四百九十八、山口發言は低級過ぎる(山口二郎氏批判、その十六)


平成25年
十一月二日(土)「二十日のコラム」
今回は二十日のコラムである。教育再生会議が大学の二次試験で学力試験に代はつて人物評価を打ち出し、文科大臣が一点差で合否が分かれる試験はやめるべきだと語つたことについて
一点差が気に食わないなら、百分の一秒差で勝敗が分かれる陸上競技も無意味である。

それにしても山口氏の主張はずいぶん低級である。此の程度の国立大学関係者は解雇し、私立大学でも此の程度は閉校させて補助金を削減し少しでも消費税を下げるべきだ。陸上競技はさういふルールだと判つて選手になつた。つまりそのルールで数字を出すこと自体が目的である。
それに対して入試は希望者が多いから公平な選抜といふ意味で学力試験を実施するだけだ。数字を出すことが目的ではない。しかも試験制度が出来た当初はそれでよい。実力と点数は概ね比例する。しかし食肉を放置すれば腐敗するのと同じで入試制度も年月とともに腐敗する。偏差値詐欺男の出現である。

十一月三日(日)「偏差値詐欺男とは何か」
大学卒業時の学力を1とすれば社会に出れば10にも100にもなる。それなのに大学のそれも入学時の学力で一生いい思ひをしようといふ人間が現れる。それが偏差値詐欺男である。マラソンの最初の1Kmを全力で走りあとは怠けるようなものである。
学歴は親の年収と大きく関係する。我が家で上の子供が高校の時にクラスで十番くらいだつた。塾に行かせたら一番か二番になつた。我が家はそんなにお金がないから高校二年から塾に行かせたが、もし中学から行かせたらだうなつたか。或いは小学生から行かせて中学は私立に行かせたらだうなつたか。ここ二十年ほど中の上以上の収入の家庭では中学から私立に行かせるのが流行つてゐる。
偏差値詐欺男が出現したのは昭和五十年辺りからである。それまではベトナム戦争の最中だつたし国内では学生運動がさかんだつた。日本の経常収支の黒字も問題になる前だつた。まさに山口氏の世代が偏差値詐欺男出現の第一世代或いは第二世代である。

十一月四日(月)「その場に応じた努力の出来ない教授は大学から追放しろ」
貧乏集団の広島カープがCSに進出し、話題になった。カープは足が速く、肩が強い選手を集めて、猛練習でよいチームを作った。超エリート校以外の大学も同じである。われわれが試験を行うのは、知的な意味で足が速く、肩が強い若者を集めるためである。
プロ野球は観客に来てもらひ入場料を頂く。それが目的であり、そのために選手を強化し練習をする。大学は学生自身を優秀にすることが目的である。
だから優秀な学生が来れば更に優秀にするし、普通の学生が来れば優秀にするし、劣つた学生が来れば普通にする。それが大学の役割である。ところが旧帝大は最初から優秀な人を集めてそのまま送り出す。世の中の役にたたない。
教授は研究をする使命があるといふかも知れない。しかし優秀な学生がゐるから優秀な研究ができるといふことは絶対にない。日本の大学の政治経済部門は西洋の猿真似ばかりで国内のために何の役にも立たない。だから今までのやり方を続けることは許されない。

十一月十日(日)「やはり山口氏はアメリカの利益代理人だつた」
本日の山口氏のコラムは
先週久しぶりに沖縄に行き、いろいろな人たちと話をする機会を得た。特に感銘深かったのは、名護市辺野古での米軍基地建設計画に反対する運動を引っ張ってきた安次富浩さんの話だった。
私も辺野古の基地計画に反対である。しかし山口氏がいふと違和感がある。これまで再三再四拝米言辞を繰り返して来たからである。私が基地計画に反対なのは美しい海を埋め立ててはいけないことと、これ以上沖縄に基地を建設してはいけないためである。例へ普天間基地を廃止するとしても新たな基地建設は認めてはいけない。ところが山口氏は反対理由が不明確である。だうもアメリカの手先の臭ひがする。さう思つてインターネットで検索するととんでもない記事を見つけた。社民党を離党した直後の辻元清美(その一その二)と北海道大学准教授の中島岳志氏(その一)といふ私がこれまで批判した二人がマガジン9といふサイトで対談した内容である。
中島 私の理想は早期の日米安保破棄です。自主防衛のあり方をしっかりと考えるべきです。しかし、現実的にはそうもいきません。一定程度の時間をかけて日米安保見直しの方向に進むべきで、一気に破棄というのは極論でしょう。そうすると、現実的な問題解決策を考えなければいけない。
 落としどころは嘉手納への統合しかないと思います。辺野古はまず無理だし、ここまで来るとグアムも難しい。

