千四百十九(その三) 以上の二つを踏まへて「従業員」「会社」「社長」のうちターミネーションして違法なのは
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
二月二十一日(金)
「従業員」「会社」「社長」の三つのうちターミネーションすると違法なのはどれだらうか。正解は「従業員」のターミネーションだ。その理由は
1.会社は倒産すれば消滅するし、株主総会で解散することもできる。
2.社長は、取締役の任期が決められてゐるし、取締役会で社長の交代があり得る。
3.従業員の解雇は、労働関係各法で制限があるし、そもそも裁判、労働審判と云ふ面倒なやり方ではなく、労働争議で解決すべきだ。
私がごく稀に「会社を倒産させるのは構はないが、不当解雇は受け入れるな」と主張する理由はここにある。これだけ聞くとずいぶん過激だと思ふ人もゐるだらう。しかし私は単に、法律の解説をしただけだった。
とは云へ、会社が倒産したら、多くの人が路頭に迷ふ。倒産させず、しかし不当ターミネーションはさせない。これが着地点だ。
「社長」の追放にも反対だ。私は下剋上(下が上に克つ)が嫌ひだ。だから私ほど人畜無害な人間はゐない。上を追ひ落としたりしないからだ。
しかし下等上(下は上に等しい)は好きだ。こんなことを云ふと、さう云ふ考へが思ひ上がりだ、と眉をひそめる人もゐるだらう。しかし労働基準法第2条第1項を見よう。
労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
労働者のターミネーションを宣告されたときは、労働者も遠慮なく社長の引退を主張しよう。片方がターミネーション状態で、対等に決めることはできない。法律は遵守すべきだ。
二月二十二日(土)
労働者が法律で保護されるのは、弱者だからだ。ところがプラザ合意の結果、収入が国際水準で二倍近くに跳ね上がり、大企業の労働者は労働者ではなくなった。プラザ合意で、大企業から工場労働者が激減した事情も重なった。
それなのに日本の労働組合は大企業がほとんどで、しかもユニオンショップ(強制加盟)、組合費給料天引きのところが多い。ユニオンショップではなくても、大勢に従はう、波風を立てるのは止めよう、と云ふ日本社会の気質と、終身雇用を前提とするから出世競争から外れたくないとする心理が働く。革マルに影響されてゐると国会答弁されるJR総連から、JR東日本の従業員が昨年まで金縛りにあったやうに脱退できない事情はこれだった。
大企業では下請けや非正規雇用も進み、正規雇用者の下がたくさん存在する。だから大企業正規従業員には、法律の保護は不要となり、経済団体などもそのやうな主張をさかんにするし、経済新聞などもそのやうな記事を載せるやうになった。
この流れに反対ではないのだが、このまま進めると、ますますしわ寄せが下請けや非正規雇用に来る。この流れを正しいものにするには、ユニオンショップと組合費天引きの禁止がよい。
二月二十三日(日)
私が二十八年前に勤務した情報処理専門学校は、後に倒産した。これは私と関係がない。ところが私のせいだとあちこちに悪口を云はれてしまった。
例へば私が以前に勤務した会社は今の会社と取引があり、私は転職後に所用で訪問したことがある。そのときその社長から、さう云ふ噂があったと云はれた。
今の会社で課長代理(と云ふ役職が私が転職したときはあった)だった人は、校長と専門学校時代の同級生だったので私が転職する数年前に教員に引き抜かれ、同じく同級生で学校ナンバー2の事務局長とともにナンバー3だった。悪口は当然今の会社に伝はっただらう。
そのため私を追ひ出さうとする騒ぎになり、それは後の労働委員会騒ぎまで続いた。私が倒産させるかどうかなんて、話せば判る。悪口を真に受けた人たちは、人を見る目がない。
倒産の件を説明すると、校長が学校のカネを数億だか誤魔化して解雇された。理事長は二つの専門学校を廃校にしようとしたが、理事長の個人認可は一校だけで、もう一校は東京都の行政指導で準学校法人だったため、息子が父親に反抗して経営を続けた。そのとき多くの教員が退職して人数が不足し、私にまで教員に戻らないかと話があったくらいだった。
