四百六十三、山口氏の幼稚な思ひ込み(山口二郎氏批判、その十五)
平成25年
八月二十七日(火)「幼稚な思ひ込み」
山口二郎氏は一昨日のコラムで
自国が悪いことをするはずがないという幼稚な思い込みが、首相演説から戦争に関する加害責任の反省を消し、『はだしのゲン』の閲覧制限などという野蛮な話につながった
と書いた。今は「自国が悪いことをするはずがない」と思つてゐる人はほとんどゐない。あの時代は帝国主義の時代である。西洋列強と日本は皆悪いことをしたのである。
ところが山口氏は西洋は悪いことをするはずがない、西洋は進んで日本は劣るといふ丸山真男なみの幼稚な思ひ込みを持つてしまつた。
八月三十日(金)「恥知らずは恥の表層しか見ることができない」
山口氏はルース・ベネディクトが『菊と刀』で日本を恥の文化と規定したことについて
しかし、恥の感覚は、見知っている関係者に対する対面を重んじるだけで、社会全体あるいは世界全体に対する普遍的な責任意識とは全く異なる。
と述べる。まづルース・ベネディクトが日本人の行動規範が西洋とは異なるから理由を無理に見つけ出さうとして「恥」なる言葉を選んだ。私なら外聞、体裁、名誉といふ言葉を選ぶ。外国人が勝手に選んだ言葉を無批判に使用してはいけない。山口氏はそんなことも判らないのか。
完全に適切な用法ではないがベネディクトの「恥」をそのまま用いると、恥とは見知つてゐる人にだけ持つ感情ではない。社会全体、世界全体に対するものも恥である。だから西洋とは異なる感覚で世界に対して責任を果たすことに何ら問題はない。世界を植民地にした西洋や原爆といふ人類史上最悪の犯罪を行つたアメリカは謝罪をしたか。
過去の罪業を否定する者は、現在の罪業にも目をつぶる。
とは西洋やアメリカのことだ。いつまでも同じことを繰り返すと余計親善を妨害する。
八月三十一日(土)「丸山真男ばりに日本を見下して西洋を有り難がる」
山口氏は福島第一原発からの高濃度汚染水について
大量に太平洋に流出していることが明らかになったが、日本人は事の重大さを理解していない。民族の誇りだの伝統的美風などと世迷いごとを言っている場合ではない。
まづ日本人が事の重大さを理解してゐないとすればそれはマスコミの責任だ。例へば京都大学の小出氏はずつと警鐘を鳴らし続けた。マスコミがもつと小出氏をとりあげれば日本人は理解する。すべてはマスコミの責任である。それなのに山口氏はマスコミではなく日本人を批判する。「民族の誇りだの伝統的美風」は今回の流出事故と関係がない。例へば貯水タンクの製作は昔からの日本の工法を採用しろと主張してそれが原因で水が漏れたなら山口氏のように主張してもよい。関係がないのに丸山真男ばりに西洋のものはよくて日本のものは駄目だとする山口氏には呆れる。
もし日本の民族や伝統的美風だけが優れてゐると主張する人がゐればそれは間違つてゐる。しかしそのような主張をする人は日本にほとんどゐない。山口氏の主張は著しく悪質だから以下にまとめてみよう。
(1)日本にだけ民族の誇り、伝統的美風があると信じた人
(2)それぞれの地域には伝統的美風があり、それを破壊すると人心不安を引き起こす
(3)西洋、特に英米だけが優れてゐる
山口氏は(1)を批判するが、(1)はほとんどゐない。おそらく人口の1%以下であらう。(2)はかなりゐる。(3)は少ないが偏向マスコミや猿真似ニセ学者が騒ぐから1/3程度はゐる。猿真似ニセ学者は騒いでも騒がなくても本来は構はないが、何々大学教授とかの肩書きでマスコミが何回も登場させると洗脳される人も出てくる。
九月一日(日)「あらゆる手段を取れと口先だけで主張する」
日本人が名誉と責任を重んじるなら、汚染水流出を食い止めるためにあらゆる手段をとるべきである。