中島氏も早期の日米安保破棄となかなかよいことをいふ。しかし嘉手納について
中島 あの案で問題になってるのは、米軍内部の対立の話なので。
辻元 そうそう、空軍と海兵隊が仲が悪いから統合はできない、というね。
米軍の内部事情なんてだうでもよい。事は外交問題である。いざとなつたら大統領が両者に命令で仲直りさせればよい。辻元といふのはとんでもない女である。
中島 嘉手納統合については、アメリカもどうもオーケーだったんじゃないかと僕は見ています。「嘉手納ならいいよ」というシグナルが、いくつかあった気がする。
編集部 例えばどういうものですか?
中島 ルース駐日米大使が何人かの日本の知識人に会っていて、僕の北海道大学での同僚である山口二郎さんとも会っています。
やはり山口氏はアメリカの利益代理人だつた。辺野古に移転しないなら嘉手納に居座るだけだ。アメリカは痛くもかゆくもない。

十一月十一日(月)「辻元中島対談批判」
辻元中島対談を読んでみるとやはりよくない。それをこれから紹介しよう。
辻元 経済のグローバル化が進み始めた当初の、まだまだ牧歌的だったグローバリゼーションの「第一期」を過ぎて、今はもっと先鋭的な「第二期」に入っているんじゃないかという気がするんですね。私は国土交通省でインフラの問題などにもかかわったけれど、話題になったレアアースだけじゃなくて、水や食糧、資源と、すごく熾烈な競争が生まれてきている。そこに私は危機感を持っているんですけど、中島さんはどうお考えですか。

ここで辻元のいふ危機感とはいつたい何だ。欧米日本が熾烈な競争で非先進国が影響を受けることか。さうではあるまい。辻元は国土交通省で危機感を持った。つまり日本が競争に巻き込まれることである。元社民党のいふことではない。
中島 非常に難しい問題ですが、僕は現象としての「グローバリゼーション」とイデオロギーとしての「グローバリズム」は分けて考えたほうがいいと思っているんです。交通網のさらなる発達で地球規模の交流や移動が進展するのを止めることはできませんし、グローバリゼーション自体はどう考えても不可避な状況ですから、より共存可能でリージョナル(地域的)な価値や生活基盤が保護・尊重されるサステーナブル(持続可能)なグローバルシステムを考えていったほうがいい。しかし、それと「そうなるべきだ」ということ--グローバリズムとはまた違う発想だと思います。

交通網の発展は産業革命以降一貫してゐる。これは国際交流であり今さらグローバリゼーションと奇妙な用語を用いる必要はない。私は国際交流には賛成だがグローバリゼーションとグローバリズムには反対である。中島氏はグローバリゼーションには賛成でグローバリズムには反対といふ欺瞞を用いた。それよりなぜリージョナルだのサステーナブルだのと奇妙な用語を用いるのか。正しい日本語を使えない人は国立大学から解雇すべきだ。
中島 グローバリズムの究極の形というのは世界連邦だと思うんですが、僕は世界は、一つになるのではなくいくつもの国家に分かれていたほうが絶対にいいと思っています。というのは、世界が「世界連邦」という一つの国家になってしまえば、それが独裁国家になったときに我々にはもう逃げ場がない。

世界連邦に反対する理由が独裁国家になったときに逃げ場がないというのはおそまつである。そもそも人口が少ないにも係らず軍事力で世界に影響力を持つアメリカが賛成するはずがない。世界連邦は先進国に地球破壊を止めさせるべきだ。人口比で少数派の先進国が世界連邦に賛成するはずがない。もし世界連邦を作ったとすると欧米に相当妥協したものになり、それは世界の西洋化だから絶対に反対である。中島氏はリージョナルな価値や生活基盤といふが口先だけで中身がない。

十一月十二日(火)「山口氏の話に乗つてはいけない」
話を山口氏に戻すと、山口氏は駐日米大使に会つた。しかし基地問題を巡つて激論になつたといふ話は聞かない。そして今回、辺野古反対運動の人たちと会つた。これまでの山口氏の言動から考へればこれは反対運動を拝米に変質させようといふ工作である。
沖縄の人々と話をして、政治に希望がないなどとうそぶくことは的外れの贅沢だと痛感させられた。
多くの国民は政治に希望がないと感じてゐる。それはシロアリ民主党の菅、野田といふ裏切り者が原因であり、山口氏はそのシロアリ民主党を応援してきた。国民から見放されたシロアリ民主党では影響力がないので、別の運動に手を突つこまうといふつもりであらう。(完)


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