのぼり、中曽根が
行管庁長官に就任するとすぐさま、“第二臨調”(臨時行政調査会)設置を決断する。(中略)土光氏は第二臨調の経済界出身のメンバーとして迷わず伊藤忠商事の前会長、瀬島龍三氏を指名した。かつて関東軍参謀だった瀬島氏は当時、中曽根氏の参謀役でもあった。
瀬島氏は第二臨調の事実上の“参謀長”として、臨調内の“戦略会議”を主宰、臨調の議論をまとめる役割を担い、“臨調の官房長官”と呼ばれるようになる。後にこの瀬島氏と国鉄内部の若手改革派を繋ぐ連絡役を果たしたのが「改革三人組」の一人、葛西敬之氏(後にJR東海社長)だった。

私がソフトウェア業界に転職する前に、環境計量事業と作業環境測定事業の会社に四年間勤務した。最初、環境計量士の有資格者がゐなかったため、幹部自衛官を二等陸佐で定年退職した人(自衛隊は定年が早い)を副所長として採用してゐた。
昼休みに皆が会議室でテレビを見ると、中曽根が首相に決まるニュースをやった。そのとき、元幹部自衛官が「中曽根は内務官僚だから何をするか判らない。内務官僚は恐いよ」としみじみと言った。そしてやったのが動労の裏切り画策と国労の解体だった。
これらは過去の話だ。しかし中曽根の後継者どもが、モリカケ桜ゴーンIRの安倍を支へるので、蒸し返される。

一月三十一日(金)
中曽根で評判の悪かったことがある。組閣のときに他の派閥をかき混ぜることだ。派閥内の反主流派を釣り上げる。これで他の派閥は、大変なことになった。
同じことをやるのが安倍だ。安倍も他の派閥をかき混ぜる。そして国鉄三人組の葛西は、アベ友だ。モリカケのうち、モリは元トモ、カケは現トモだ。

二月一日(土)
中曽根で悪いことがもう一つある。プラザ合意だ。その直後のバブル経済で悪影響が覆い隠されたが、バブルはいつかは弾ける。弾けた後で、プラザ合意こそ日本が駄目になった元凶になった。
それまでは、働けば立派な社会人だった。そもそも失業率が低いから働く先は幾らでもあったのだが、大企業と中小企業の格差はなかった。そればかりか中小企業のほうが大企業より給料が高いくらいだった。
プラザ合意の結果、国際的に給料が約2倍になった。中小企業はその給料ではやって行けず、倒産や廃業が相次いだ。公務員や大企業は人減らしがなかったから、このとき大企業と中小企業の格差が生まれたし、大企業は非正規雇用で帳尻を合はせるやうになった。
失はれた30年と云ふ言葉がある。悪いのは中曽根だ。バブル崩壊後の二分化が今も続く。その中曽根の後継から四選支持など甘言を云はれる悪いやつは、Aだ。誰とは云はない。

二月二日(日)
大企業は人減らしがなかったと書いたが、実際は水面下で動きがあった。中立労連の富士通労組を例に挙げると、工場労働者である技能職を、事技(事務技術)職のCE(ハードウェア修理技術者)に転換するための訓練や転勤が行はれた。
技能職は最高位が工師で、これは事技職の課長(とその一つ下の課長代理、調査役)の技師・主事より一つ下の、技師補・主事補と同位だった。つまり技能職は課長の二つ下までしかなれなかったが、労組ではその前に、工師より下の職長のゐない職場があることが問題になってゐた。
これらの問題は組合員にはそれほど問題にならず、技能職は事技職より少し給料が低い。こちらのほうが、CEに職種転換への誘導になった。
このときの職種転換は序の口で、今思へば労働側への影響は軽微だった。その10年後、15年後に、工場閉鎖が、ずっと続いた。
ここで技能職は、何級だと旋盤でどう云ふ作業をするなど、労使協定できちんと規定されてゐた。中曽根のプラザ合意で技能職の比重が激減し、仕事内容を労使協定する伝統が途絶へた。技能職の多い社会は安定する。技能職の少ない社会は不安定だ。中曽根の悪行が今日の不安定な社会に繋がる。国民は、矮小な政治屋をいくら恨んでも恨み足らない。

二月三日(月)
バブルが弾ける前に、大企業では組織もバブルになった。富士通を例にとると、全国にあった膨大な数の出張所を支店に格上げした。トールダイヤルと呼ぶ社内専用電話は、旧支店までしかなかったが、これを膨大な数の新支店にまで広げた。取締役の人数はこのあと倍増するし、ライン以外の役職は本部長付、事業部長付、部長付、調査役(実体は課長付)だけだったが、このときから急増することになる。
私はバブル経済が原因とこのとき考へたが、本当はプラザ合意で収入が二倍弱に増へたためだった。下請けと非正規雇用にしわ寄せすることで、帳尻を合はせた。このときから日本国内は二分化された。中曽根のプラザ合意は、実に悪質だ。

