四百五十二、朝のテレビ小説「あまちゃん」(その四、1.マスコミと芸能界の横暴、2.本放送を観て)


平成25年
八月五日(月)「アイドルとアナウンサ」
私の年代はテレビの普及する前をかすかに憶へてゐる。街には紙芝居が来たし、ラヂオでは浪曲や歌謡曲を放送した。縁日になると神社の裏の空き地に見世物小屋が建つた。当時の芸能人は声量があつた。
テレビの普及とともにアイドルと呼ばれる人たちが現れた。この当時のアナウンサは技能職で、高橋圭三や宮田輝のように有名になる人は稀だつた。テレビ界が変になつたのは昭和六十年代、おそらくはバブル経済のときである。
アナウンサは定年までアナウンサをすべきだ。解説委員になつたり理事になつたり国会議員になつてはいけない。日本の芸能の伝統から考へればアナウンサは黒子の被り物で出演するか、副調整室の隅で話すべきだ。アナウンサといふのはマイクに声を乗せるのがうまいだけの発声異常者である。普通の出演者は敬称略なのにアナウンサだけ「アナウンサ」と付ける。これは戦前の軍部と同じで特権化するから廃止しなくてはいけない。

八月六日(火)「アイドルグループ」
テレビが普及する前は、歌手の人気と実力は比例してゐた。次にテレビが普及するやうになると歌に恵まれるかだうかが有名への分岐点になつた。カラーテレビが出てくると更に容姿で売れる売れないが決まるやうになつた。そしてアイドルがグループ化するとプロダクシヨン社長が十万枚売るといへば売れる。さういふ時代になつた。
アキの抜けたGMTが十万枚を売つた。尤もカネを使つて売つたのだから赤字で、次のヒツトは無いのかも知れない。それより音声処理した件はだうなつたのか。NHKも少し制作が雑になつたのでは。あるいはこれは次の話題への仕込みか。

八月九日(金)「『時間ですよ』の現代版」
これまで、前半は総集編、後半は週一回のダイジエスト版だけを観たが、一昨日休暇を取り浅草花屋敷に行き余つた時間と毎日の早朝夜間で本放送の第一週から第六週までを観た。視聴率の高い理由が判つた。それは毎回劇中にちりばめられた笑ひと人情劇である。昭和四十年代後半にTBS系で放送された「時間ですよ」と類似してゐる。
「あまちゃん」にあつて「時間ですよ」にないものは町起こしである。『時間ですよ』はプラザ合意の前だから日本中に活気があつた。三陸海岸も例外ではない。だから三陸縦断線が建設中で十年後に開通する。

八月十日(土)「劇中歌」
軽快な笑ひと人情のほかに、歌が懐かしいといふ視聴者は多い。私は本放送を観て思はずうなつた。突然心臓麻痺を起こした訳ではない。私の知つてゐるのは橋幸雄の「いつでも夢を」だけだつた。海女たちが海岸に行くときに歌ふ。この曲が流行したのは昭和三十七年。私が六歳のときである。
それ以外の曲は聞いたことがない。好きとか嫌いといふのではなく、おそらくテレビやラヂオからは流れたのだらうがまつたく頭に入らなかつた。無理もない。私は夏婆つぱと春子の中間の年代である。橋幸雄が本人の役で出演することが昨日発表になつた。

八月十一日(日)「前半の本放送を見終へた感想」
第二部東京編の一週目(第十三週「おら、奈落に落ちる」)までを見終へた。感想は途中の第十週あたりから笑ひがどぎつくなつた。関西で視聴率が低いことに配慮したのかも知れない。しかし今までの軽快な笑ひがよい。大吉が何回も水口を殴らうとして空振りし、最後に当り水口が気絶してしまひ大吉が「当たつてしまつた」と慌てる場面など、吉本のコントそのものである。
ここまで作家Xの「星めぐりの歌」は前回紹介した忠兵衛の二回のほかに映画「潮騒のメモリ」をスナツクの常連が説明のときに一回、アキがユイと東京に出発する前々日から前日にかけて一回あり、全部で五回だつた。
アキの話す東北言葉は、実際は関東言葉である。関東べい、おら、等々。関東言葉は栃木、群馬、茨城では一般的だが、首都圏ではほとんと使はない。しかし理解はできる。それが関東の高視聴率の理由である。

