四百九十七、1.ネズミ死骸事件、2.人と動物


平成25年
十一月一日(金)「異臭」
十二日前の話である。家に帰ると臭ひがする。洗面所の窓から入つたのかと窓を閉めたり開けたりした。この日は洗濯物が多く、朝二回洗濯機を回し、二回目の洗濯物が残つてゐる。物干しから第一陣を取り込みそれを干してみた。風呂場から臭ふ気もする。風呂場を洗つてみたが消へない。
時間が経つて子供が配電盤から茶色い水が落ちたといふ。配電盤に電線の穴からネズミが入り込み出られず死んだな。配電盤の蓋を開けるとやはりさうだつた。ネズミを縦に走る電線の隙間から取り出さうとしても隣の電線にも胴体が入り込んでゐてなかなか取れない。やつと引つ張り出してビニール袋に入れて翌日ゴミに出した。
朝はまつたく異常がなかつたのに夜までに腐敗した液体が流出して異臭が一気に広がつた様子だつた。

十一月二日(土)「ネズミ」
今回死んだのはクマネズミであらう。ドブネズミは下水管や縁の下に生息し天井までは上がらないためである。インターネットで調べると
農作業において自然の鳥獣が時折田畑に食物を食べに出てくるのは自然なことであり、人間が自然の恵みによって間接的に自然から食料を得ているという意識のもとでは、そうした鳥獣は殺して駆除すべき対象ではなく、殺さずに追い払う対象であった。しかし、収穫後の穀物は自然と切り離された人間の所有物であり、それを食べるネズミは古今東西忌み嫌われてきた。
とある。ネズミは悪者なのである。なぜ昔から犬や猫が飼れたかこれで判る。犬は防犯用、猫はネズミ捕りであつた。

十一月三日(日)「猫」
我が家では猫を飼つたことがない。唯一、母方の祖父母の松本市郊外の家で婆さんが猫に餌をやるので実質飼ひ猫みたいな猫がゐた。私が小学生低学年のときである。毎年夏休みに行くのだがある年ゐなくなつた。婆さんに尋ねると体にぶつぶつが出来て死んださうだ。昔は世の中に準飼ひ猫や準飼ひ犬が沢山ゐた。
今は準飼ひ猫や準飼ひ犬の受難の時代になつた。自動車の急増である。土地は人間だけのものではない。犬や猫や野生の生物の住める土地に戻すべきだ。それには自動車をやめるのが一番よい。地球温暖化を防ぐためにも自動車は業務用を除き廃止すべきだ。その前段階として自動車の軽自動車化を進めるべきだ。アメリカの圧力に負けてはいけない。

十一月四日(月)「我が家の犬」
私が小学生の時に雑種のメス犬を飼つた。色が真つ白なので「シロ」と名付けた。小型だがいつも尾を上にくるつと巻いてゐるので、犬に詳しい人からこの犬はいい犬だねと誉められたこともあつた。三年間くらい飼つただらうか近所のオス犬と仲良くなり子犬がたくさん生まれることを心配して保健所で処分してしまつた。私は処分の話は聞かされず行方不明になつたとばかり思つてゐた。あのとき中学一年だつたが一年間くらいうつ状態が続いた。
私は熟睡型だからほとんど夢を見ない。しかし今から一ヶ月ほど前にシロが出る夢を見た。夢でシロが帰つてきた。ゐなくなつたときと比べると口元が少し野生的になつたね。そんな話をするうちに目が覚めた。四十五年前の話である。戻つて来るはずはないのだが。
十数年前にハムスターを飼つた。冬だから暖かくなつたら飼はうと主張したが、当時幼稚園だつた子供が今飼ひたいといふので飼ひ始めた。ペット用電熱器も買つた。しかし寒さにやられ最初は寝たままになつた。インターネットで調べると寒いと冬眠することがあるといふ。別のページには冬眠とはいへ衰弱だからほとんど目が醒めないといふ。二日ほど待つたが毛のつやがなくなり抜けてきた。子供が大泣きするので私も二週間ほどうつ状態になつた。
八年ほど前だらうか。私が人事採用にゐたときに同僚の人が急死した。このときも二週間ほどうつ状態になつた。人間と動物を同一に扱ふのかと言はれさうだが、生きとし生けるものはすべて同じである。人間だけが偉いといふのは西洋の発想である。だから西洋が地球温暖化を止めるはずがない。地球温暖化はアジアから停止させなければいけない。

十一月四日(月)その二「我が家の猫」
数時間だが猫を飼つたことがある。子供が子猫を連れて来た。私は飼ふつもりだつたが妻が駄目だといふので庭に置いた。寒くない時季だつたのだらう。その夜は庭で寝て翌朝1メートル50センチほど飛び跳ねて窓から顔を出した。子猫がこれほど飛び跳ねるとは驚きである。そのうちゐなくなつた。翌日その猫が近所にゐるといふ。行つたが既にゐなかつた。あの猫は無事に野良猫として育つただらうか。

