五百十、山口二郎氏批判、その十七


平成25年
十二月一日(日)「表面を見るだけなら猿でもできる」
山口氏は本日のコラムで、特定秘密保護法案が衆議院で可決される時に与党から造反が一人しか出なかつたことについて
今や国会議員は政党組織のサラリーマンと化し、自分の頭で考える能力を持たない烏合の衆である。
まづ造反者が出れば否決される場合と、圧倒的多数のため絶対に可決される場合がある。後の場合に造反しても意味がない。山口氏が過度に肩入れしたペテン師(鳩山氏の表現)政治屋の菅ではあるまいしパフォーマンスをすればよいといふものではない。国会議員の任務は党内と国会で議論を尽くすことだ。パフォーマンスではない。
次に国会議員がサラリーマンと化し自分の頭で考へる能力を持たないことについて、それは欧米の民主主義を真似したからだ。欧米の民主主義自体がニセ民主主義であるが、それを真似すると更に悪い結果になる。大学教授なのだからそこまで気が付くべきだ。表面を見るだけなら猿でもできる。

十二月三日(火)「原爆を無視」
山口氏は映画「ハンナ・アーレント」に言及し
思考を放棄した凡庸な人こそが、ホロコーストに代表される二十世紀の悪を生み出した元凶と看破していた。
と書く。二十世紀最大の戦争犯罪は原爆である。ホロコーストのようなことは過去にもあつた。西洋人はアメリカ大陸でやつたし、日本でも織田信長が西洋思想にかぶれて一向一揆に対して行つた。それに対し原爆は人類史上初めてでありしかも人類史上最悪である。山口氏はなぜ原爆を無視する。
山口氏のいふ「思考を放棄した凡庸な人」とは西洋の猿真似、特に米英の猿真似に終始する猿真似学者のことではないのか。

十二月八日(日)「山口氏はなぜホロコーストの元凶を批判せぬ」
ホロコーストが起きた原因は西洋に反ユダヤの気風があつたからだ。決してヒトラーの発明ではない。なぜヒトラーが出現したかは第一次世界大戦に遡る。第一次世界大戦はドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリア側と、イギリス、フランス、ロシア側のどちらが正しいといふものではない。それなのに敗戦した側に莫大な賠償金が課せられた。ヒトラーは民族なる西洋野蛮人の考へた語に踊らされたが、民族といふ語は勝戦側が敗戦側を弱小化させるため用いた。
そして第二次世界大戦の後に西洋は体よくユダヤ人をパレスチナに追ひやり紛争をアラブに押し付けた。この西洋人の身勝手をなぜ批判せぬ。

十二月十日(火)「山口氏馬脚を現す」
山口氏はアメリカ大使に面会しながら辺野古の米軍基地反対運動にも会つた((その十六)へ)。つまりはすべての運動を拝米に持つて行こうとするとんでもない男である。そのことが一昨日のコラムにも現れた。
秘密保護法の場合、危機感を持った大勢の市民が国会周辺や全国各地の街灯に出て、抗議、反対の意思を明らかにした。自由と民主主義を守ろうとする市民の常識はいざという時には形に表れる。
秘密保護法は米軍や拝米外交の秘密を守るものだ。だから多くの国民は反対してゐる。ところが山口氏は自由と民主主義を守ることに摩り替へた。自由と民主主義のうちの自由が進めば新自由主義に至る。現状の民主主義は偏向マスコミ、カネのある者、上昇志向の異常な者によつて歪められたから真の民主主義ではない。それを少しづつ改善しなくてはいけないのに秘密保護法成立前の現状を肯定する。そればかりではない。世界の非欧州地域のほとんどを植民地にした帝国主義のイギリスやフランスや、国自体が植民地のアメリカをも肯定してゐる。山口氏に伺ひたい。自由と民主主義さへ保てば帝国主義でもよいのか。

十二月十五日(日)「極めて低質な本日のコラム」
本日の山口氏のコラムは極めて低質である。特定秘密保護法について
この法律が憲法や民主主義の解体の第一歩でしかないことを、一連の動きは明らかにしている。
まづ憲法が解体といふことはない。しかも人類史上最悪の戦争犯罪人トルーマンとマッカーサが押し付けたゴミ憲法は改正したほうがよいではないか。
民主主義は菅と野田が破壊した。菅と野田が公約違反の消費税増税に怒つて国民はシロアリ民主党を二つの選挙で大敗させた。ところが安倍は消費税増税を撤回しない。これ以上の民主主義破壊はあるか。シロアリ民主党、特に菅を過大に応援した山口氏が今さら何を言ふか。