二月四日(火)
富士通と云へば、昨年2850人を退職させる事件があった。これだけなら外部では事情が判らないから、何とも云へない。しかし人事の幹部が、マスコミへ一方的に言ひ放った。
事務部門社員の3割に相当する5000人の配置転換を実施しました。(中略)配置転換先はほとんど営業部門への異動でした(中略)『技術者が総務で何の仕事をしろというのか』『ソフトの開発をやらせないから稼げないんだ』といった不満を仲間同士でまき散らす者が増えてきた。こんな社員でも辞めろとは言えません。文句を言うなら稼いでこいと、ほぼ全員を営業に配置転換したんです

全員が言った訳ではないので、ひどい言ひ草だ。それより驚いたのは、会社の言ひなりになって黙って辞めたことだ。労組に相談するなり行政に相談するなりすべきだ。
私の経験だと、今の個人加盟労組は円満退職と引き換へに解決金で解決し、その1割なり15%をカンパさせることで専従の給料に回すところが多い。
ほとんどは真面目に活動するからよいのだが、中にはさうでもないところがある。或いは全労協系の組合なのに、アメリカから表彰されホワイトハウスに招待されたと言って「アメリカは民主主義だ」と叫ぶ奇妙な連中もゐた。
私が労組から手を引かうと考へたのは、これら二つの醜態を見たときだった。
総評が健在なら、単産、東京地評、地区労の交流で是正された。大単産として国労が全労協に加盟すれば、地評、地区労を含めて、今と異なった。国内が二分化されることもなかっただらう。矮小な男は政治屋になってはいけない。

二月五日(水)
1975年の富士通労組30年史を読んだとき、全国の革新知事市長誕生を喜ぶ内容など、総資本対総労働の対決が一貫してゐることに感動した。85年の40年史には、感動する内容は一つもなかった。その理由は、75年には毎年ストライキをやった。85年はやらなくなり5年くらいを経過した。そのとき、労組は2年ストライキをやらないと組織が駄目になると気付いた。
それでも中立労連は総評とともに社会党を支持し、選挙の時に最高裁裁判官の国民審査は全員×を付けるやうビラが回覧されたりもした。社会党を支持することで、かろうじて75年にはあった息吹を保った。
一時、社会党の土井委員長の人気が高まった。直後に富士通労組の職場委員以上には土井さんの写真の印刷されたテレホンカードが1枚づつ配られた。電機労連が政治献金したのだらう。これで土井人気は色褪せると思ったら、そのとほりになった。
総評など4団体が解散を決定し、社会党が退潮したのは、当時の流れであって、中曽根は何の関係もない。それを自分の手柄話にする中曽根は、悪質な男だ。

二月六日(木)
総評の解体は既定路線だったが、国労の解体で今の全労協は極めて弱体化した。国労があのまま健在なら、日教組や自治労や県評、地区労を巻き込んで、全労協はもっと影響力のある組織になっただらう。国労の弱体化は社会を不安定にした。資本主義とそれに反対する勢力があってこそ、社会は安定する。
そして、かつての革新勢力はリベラルを自称し、それは社会を破壊する主張をするやうになった。
つまり中曽根のやったことは、二重に社会を不安定にすることだった。そして死ぬ前のインタビューでは、既に解体が決まってゐたのに、総評の解体を自分の功績だと嘘をついた。

二月七日(金)
プラザ合意で国内の人件費が世界的に高くなった結果、自然資源を浪費する費用が相対的に安くなった。プラザ合意前の電力は、電灯(単相100V)が200KW以上で21円くらいだったが、35年後の今でも22円くらいだ。これは石油、鉄鉱石、その他の自然資源でも同じだらう。人件費が2倍弱になったことを考へれば、激安になった。
だから大問題になってゐる地球温暖化について、プラザ合意の前まで日本は小消費資源国だったが、今では欧米並みになった。
海外旅行の費用も半額になった。その結果、安直に西洋の猿真似をする連中が増へた。かつて日本国内は、政治も文化も経済活動も独自のものがあった。例へばラヂオのNHK第二放送に「ビジネス英語」といふ番組がある。30年ほど前に、当時の英米人ゲストは日本語が堪能な人で「日本企業のよいところは上司が部下を育てるところですね」と言ひ、講師の杉田敏さんも「さうですね。それが日本企業の良いところですね」と応じた。それが今では「こんな社員でも辞めろとは言えません」と2850人を退職させる世の中になった。
西洋の猿真似をするなら、経営者は任期途中で解任されたり、労働組合は企業別ではなく職能別にしたり、労働者は転職先がすぐに見つかる世の中にしなくてはいけない。中途半端に自分たちに都合のよい猿真似をするから困る。
今日の、地球と社会を破壊する日本こそ、中曽根と云ふ矮小政治屋の為した結果だ。

二月八日(土)
これまで述べて来たやうに、総評解体も社会党消滅も、中曽根とは無縁だ。それなのに中曽根は、自分の手柄話にしてしまった。今後、総評解体と社会党消滅による社会への悪影響は、すべて中曽根の責任にして構はない。本人が自分の功績だと語ったのだから。
それにしても、総評解体と社会党消滅が原因でこんな世の中になってしまったのに、それを自慢するとは呆れた男だ。三角大福と云ふ言葉が流行った。いつの間にか、三角大福中と云ふ表現を新聞が掲載するやうになった。しかし、本当に三角形の大福が登場したころとは異なり、三角大福中はほとんど広まらなかった。これが戦前の内務官僚のやり方か。(終)

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