十一月五日(火)「犬の競技会」
一昨日日本青年館に行つた。手前の明治公園で駐車場にたくさんのテントが張られ犬が台の上にゐる。狂犬病の予防注射かと見に行くと犬の競技会だつた。テントは出場する前の準備のためめいめいが設置したもののようだつた。
競技会は飼い主が犬を連れて10mほど歩いて一周し次に走つて一周する。これは犬の散歩コンテストだなと判断した。テントの犬はスタンド台みたいなものに首輪を繋いである。かうすると犬はおとなしく立つてゐる。出場者はブラシでさかんに犬の手入れをするから、これは犬の美容コンテストだと思つた。ご苦労なことである。
今朝、インターネツトで調べるとドッグショーといつてどれだけ血統が正しいかを批評する競技会ださうだ。繁殖させて儲けるカネ目当てかあるいはカネ持ちの趣味なのか嫌な気分になつた。犬は番犬、猫はネズミ捕り。これが人間との昔からの接点である。

十一月五日(火)その二「うさぎ」
小学生のときに近所からうさぎをもらひ飼つた。我が家は祖父の代まで貴金属加工店だつたので玄関は時代劇に出てくる商家みたいに狭い土足部分と広い座敷部分があつた。座敷部分の下に高さ50cmほどの縁の下があつた。最初うさぎは土足部分で飼つた。餌をやり忘れると座敷に上がつてきた。すると父が怒つて新聞でうさぎを引つぱたいた。餌を忘れた人間が悪いのにひどいと思つたが、だんだん行動が私にも移つて私もうさぎをいじめたことがあつた。
あるとき座敷に上がつたので縁の下に押し込めた。すると土に穴を掘り住み始めた。これで人間と共存し一件落着したが、数ヶ月後にうさぎが行方不明になつた。猫か犬にやられたのだらうか。母がうさぎをいじめるからゐなくなつたと冗談に言つたが本当にさうかも知れないと思つた。このうさぎは私がいじめた唯一の動物である。かわいさうなことをした。

十一月七日(木)「1.犬に殺されたうさぎ、2.旅先で死んだかぶと虫」
今から三十五年ほど前の話だが早朝に幼稚園の横の道を歩くと、中に犬がゐてフェンスをはさんで私と同じ方向に逃げた。何だらうとフェンスの中を見ると血だらけのうさぎの死体が散乱してゐた。幼稚園の入口は私の歩く方角にあるから犬はあわてて私と同じ方向に逃げたのだつた。

小学生の時、かぶと虫を飼つた。縁日でメスは10円、オスは確か60円だつた。今の貨幣価値だと100円、600円だらう。夏に家族で母の実家に泊まりに行つた。かぶと虫もいつしよに連れて行つた。家族の一員だね、といふような話をした。
中央線は電化される前なので肌色に窓の周りが赤い気動車だつた。此の年だけ青い車両だつた。客車だと判るのは数年先である。小淵沢の辺りだらうか天井の換気口から煙が少し入つてきた。途中で蒸気機関車と交換したのだらう。網棚のかぶと虫が心配になつた。
祖父母の家で二日目くらいにうつかりかぶと虫を踏んでしまつた。二、三回苦しそうに回転して死んでしまつた。採集した蝶やアゲハといつしよに標本にして夏休みの自由課題として提出した。小学生の時は毎年昆虫採取をしたが、今思へばかわいさうなものである。
この話は中学、高校生のときは完全に忘却してゐた。たまたま二十歳くらいのときに夢でこの話を思ひ出した。完全に忘れてゐたのに深層心理では憶へてゐた。一旦思ひ出すとその周囲の状況もだんだん蘇る。

十一月八日(金)「すずめの雛」
中学か高校生のときに家の前の道路(NHKのあまちゃんに出て来た谷中寮からあかじ坂を下りた道路)にすずめの雛がゐた。ピーピー鳴くが道路では危ないので二階の裏の物干しに放してあげた。しばらくして親鳥が来ていつしよに飛び立つた。この場合、雛は移動させてはいけないのださうだ。親鳥とはぐれてしまふ。たまたま親鳥が鳴き声に気が付きよかつた。

今から30年前にバン型の車を運転して国道407号の日高市か鶴ヶ島市を走つたときの話である。このころは科学分析の会社に勤めてゐたので車を運転してお客さんのところに採水に行くことが多かつた。407号は国道とは言へ2車線で杉並木のある田園地帯を走る道路だつた。後部の横の窓にがさっと鳥のぶつかる音がした。雀が数羽飛び去つた。たぶん雀の群れが自動車の後部を横断しようとしてガラスに気付かず1羽がぶつかつたのだつた。雛で飛ぶことにまだ慣れてゐなかつたのかも知れない。自動車は野生の生物を殺傷する。徐々に少なくすべきだ。地上は人間だけのものではない。

十一月十日(日)「化石燃料の使用を停止しろ」
人類は野生生物の楽園を次々に破壊するばかりか、近年は地球温暖化で多くの生物を死滅させようとしてゐる。こんな犯罪行為は許されない。今こそ化石燃料の使用を停止すべきだ。(完)


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