四百五十二、朝のテレビ小説「あまちゃん」(その五、世代を超えて)


平成25年
八月十五日(木)「橋幸雄」
若き日の春子がアキの前に現れてアキと話をする。そこに鈴鹿ひろ美が現れ騒ぎになりアキは目が覚めて夢だと判る。ここは感動の場面である。私も目頭が熱くなる思ひであつた。それは春子がデビューできなかつたといふ悲しみが背景にあるからである。橋幸雄が北三陸の体育館で公演し若き日の夏が海女の姿で花束を渡す。ここも感動の場面である。それは昭和三十年代後半のまだ日本では第一次産業が主力産業だつた時代の若い娘の努力の物語だからである。そして日本がまだ健全だつた時代の物語だからである。この番組の特長は三世代が同時に楽しめるところにある。
盆踊りなど昔から続く音曲は三世代が同時に楽しめる。しかしテレビの時代になりその世代しか楽しめなくなつた。そんな中で「あまちゃん」は三世代が楽しめる。

八月十六日(金)「電車」
駅長の大吉は夏のお供で上京し、東京の正宗が北鉄のことを電車と言つたとき、屋根の上に架線がないからディーゼルカーだと答える。今までは大吉も北鉄のことを電車と呼んできたから、NHKの視聴者から指摘があつたのかも知れない。
しかし昭和五十年頃までは長距離を走る車両は汽車、近距離を走る車両が電車といふ言ひ方をした。席が向ひ合はせでデッキのあるものが汽車、長い席で扉が近くにあるものが電車である。北鉄のように向ひ合はせと長い席が混在するものは扉が近くにあるから電車である。だから電車といふ言ひ方は間違ひではない。昭和四十年代は東海道新幹線のことを汽車と呼ぶ人も多かつた。
正宗がタクシーで都内を自在に回るのに対し、大吉は北鉄で決められたところを運転するだけだといふせりふがある。大吉は若いときは車掌だつた。運転士ではない。制作や演出が自分の担当範囲以外の放送分と連携がうまく行つてゐないような気がした。

八月十七日(土)「歌は世につれ世は歌につれ」
レコード大賞の受賞曲を昭和三十四年の第一回から並べると、昭和三十九年辺りから世の中が少しづつ悪くなる。昭和三十五年に橋幸雄が「潮来笠」で新人賞、三十七年に橋幸雄/吉永小百合が「いつでも夢を」でレコード大賞に輝いた。この年は倍賞千恵子が「下町の太陽」で新人賞、中村八大が「遠くへ行きたい」で作曲賞、東芝音楽工業が「スーダラ節」「ハイそれまでョ」で企画賞、童謡賞が「ちいさい秋みちけた」、特別賞に村田秀雄の「王将」と後世に残る名作がきら星の如く輝いた。三十八年もレコード大賞が梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」、新人賞に舟木一夫の「高校三年生」、作詞賞も丘灯至夫で「高校三年生」、作曲賞は「見上げてごらん夜の星を」でいずみたく、企画賞は日本コロムビアの「日本の民謡」だつた。

「あまちゃん」に登場するBGMはよい曲が多い。「行動のマーチ」「日常」「アキのテーマ」「家族」「潮騒」「TIME」「星めぐりの歌」は名曲である。寿司屋の前でアキが種市先輩と会つたときに流れた「南部ダイバー」の前奏も場の雰囲気にぴつたり合つてゐる。

八月十八日(日)「あまちゃん酔ひ醒ましの水」
「あまちゃん」の熱狂フアンが続出らしい。バスに弱いのに酔ひ止めを持つて三時間バスで小袖海岸まで行つただとか、東京ではデートの最中にあまちゃんのロケ地を見に行くと言ひ出し道を間違えてひたすら歩かされたあげく、古びたアパートを見つけた。
彼氏は『ここがあまちゃんたちの合宿所だよ』と大興奮していましたが、ドラマを観ていない私はポカン状態でした。『友達にも写メ送ろう!』と鼻息あらく写真を撮っていましたが、炎天下で一度もカフェで休憩もさせてもらえず、呆れ果てました」(NEWSポストセブン)

さういふ熱狂フアンを醒ます方法がある。「あまちゃん」は宮藤官九郎の作り話だと判らせることだ。ここが書き下ろし作品の弱点である。朝のテレビ小説で劇中歌がたくさん登場したものが昭和五十二年にもあつた。「いちばん星」である。流行歌手第一号佐藤千夜子の半生を描いた。
或いは作り話でも原作のあるものはそれを忠実に追ふ。例へば昭和四十七年の「新平家物語」では、平治の乱が放送された後に、次はだうなるのだらうと百科事典を調べて平家物語では藤原信西は逃げるが敵に追ひつかれ土に穴を掘り中に入り竹で息をするが敵に気付かれ殺害されると書かれていて、テレビでも次の週にそのように放送した。このときは多くの国民がまだ白黒テレビの時代だつた。
これらに比べて書き下ろしは原作がないから作り話だと言はれると弱い。「あまちゃん」の場合も逆転に次ぐ逆転が宮藤官九郎の作風である。例へばアキが解雇され鈴鹿の一言で太巻は取り消す。しかし春子と太巻が衝突し結局は退団する。そのことが判つてもやはり「あまちゃん」は軽快な笑ひと人情が満載されてゐるため面白い。

