八百四十六 僧侶は説法にエピソードを入れてはいけない

平成二十八年丙申
五月二十九日(日) エピソードは二つまで
前に増上寺の日曜大殿説法で常連の方が、エピソードは二つまでと決められてゐますが今回は一つもなかったですね、と僧侶を称賛されたことがあった。それ以降、私もエピソードの数が幾つか気にして話を聴くやうになった。さうするとエピソードは無いほうがよい、といふ結論に達した。
話術で一番巧みな日蓮宗の上村貞雄師の講話を聴いて、そのことに気付いた。貞雄師は、香淳皇后が平成十二年に詠まれたお歌、山岡鉄舟が清水次郎長に与へた額、500gの超未熟児で障害を持つ子の話をされた。これらはエピソードではなく汎用性のある内容だ。超未熟児の話は一歩間違へると個人のエピソードになるが全国盲学校弁論大会で優勝或いは書籍がベストセラーになったといふことでこれも教養人の知識となった。さすが老練な上村貞雄師の話術だった。つまり講話を聴いた人は、一つ(実際は三つ)利口になった、或いは得難い知識を三つ得ることができた。
個人のエピソードは役に立たない。汎用性のある話は教養、知識となる。一番僧侶らしい説法だった浄土宗の伊東靖順師もエピソードは一つも無かった。エピソードを入れてもよい場合もある。それは自己紹介の場面と、聴衆と自分との距離を狭めるために親しみを持ってもらふ場合だ。例へば若手で一番話術の巧みな浄土真宗本願寺派の木下明水師は、エピソードを入れることで聴衆に明水師への親しみを持たせることができた。この場合は、まづ第一段階として元芸能人でドラマにも出演したといふことで聴衆に興味を持たせた。次に第二段階としてエピソードを入れることで元芸能人と聴衆の距離を無くすことができた。

五月三十日(月) エピソードが三つ
ある大寺院で僧の説法はエピソードが三つだった。まづ飛行機が運休になった話を延々とされた。次にご自分の病気について検査値が幾らだったどこの病院に行ったどこの大学病院に行ったと延々と話された。三番目に筆頭檀家総代がどこに引っ越して何を経営されて年を取ったから引退してどこに引っ越すといふ話を延々とされるので、私は途中で退席した。
退席すると云っても失礼にならないやう、頭を低くして後ろの席の人の妨害にならないやうにして、そっと出た。私は一番端の席だからほとんど視界を遮らないのだが、これは講演者への礼儀だ。このようにすれば、用事があるから席を外すのだなと誰もが思ふ。
事実、この日はこの後、原宿に行く予定があった。しかも定期券のある新宿三丁目から徒歩で暑さを避けるため明治神宮の中を歩くから所要時間が判らない。10時に説法が終ってから間に合ふ筈ではあったが、この話なら途中で抜けようと思った。

五月三十一日(火) エピソードと、自己紹介や例示は紙一重
飛行機が運休になった話は、30秒以内に運休になった理由(羽田空港で事故があった)を話せば、これは立派な自己紹介になる。或いはこの話から人生何に遭遇するか判らないと話すのであれば、これも立派な例示になる。30秒以内にまとめて話すか、それともこんなことがあって誰がこんなことを言って次にこんなことがあってとだらだら話すかで、有益な話と無駄話に分かれてしまふ。
私が今まで聴いた講演のなかで一番駄目なのが香山リカだが、立教大学の学徒出陣で戦死した学生の日章旗を同じ会派の牧師が返還したといふ美談なのに20分掛けて長々と話すから退屈な前置きになってしまった。30秒あるいは2分で話せばよかった。
香山リカの場合はこの前置きに続いて本題が60分あるはずだが本題に中身がなかった。先日の僧侶の場合も、エピソード3つを除くと本題に何もなかった。一応、生老病死の話をされたが、話自体は5分で終はる。残りの50分くらいをエピソードで費やすから退屈な無駄話になった。
自己紹介や例示をエピソードとしないためには、本題が時間に合った分量あるかどうかに掛かる。

六月二日(木) 老僧の役割
老僧には大切な役割がある。それは昔の本山や宗内やお寺の話を皆に聴かせることだ。私がこのことに気付いたのは日蓮正宗といふ宗派だった。創価学会が同宗の信徒団体だったため、信者数が激増した。貫首(この宗派では法主と称する)が66世細井日達になってから伝統が大きく変はった。だから古い信者の「昔は引き題目が長かったが日達猊下になってから短くなった」といふ話などは聞き漏らさないようにした。或いは地方の名刹に行ったとき御影が前面金網の大きな木箱に収められてゐるなどを見逃さないやうにした(余談だが、日蓮正宗はその後、宗門、創価学会、顕正会、正信会に分裂したが、一番伝統を保つのは正信会だと思ふ。それは創価学会の意見で御影は廃止する傾向にあったのに正信会では復活した寺もある)。
日蓮正宗以外の宗派では、信徒数が激増するなどの変化は無い。しかし世の中が大きく変はった。老僧はぜひ昔の話を僧侶だけではなく参拝者にも伝へてほしい。(完)


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