八百十 笑ひあり涙ありの巧みな説法、その奥に一番大切なものもある(築地本願寺常例布教、木下明水師)

平成二十八年丙申
三月六日(日) 午前と午後と二回参加
本日は午前10時半と午後1時半の常例布教を聴かう。さう思つて築地本願寺に行つた。二回聴く理由は、一回目と二回目で共通部分の比率と経時変化を調べたいためだが、その前に仏教の話を聴きたいといふ信仰心があることを忘れてはいけない。
この日は熊本県の木下明水師だつた。最初に八代市について演歌歌手の八代亜紀の出身地だと紹介された。普通の人はここで終はるが更にオウム真理教の某など二人を挙げ、更にもう一人ゐるとして自分の名前を挙げられた。ここはつまらない冗談の可能性がある。自分を有名人に仕立て上げるのだが、さうではなく木村明水師は本当に元芸能人だつた。
テレビドラマ「京都地検の女」の主人公は名取裕子、刑事の船越英一郎の部下が木下明水といふ配役だつた。しかし俳優にしては話が上手過ぎる。落語家か漫才師ではないかと思つた。

三月七日(月) 午前の布教
午前の布教は次のお話があつた。手帳を忘れて昼食後に思ひ出しながらメモ書きしたので、順不同になつた。

AKB48は阿弥陀仏の四十八願から。カラオケの十八番(おはこ)は十八番目の願が重要だから。
阿弥陀仏のことを「おやさま」と呼ぶ。
念仏を唱へて耳で聴く。
我建超世願
我々が仏様に祈つてゐるのではなく、阿弥陀仏が我々を救はうと祈つてくれてゐる。
皆さんの中で地獄に落ちたことのある人はゐますか。今まで何千回と生まれ替はるうちに地獄に落ちたこともある。殺生するとすぐ地獄に落ちる。嘘をついても落ちる。
テレビは何気なく観るが、汚い言葉が飛び交つてゐる。
我々は心を制御できない。怒りもあるし、台風が来ると、東京の人は九州に行けばいいと思ふし、九州の人は本州に行けばいいと思ふ。
死んでから忙しくなる。人を救はなくてはならなくなる。しかし救ふことが楽しくて仕方なくなる。
以上のお話があつた。

三月八日(火) 午後の布教
午後の布教は次の内容だつた。午前の話と同じ話がなかつたのは、すごいことだ。類似した話は多少あるが、話し方が午前とは違ふから、午前の話を聴聞した人も全く退屈しない内容だつた。

木下明水といふ簡単な字でできてゐる。木、下、水は小学校一年で習ひ、明は二年の最初に習ふ。井上鳴(布教では口の下に鳥といはれた)水といふ僧がゐて、そこから名を取つた。
散り乱れた心。
合掌せず念仏を唱へてみませう。声の仏様。
名声超十方。
娘が生まれた。ままごとで、「はい何々ちゃん、何々ですよ」と周りの親、祖父母がいふ。皆さんも仏壇でままごとをしてください。阿弥陀仏とお話をしてください。
芸能界から親の寺を継ぐようになつたのは、深川倫雄(りんゆう)師の話を聴いたのがきつかけ。
甘えることができる仏。おやさま。
先輩が七五三の法則と云つた。聴いてゐるとき七割覚へてゐる。退出するとき五割、帰り三割。その後は何も覚へてゐないが、何回も聴くことでだんだん覚へる。
一九七四年ブラジルで25階建てビルが火事。非常階段無く20名飛び降り。赤子を抱いた母親が飛び降り赤子は助かつた。
妹6日目の死。
帰るところがある。
以上のお話があつた。

