四百九十九、半分賛成半分反対(「明治の日」推進の集ひ」に参加して)


平成25年
十一月三日(日)「賛成も中くらいなり」
今日は文化の日である。これを「明治の日」に改めることを要求する集会が本日あつた。我が家にも案内の葉書が来た。来た理由は私が田中智学系の人たちと多少繋がりがあるためであらう。実際よく知つてゐる方が場内整理をされてゐた。
この集会の役員の一割くらいが田中智学系である。しかし拝米反アジアの人も多数名を連ねる。参加することに躊躇もしたが、せつかく案内を送つてくださつたのに欠席するのは失礼である。役員には良識的保守派の小堀桂一郎氏、労働運動の天池元同盟会長(昨年逝去)などが含まれてゐるので非常識な発言は出ないだらう。さう思つて参加した。実際には一人の衆議院議員を除いては非常識な発言は出なかつた。

その一人といふのは西村真吾である。父親は西村栄一元民社党委員長。父親の栄一氏は昭和三年社会民衆党に入党しその後、堺労農学校を開校、全国労農大衆党に移籍し中央委員、社会大衆党堺支部を結成し支部長、堺市議選に当選。ここまでが戦前の話である。戦後は総選挙に大阪第2区より立候補し当選。社会党中央執行委員、芦田内閣の経済安定本部政務次官。衆議院予算委員会の質疑中に吉田茂首相に暴言を吐かれいはゆるバカヤロー解散。民社党結党に参加。民社党第二代目委員長になつた。
父親がこれだけ労働運動と社会主義運動に係はつたのに息子はいつたい何だ。連合大阪顧問弁護士ののち連合の会公認、社会党・民社党・社民連推薦で出馬し落選。民社党公認・新生党推薦で出馬し初当選。自由党結成に参加、防衛政務次官、民主党に合流。弁護士法違反事件で逮捕され党は議員辞職勧告を決定したが拒否し衆議院本会議でも辞職勧告決議を可決され拒否。落選を経て日本維新の会公認で当選、「大阪の繁華街で『おまえ、韓国人慰安婦やろ』と言ってやったらいい」と発言し党から除名。
まあこれだけの男だつたら非常識な発言もあり得る。しかしなんでこんな男が元弁護士(有罪が確定し資格剥奪)なのか。しかも何でこんな男を集会の役員や発言者にするのか。

十一月四日(月)「集会の次第」
開会の辞は会長の塚本三郎氏である。塚本氏は終戦直後に国鉄で労働運動、日農中央委員を経て総選挙で日本社会党から当選。民社党結成に参加、後に委員長。民社党が新進党に合流するとき不参加で自民党に入党。
塚本氏の開会の辞は良識あるものでよかつた。次いで経過報告は事務局次長の小川力氏。この方は田中智学の次男田中澤二の立憲養正會の会長である。私の田中智学系との人脈で一番強いのはこの方である。
次いで参加した国会議員が順番に挨拶された。森英介(自民党、元法務大臣)、西村真吾(無所属)、田沼隆志(日本維新の会)の各氏と、秘書代理出席の山谷えり子(自民党、参議院政審会長)さんであつた。松本純(自民党)氏からは祝電が寄せられた。
次に各界より意見表明である。マスコミ界からは皿木喜久氏(産経新聞)。産経新聞でさへ「みどりの日」でなぜだめかといふ意見が出る、朝日は言ひ出すことさへできない雰囲気だらうといふ話があつた。

十一月四日(月)その二「新保祐司氏の記念講演」
一旦休憩に入り記念講演は新保祐司氏であつた。
(1)奈良天平時代に明治が匹敵、(2)戦後レジームからの脱却、の二つを話された。一番目は、モンゴルがヨーロッパに来たが撃退し日本も撃退した。ヨーロッパと日本は似てゐて秩序を重んじるといふ話があつた。しかしそれでは戦前の脱亜入欧、或いは西洋列強の猿真似をしたことの言ひ訳にしかならない。新保氏は大学教授なのだから中国では皇帝が交代したり異民族の侵入があつたが、ヨーロッパと日本は伝統を積み重ねることが出来て秩序ある社会を築けたといふ解析が必要である。
それより一部のヨーロッパ人の感想を以て日本は他のアジア諸国よりヨーロッパに似てゐると考へるのは正しくない。もし似てゐるなら脱亜入欧といふ言葉は生まれないし、徳川幕府が西洋との交流は禁止しても唐土、朝鮮との交流は禁止しなかつたことの理由がないからである。何より清国が阿片戦争に負けるまで日本は清国に違和感を持たなかつた。