八月十九日(月)「家出と離婚はいけない」
「あまちゃん」では家出と離婚者が続出する。漁協組合長からして奥さんと結婚離婚を繰り返す。実際の世の中では家出と離婚はいけない。やむを得ない場合もあらうが周囲が説得するなり状況を変へさせるなりすべきで、少なくとも促進してはいけない。
「あまちゃん」の場合は、軽快な笑ひの連続でこれはドラマなのだと視聴者も判つて見るから実害がない。

八月二十日(火)「アイドルの再定義」
宮藤氏は次のように述べる。
このドラマの発想の核になっているのは「アイドル」の「村おこし」です。ここでいう「アイドル」とは、元気に歌って踊る女子達だけではありません。韓流スターでも野球選手でもパンダでも妻でも夫でも、なんなら電車でもお城でもいい。下敷きや定期入れに写真を忍ばせ、時々それを眺めるだけで、なんかちょっと頑張れる気がする。そんな存在。生まれたばかりの赤ちゃんは家族や親戚にとって、間違いなくアイドルであるように、本人の意志とは関係なく、まわりを元気に、笑顔にしてしまう、そんな「アイドル」の物語です。

ここにこのドラマの意義がある。

八月二十一日(水)「昨日の放送」
昨日の放送は期待はずれだつた。夏が倒れ手術を受けるところだが、病院の待合室で常連メンバーが騒いだり歌を歌つたりうるさい。ああいふ行動を取る人は一万人に一人くらいだらう。それがなぜ二十人もゐるのか。1万分の1の二十乗で発生する確率は極めて低い。
寿司屋ではGMTのメンバーが騒ぐ。大吉と春子は集中治療室で夏が目を醒ました直後に勝手に入つて騒ぐ。「あまちゃん」は高い視聴率でスタートしたので慢心したのではといふ気がする。

八月二十二日(木)「視聴率」
日曜の夜は子供がテレビを見るので、私は「半沢直樹」を見たことがない。しかし半月ほど前に視聴率が「あまちゃん」を抜いたと報道され、その後も上昇を続け先週は29.0%だつた。「あまちゃん」もこれまでの最高を記録したが22.9%だつた。「半沢直樹」は課長クラスの視聴率が高く、部長以上や係長以下では「あまちゃん」のほうが高いさうだ。その理由は部長クラスは半沢に反撃される側、係長以下は無関係といふ解説だつた。
「あまちゃん」はサラリーマンに人気が高く、朝の8時からはなかなか見れない。会社の休憩室のテレビで12時45分から見る人と、録画、BSプレミアムで朝7時半・夜11時・土曜にまとめて放送で見る人が多いらしい。ところでBSプレミアムつて何だらう。我が家ではBSは映らないからBSとBSプレミアムの違ひがよく判らない。日曜のダイジェスト(朝の5分版・午前11時の20分版)で見る人も多い。

八月二十三日(金)「藤圭子死亡」
昨日藤圭子が西新宿のマンシヨンから飛び降りた。私はこれまで藤圭子はあまり好きではなかつた、といふよりまつたく知らなかつた。しかし調べてみると「あまちゃん」と共通点が多い。生まれは岩手県。二番目の夫とは離婚と結婚を七回繰り返し、そこは漁協組合長とそつくりである。「新宿の女」でデビューした四ヶ月後に橋幸夫ショー(国際劇場)に出演、四年後の昭和四十九年は橋幸夫ショーに多数回出演(明治座4月1日~28日、大阪新歌舞伎座8月1日~28日)するが夏は若いときに北三陸に来た橋幸雄とデュエットし、年を取つてからも東京の寿司屋でデュエットする。娘を芸能人に育て上げ、そこは春子そつくりである。娘が歌手になるとき「Uスリーミュージック」を設立するが、春子は「スリーJプロダクション」を設立する。圭子を見出した作詞家の石坂まさをは85年には3355曲を収録した「全国我が町音頭」(カセットで51巻)を発売したが「あまちゃん」も村おこしがテーマである。

藤圭子の父親は浪曲師、母親は三味線奏者。父親が死亡(両親が離婚といふマスコミもある)貧乏の中で母親と流しの歌手をして生活を支へた。そして歌唱力で日本第一の歌手になつた。まだアイドルが世に広まる前の古い形の芸能人であつた。(国民歌手藤圭子へ)。

八月二十五日(日)「三代の引き継ぎ」
藤圭子の「歌謡浪曲/刃傷松の廊下」「歌謡浪曲/番場の忠太郎」を聴くと両親の伝統を引き継いだことがよく判る。しかし藤圭子はその後、ポリープ手術で声質が変り芸能界を引退したり復帰したりを繰り返しアメリカ移住で伝統を捨てる。だからそこで生まれた宇多田ヒカルは芸能人といふ職業は母親から引き継いだが、祖父母からは何も引き継がなかつた。
「あまちゃん」のアキは祖母から海女と村おこしを引き継ぎ、母からは芸能人を引き継いだ。あとは宇多田ヒカルに祖父母を引き継いだ音楽を創つてほしいと思ふ。


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