三月九日(水) 名水師の布教の優れたところ
明水師の布教の優れたところは、もちろんその話術にもあるが、信仰心が根底にある。待機する部屋から聞法ホールに出仕するときと、布教が終り戻られるときも念仏を唱へられる。もちろん布教の中にも、話のあちこちに信仰心が満ちてゐた。
私にも影響し、布教を聴きながら思つた。大乗仏教が色々な仏様、色々なお経を唱へるのは止観(瞑想、坐禅)の方法といふのが、私の立場だが、阿弥陀仏が法蔵菩薩のときに行つたような大変な修行には御利益があるといふことだ。だから自力で修行できる人はそれを進めてもよいし、おやさまの御利益にすがりたい人はそれにすがるべきだ。
このことは他の宗教にも当てはまる。十字架に掛けられたキリストにも御利益がある。すべての宗教は止観の手段といふことで統一できるし、偉大な修行にすがるといふことで統一もできる。
過去に同じことを考へたことが一度ある。日蓮聖人の龍ノ口、佐渡流罪は、それにより佐中佐後の法門に御利益があるのではと。しかし日蓮の予言では日本はおろか中国、月氏国まで広まらなくてはいけない法華経信仰が、日本にさへ広まつてゐない。日蓮聖人を嘘つきにしないためにも、止観の方法だけで統一したほうが良い場合もある。
布教を聴きながらこのようなことを思ひ浮かべた。阿弥陀仏はこの世の人ではなく、阿弥陀経に住まはれる。だから嘘つきには絶対にならない。日本には阿弥陀仏が合つてゐる。さう思ひ付くほど、明水師の布教には信仰心が溢れてゐた。

三月十日(木) 以上の補足
以上、明水師を賞賛してきたが、補足を幾つか思ひついた。煩悩は欲ではない、自分の心に煩はされることで子煩悩も煩悩、といふお話もあつた。明水師のお話は笑ひが基本だが、涙の場面もある。妹が生後六日で亡くなつた話は、目頭を熱くする人が多かつたのではないだらうか。
終了後に控室に戻られた後に、聴衆にゐた知り合ひ何人かに話しに戻られた。そのついでに、元俳優にしては話が上手すぎるので元は何かを質問したが、慌ただしい中だつたので「はい、俳優もやりました」など聴きたい話は聴けずに終つた。帰宅後にインターネットで調べると、コントグループに参加、その後はホリプロで俳優、タレントとある。なるほどそれなら判る。

三月十二日(土) 不真面目な元芸能人ではなく、真面目な元芸能人に
家に帰り、インターネットで明水師のツイッターを読んだ。老婆心ながら感じたことは、写真がよくない。ふざけて大きく笑つた顔写真だが、俳優は決して不真面目に演じたりはしない。元芸能人の真剣な写真ならよいが、元芸能人のふざけた写真は載せないほうがよい。
ツイッターを見た人が宗務総長に密告したら問題になるかも知れない。95%はならない。しかしなる可能性はある。浄土真宗の僧侶や門徒でそんなことをする人はゐないと信じたい。しかし他の団体の関係者が門徒のふりをして密告することはあり得る。門徒からの訴へとなると、宗務庁も調べない訳には行かないかも知れない。明水師がきちんと説明し、取るに足らない訴へだと判断されるだらう。しかし査問されたことが、常例布教で見せた明水師の熱意を長年に亘り少しづつ減じるかも知れない。
ツイッターで、いつしよに予備校で勉強し或る有名大学に合格し或る大手企業に就職した人が、わざわざ常例布教に来てくれたと書いた。旧友の厚情に感謝するのはよいことだ。しかし有名大学や大手企業は俗世間の話だ。阿弥陀仏や釈尊と比較すれば、仏像の肩についた埃程度のものだ。

常例布教で四つのことに気付いた。しかし二度の常例布教が終つた時点で、よい内容だつたと感心でいつぱいだつたから、気付いた内容はまつたくの蛇足となる。しかし超老婆心で云つてしまふと、一つは自分が大きく笑ふ場面が何度かあつた。これはテレビ出演の影響だと思ふ。テレビでは自分が笑はないと、笑ふ人がゐない。常例布教では目の前に笑つてくれる人がたくさんゐる。
二つ目は、個人名は出さないほうがよい。「姉」「檀家のxxさん」などは云はないほうがよい。本人がゐなくても、知り合ひが聴衆にゐるかも知れないし、巡り巡つて本人の耳に達するかも知れない。
三つ目は、ずつと聴いてゐる皆さんは大変でせうが、話すほうはもつと大変なんですよ、の部分で、確かにさうかも知れない。しかし熱心に聴いてくれる人がゐることはありがたいことだ。ずつと聴いてゐる皆さんは大変でせうが、退屈しないやうに頑張ります、と云つたほうがよい。
四番目に、七、五、三の法則は、十割判らせようと話した場合の数値で、最初から七でよいつもりで話すと4.9、3.5、2.1になつてしまふ。私は、授業で話すときは最後に、本日の話はこれとこれとこれでした、と黒板に図を書きながらまとめて終る。これだと終つた時点で十割になる。 (完)


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