二番目の戦後レジームからの脱却といふことでは、日本は与えられたものを喜んでゐるといふ話があつた。これは同感である。続いて
産経で嫌な記事が一つある。私の好きな音楽といふ記事で、社長や会長が若いときエレキやロックを長髪で演奏する写真が載る。口先では日本と言つても駄目。日本は近代があつた。アジアには近代がない。古代が空母を持つた。小林秀雄のモーツァルト。中国、韓国には小林秀雄的な人はゐない。魯迅はちよつとやつたが今は嫌われてゐる。
クラシック音楽はよくてエレキやロックが駄目だといふのは賛成である。いや正しく言へば賛成だつた。エレキやロックは西洋音楽から出て来た。西洋の音階を用いる限りああいふものが出てくる。日本は日本古来の音楽をまづ学ぶべきだといふ考へに最近は変つた。次に
吉野作造の「明治文化研究」。大正デモクラシーのあさはかさ。明治は大人、大正は青春、昭和は子供。
「明治の日」推進の集いは明治はよくて戦後は悪いといふ根本の思想がある。新保氏は吉野作造を引用することで更に話を進め明治は良くて大正は少し良くて昭和は悪いといふところまで持つて行つた。私は江戸時代は武家政治の堕落したもので悪いが、明治以降は西洋の影響を受けて更に悪いといふ意見を持つてゐる。しかし新保氏の主張を採り入れ吉野作造のように明治、大正、昭和を分ける必要はあるのかも知れない。

十一月五日(火)「配布物」
会場に入るとき式次第と雑誌「国体文化」を配布してゐた。「国体文化」は田中智学の三男、里見岸雄の日本国体学会の機関誌である。それより日本国体学会のすべきは人類史上最悪の戦争犯罪人、トルーマンとマッカーサの押し付けたゴミ憲法をだうやつたら改正できるかを考へるべきだ。憲法第9条の戦争放棄は守る、それ以外はすべて改正する。これだつたら私も賛成できるし多くの国民も賛成するだらう。
集会が終了の後、参加者が退場のとき非公式にいろいろな人が印刷物を配布してゐた。新しい歴史教科書を作る会のビラ、二宮報徳会の講演会の紹介、はだしのゲンを批判するビラ等々。
はだしのゲン批判のビラには、ゲンの原爆を正当化する発言を批判してゐる。これはビラに賛成である。世界最悪の帝国主義イギリスやアメリカを差し置いて丸山真男ばりに日本だけを非難する主張は反対だし、人類史上最悪の犯罪(人類滅亡の後に別の高知能生物が他の天体から来た或いは地球に生まれた場合は100%この判断をする)を正当化するはだしのゲンは悪魔の手先である。

十一月六日(水)「戦争と脱亜入欧を肯定してはいけない」
明治時代は日本が脱亜入欧を図つた時代であり、この集会に参加した人のほとんどは明治時代を美化する人たちだから私とは立場が異なる。しかし江戸時代は武家政権の最後といふことは一番堕落した時代だから、私は江戸時代に一旦は帰るべきだが堕落しない江戸時代を仮想で考へるべきだと思ふ。
集会は戦争の話が幾つか出た。多くの国民が心配するのは明治を美化して戦争肯定にならないかといふことだ。私は明治の美化には反対だがトルーマンとマッカーサの美化には絶対に反対である。明治の日を目指すなら明治自体は西洋列強の侵略に抵抗した時代だつたと主張すべきで、戦争を肯定してはいけない。

脱亜入欧も肯定してはいけない。田中智学は西洋思想にかぶれた大学教授を批判した。明治時代は西洋列強に侵略されないためやむを得ず西洋思想を取り入れたのであり好き好んで取り入れた訳ではない。ここを忘れてはいけない。

十一月七日(木)「短い期間で考へてはいけない」
明治時代といふ一歩間違へば欧米の植民地にされた世界情勢で明治政府は必死だつたしその政策に沿つて仏道を広めた田中智学も立派だつた。智学は決して明治維新以後の短期間を考へてゐた訳ではない。鎌倉時代からの六百五十年を考へ急変する時代に合はせた。
智学の後継を自称する人たちは智学以降つまり明治以降だけを考へてはいけない。だから数年前の醜態がある。今年と同じ集会を催した。終了後に実行委員会が打ち上げを中華料理屋で行はうとしたところ、こんなところで食へるかと捨てぜりふを吐いて帰つた人たちがゐた。今年の池上本門寺のお会式の日に境内で講演した団体にも中華料理なんか食へるかと言つた人がゐた。
智学の選定した本尊には南無天台大師、南無伝教大師と書かれてゐる。天台大師の祖国であり伝教大師の留学先の食事を批判したら両師は餓死し日蓮は俗人としてしか存在しなかつた。私も二週間前に天台山から200Km北(上海)に三泊四日で訪問したが朝と夜は中華料理を食べた。塚本三郎氏の挨拶が極めて良識的で、小川氏など事務方の報告も普通だつたし国会議員の発言も西村以外は普通だつた。西村のように世間から相手にされなくなつた人間に講演させてはいけない。(完)


大乗仏教(日蓮系)その十
大乗仏教(日蓮系)その十二

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