このとき国内の高校卒業者はピークで、このあと0歳に至るまで人数は18年間減り続ける。今まで入学生を集めるのに四苦八苦したのに、もはや経営を続けるのは無理だった。
私のせいだと悪口を云はれた理由は、この学校は教員のターミネーションばかりやり、数年前に私を含む1割ほどを解雇しようとした。私は、各専労協の千代田学園労組の指導で、学校の違法部分を都庁の学事課に通報した。
このとき学校は破竹の勢ひで3校目を開校しようとしたが、私の通報が効いたか、或いは東京都が事情を把握してゐたのか、不認可になった。おそらく後者だと思ふ。二校目を開校するときに在校生を新しい別の専門学校に強制転校させたが、東京都はそのやり方を違法とするし、学生や保護者から苦情が出たはずだ。
ましてや校長の多額横領と解雇、理事長と息子の内紛、息子の経営がうまく行かなかったことに、私は無関係だ。
ところが、私のせいだと悪口を流された。この場合、いくら言ひ訳をしても信用は半分も戻らない。そればかりか私の転職した会社は赤字がひどく、それなら私を入社させなければいいのに、毎年大量のターミネーションが行はれた。そんな状態だったからターミネーションをあたり前のやうに考へ、私をターミネーションしようとする人が五人ほどゐた。
このやうなときは、言ひ訳ではなく別の方法を採る必要がある。ターミネーションをすると労働運動が発生し会社がつぶれるかも知れないと、噂を否定しなかった。
二月二十四日(月)
労働者がターミネーションを云はれ労組に駆け込んだときに、獲得すべきは現職復帰だ。うつ病など特別な事情がない限り、金銭解決してはいけない。
金銭解決したときに、最初は高額の解決金を獲得し、嬉しくて労組に一部をカンパすることもあっただらう。ところがそれが続くうちに、労組の専従になってカンパを当てにする人たちが出て来た。専従の中には良心的な人もゐたが、さうではない人もゐた。しかし一番悪いのは、地区労や都道府県評を解散したことだ。
昔、沖電気争議があった。解雇された人たちのうち半数が現職復帰、半数は和解日で円満退職し金銭解決と云ふ内容だった。
あの争議以来、指名解雇が国内からほとんど消えたのは、争議団の功績だ。その一方で、半数を円満退職させたのは汚点だった。解決した直後に、現職復帰した人に話を聴いたことがある。まったく仕事を与へられないとのことだった。そして彼らもほとんど退職してしまった。せっかく勝ち取ったのだから、仕事内容について団体交渉し新たな闘ひを始めなかったことは、残念だった。
彼らが退職してしまった原因に、半数復帰がある。半数を決めるときに社会主義協会は認めないので、新左翼に多く退職者を出してもらひ、調停案を発案した新左翼の人は皆から「ふざけるな」とぼかぼか叩かれながらまとめたと述懐してゐた。
その人もマスコミで有名になった途端、労組を全労協から脱退させて連合に加盟してしまった。そして突然、JR総連と共闘を始めるなど迷走し、今はどうなったか不明だ。マスコミで有名になって、善いことは何もない。
新左翼は唯物論だから、内ゲバや裏切りや転向が多い。しかし資本主義こそ唯物論で、株主総会の多数派工作や、取締役会の裏切りや、賄賂や、ターミネーションが多い。そして唯物論は、攻撃にも弱い。
沖電気争議で一つ称賛する運動がある。田中哲朗さんの、八王子工場門前行動だ。半数復帰を発案した新左翼の人は田中さんを本門法華宗だと言ってゐた。
私が門前行動でお聞きしたら本門仏立宗で、しかしお寺の騒動がありそのときはお寺とは距離を置いた様子だった。田中さんが社会党、新左翼と云ふときに、私が「社会党?」と聞き返すと社会主義協会のことだった。
なるほど沖電気争議に参加する社会党は社会主義協会だった。田中さんの運動は労働運動史に刻むべき貴重な内容なので紹介した。(終)
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