十二月十六日(月)「山口氏の云ふろくなものでない国より更に悪い国」
山口氏は続けて
為政者が国民に対して、お前たちを守ってやるから愛国心を持てと説教するような国は、ろくなものではない。
為政者といふが今は普通選挙で選ばれた国会議員による間接選挙で首相を決める。為政者と被統治者に分けるのは適切ではない。為政者が民選と感じられないとすれば国会議員が特権化したためだ。国の政治を正すことが目的ではなく上昇志向の強い連中が金権(菅野田亜流政治自民党)や口先(シロアリ民主党)で議員になる。
これを改善するのは簡単で国会議員の歳費は国民の平均給料でよい。或いは最低賃金でよい。公費の秘書は廃止すべきだ。この程度は少し考へれば判るはずだ。それを考へられないのは日本の自称政治学者は欧米の猿真似だからだ。日本の実情に合つた提言をすべきだ。
山口氏の云ふろくなものでない国より更に悪い国がある。アメリカの猿真似をする国である。国民の為にならないばかりか猿真似に合はせたシロアリどもが出現する。国会議員(或いは与党の場合は大臣)になることが目的の連中と猿真似ニセ学者はシロアリの主要構成メンバーである。

十二月十七日(火)「石橋湛山はハト派であつてリベラルではない」
山口氏がつひに墓穴を掘つた。
石橋湛山や清沢洌など、リベラルなジャーナリストが満州事変以後の日本に対して発した警告や批判を読み返そう。
石橋湛山の実父は身延山久遠寺第81世法主杉田日布、十歳から預けられた実質上の養父の望月日顕は後に83世法主。石橋自身日蓮宗の僧籍がある。Wikipediaによると
戦後すぐに日本社会党からも総選挙出馬を誘われたが断り(中略)第1次吉田内閣の大蔵大臣として入閣した。(以下略)
戦時補償債務打ち切り問題、石炭増産問題、進駐軍経費問題等でGHQと対立する。進駐軍経費は賠償費として日本が負担しており、ゴルフ場や邸宅建設、贅沢品等の経費も含んでいて日本の国家予算の3分の1を占めている。このあまりの巨額の負担を下げる様に、石橋は要求する。(中略)戦勝国アメリカに勇気ある要求をした石橋は国民から“心臓大臣”と呼ばれるもアメリカに嫌われ、1947年(昭和22年)に第23回衆議院議員総選挙で静岡2区(中選挙区)から当選したが、公職追放令によりGHQによって公職追放された。この公職追放は吉田茂が関わっていると云われた。(以下略)
1954年(昭和29年)の第1次鳩山内閣で通商産業大臣に就任した。石橋は中華人民共和国、ソビエト連邦との国交回復などを主張したが、アメリカの猛反発を受ける。(中略)このアメリカの強硬姿勢に動揺した鳩山一郎首相に対し、石橋は「アメリカの意向は無視しましょう」と言った。

米ソ冷戦の終結とプラザ合意の円高により、国内に癌細胞のように増殖した拝米政治屋や拝米ジャーナリスト、拝米猿真似ニセ学者とは大違ひである。石橋湛山は今から十年くらい前までの政治用語で言へばハト派である。決しててリベラルではない。

十二月十八日(水)「清沢洌は親米だが山口氏とは異なる」
清沢洌はWikipediaによると
比較的裕福な農家の三男として生まれた。(中略)1907年(明治40年)、17歳のとき研学移民(学生となるための立場での移民)としてアメリカ合衆国ワシントン州に渡航した。シアトル、タコマで病院の清掃夫、デパートの雑役などを務めるかたわらタコマ・ハイスクール、ワシントン大学などで学んだ(ただしその履歴を示す文書は残されていず、朝日新聞社への就職の際は「米国の大学」をおえたとしている)。
1911年(明治44年)頃からは現地の邦字紙の記者となり、(中略)当時はアメリカ西海岸において日本人移民排斥運動が高潮に達していた。日本人に対する蔑視と敵意を(中略)移民という立場で味わったにも拘わらず、清沢は晩年に至るまで一貫して日米友好を訴え続けた(以下略)。
1918年(大正7年)帰国した清沢は、貿易関連の仕事を転々としたのち、1920年(大正9年)には中外商業新報(現在の日本経済新聞)に入社した。(中略)清沢の基本的な立場は、対米関係においては協調路線、国内では反官僚主義・反権威主義、対中関係では「満州経営」への拘泥を戒めるものであって、石橋湛山のいわゆる「小日本主義」と多くの共通点をもっていた。(以下略)
1942年(昭和17年)より、清沢は「戦争日記」と題した、新聞記事の切抜きなども含む詳細な日記を記し始めた。(中略)官僚主義の弊害、迎合的ジャーナリズムの醜態、国民の対外事情に対する無知、社会的モラルの急速な低下などを記録する。

清沢洌は限りなく親米である。しかしそれは対米協調であり最近十五年で日本に増殖した拝米猿真似とは異なる。しかも官僚主義の弊害、迎合的ジャーナリズムの醜態を書き、そこが拝米偏向新聞を批判しない山口氏と大きく異なる。

十二月十九日(木)「石橋湛山と清沢洌を同列にしてはいけない」
石橋湛山は反親米、清沢洌は親米。まつたく異なる二人を並べればそれぞれの特長が打ち消される。純米酒と高級ぶどう酒を混ぜて変な味にしたようなものだ。そればかりではない。二人を並べることで石橋湛山の反親米を誤魔化す意図が明白である。何しろ安保反対闘争を当時の岸首相がA級戦犯だつたからだと出鱈目なことを言つた山口氏である。山口氏は墓穴を掘つたといふのは此処である。(完)


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