名誉と責任に関係なく汚染水流出は食ひ止めるべきだ。東電は決して汚染水流出を食ひ止めてゐない訳ではない。「あらゆる手段をとれ」と口先で云ふだけなら誰でもできる。国立大学の教授がこの程度のことしか云へないのかと驚く。
九月三日(火)「つひに出た九月一日のコラム」
九月一日のコラム「『徴兵制』を」はひどい。
安倍政権の下で、憲法改正や戦争準備が画策されている。今の日本が直面している危機を真剣に受け止めるならば、そんなものでは生ぬるい。もっと徹底した動員大勢が必要である。
山口氏はシロアリ民主党、中でも特に菅直人を応援してきた。福島第一原発の汚染水流出について
今ごろになって政府が乗り出すと言い出したが、具体的な知恵はない。
といふが事故直後から菅直人が介入し、後任の野田が冷温停止を宣言し記者会見では
本日、私が本部長を務める原子力対策本部を開催し、「原子炉が冷温停止状態に達し、発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」との確認を行いました。
と発言した。批判すべきは菅、野田である。次に放射性物質を封じ込めるには
被ばくが付きまとう。だから「徴兵制」が必要である。ただし、この場合余命が少なく、今まで原発の恩恵を受けてきた高齢の人間、それも政府や企業で政策決定に当たった人々から順番に徴兵すべきである。
だといふ。政府や企業で政策決定に当たつた人々から順番に作業させるのは賛成である。しかしそれは徴兵とは関係がない。作業員が不足してゐるならまだしも今は不足はしてゐない。原発で一番恩恵を受けたのは東電、原子炉メーカなのだからこれらが行ふのは当然だ。
被ばくのために病死した人は、名誉の戦死として顕彰すればよい。社会保障費の削減というオマケまでつく。
個人として言ふならよい。北海道大教授と肩書きを付けてこんなコラムを書いてはいけない。
九月八日(日)「本日のコラム」
本日のコラムで山口氏は
所得制限の導入と言えばもっともらしいが、役所の手間を増やすばかりではない。
所得制限は二段階ではいけない。それでは全額支給か無支給のどちらかになるからだ。7七百万円未満は全額支給、九百万円未満は半額負担、それ以上は全額負担といふ三段階でもよいし更に細かくしてもよい。山口氏は役所の手間を増やすといふが、今はコンピユータで処理するからこんなのは簡単である。
同じクラスに授業料を払う生徒と払わない生徒が混在することで、無用な軋轢を作り出す。与党の政治家は、その程度のことにも創造力が働かないのか。
同じクラスに会社から住宅手当をもらふ家庭ともらはない家庭がある。配偶者控除のある家庭とない家庭がある。だからといつて軋轢なんか起きない。同じように授業料は軋轢なんか起きない。それでも心配なら授業料分を還付してもよい。山口氏はその程度のことにも想像力が働かないのか。
税金に限りがある以上、有効に使はなくてはいけない。授業料が無料になるといつても他に学校の経費はたくさん掛かる。大雑把な計算では年に五十万円掛かるうちの授業料は十万円でまだ四十万円は掛かる。年収九百万円の人に十万円補助してもそれほど有難味はない。その程度のことにも想像力が働かないのか。
九月十日(火)「山口氏はシロアリ民主党そのものだ」
山口氏が所得制限をしてはいけないと述べた直後に次のように正反対のことを言ふ。
来年度予算は、寒くなっても家に薪(まき)がないので、ついに戸板やふすまを燃やしてつかの間の暖を取るようなものである。税制改革を先送りすれば、再来年から国民は寒風にさらされるばかりとなる。
つひに山口氏が本音を出した。高校授業料無料化の所得制限はするな、税制改革をしろ、といふことだ。シロアリ民主党そのものである。(完)
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