八月十二日(月)「銭湯、あかじ坂、北三陸鉄道」
土曜、日曜で先々週の放送分(第十八週「おら、地元に帰ろう!?」)までをすべて見終へた。三つのことに気付いた。
一つ目は銭湯である。寿司屋の向かひに梅の湯といふ銭湯がある。しかし寿司屋はアメ横スタジオの裏だからあの辺りに銭湯はない。アメ横スタジオから500mほど南の昔の地名でいふと上野黒門町に銭湯がある。しかしGMTの寮とは反対の方向だから、アキたちが銭湯に行くとすれば六龍鉱泉か山の湯だと推定した(その二へ)。
二つ目はあかじ坂が三回登場した。一回目はアキが自転車で下るところ、二回目は国民投票直後にスキヤンダルが発生し退団するメンバーが荷物を持つてあかじ坂を歩いて下るところ、三つ目は国民投票でアメ横女学園のセンターからGMTに降格した有馬メグが荷物を持つてあかじ坂を歩いて上る場面である。アキ以外の二人はあかじ坂からどこに行くか、或いはどこから来たかを推定しよう。もし地下鉄根津駅ならあかじ坂よりもう一本南側の坂が近い。だから都バスの根津神社前のバス停であらう。
三つ目は北三陸市から東京に行くときの経路である。北三陸鉄道が開通したときの説明と、その二十五年後にアキがGMTに入団して東京に向ふときは、どちらも三陸海岸に沿つて仙台まで南下する経路である。しかし十六週あたりで、わざわざ時間の掛かる経路で来たといふセリフがある。NHKに仙台経由は時間が掛かると指摘した人がゐるのかも知れない。経路に付いては同時進行中のあまちゃん人気の勢ひで三陸縦貫線(仙台-八戸)を復活させようで説明したい。

八月十二日(月)その二「わがまま母娘」
春子はアキにブス、バカなどと罵声を浴びせたり、皆の前で引つぱたいたりして、実に嫌な性格を演じた。ところが第二部では性格が一変する。それは春子の過去がそれまでは不良少女だつたが、これ以降はアイドル歌手志望だつたことが判つたためである。アキが東京に着いた後の春子は芸能界に詳しく頼もしい存在になる。
さうなるとアキのわがままが気になる。まづ高校を東京から北三陸に転校し、これは止むを得ない。次に潜水土木科に転科するが、これも何とか納得できる。しかし東京の高校に転校するのは身勝手すぎる。その前にアキの提案で海女カフェを作つたのに東京に行つてしまふ。漁協組合長がユイとアキの上京計画を聞いて倒れるのも判る。北鉄がせつかく二人の上京のために臨時列車を仕立ててくれたのにユイがお父さんの病気で上京を延期するときアキまで上京を中止しようとする。結局はユイに説得され一人で上京する。もしあのときアキも上京を中止したらだうなるか。臨時列車を仕立てた大吉の立場がなくなる。アキの態度は実にわがままである。
春子が昔の人脈でやつとの思ひでテレビ出演の仕事を取つてきたのにアキはやりたくないといふ。これもアキのわがままである。

八月十三日(火)「劇中歌、その二」
天野春子の「潮騒のメモリー」はドラマの外でも大変な反響を呼び、紅白出場かなどと既に噂されてゐる。この曲は別格だからそれ以外の「暦の上ではディセンバー」と「地元に帰ろう」を取り上げよう。
「暦の上ではディセンバー」は今まで八小節だけが演奏された。この八小節はよい曲である。最近になつて曲全体が明らかになつたが、私にはあの八小節以外はだうも印象に残らない。或いは八十年代のアイドル歌手に親しんだ世代にはピンと来るのかも知れない。何しろ私は夏と春子の中間の年代である。
「地元に帰ろう」も一番の歌詞はすばらしい。地元といふ語を故郷と対比させてゐるからだ。しかし二番以降の歌詞はだうも印象に残らない。これも年代の差かも知れない。

八月十四日(水)「人情喜劇」
「あまちゃん」の人気の高い理由をこれまでいろいろ述べたが、最大のものは人情と笑ひである。或る日の開始時のナレーシヨンに、今日は最初から重い内容ですがいつものバカみたいな感じに戻ると思ひます、といふのがあつた。「あまちゃん」はバカみたいな感じだから人気が出る。

NHKは日曜の夜に大河ドラマも放送する。ここ十五年ほどは見ない。我が家はテレビが一台で子供が違ふ番組を見るためだ。それ以外にも理由がある。余分な話が多すぎる。一年間は長いからつまらない話で引き伸ばす。NHKの制作はもつとうまく作れないのか。
なかにし礼著『歌謡曲から「昭和」を読む』におもしろい話が載つてゐる。昭和二十年代後半から三十年代前半の歌謡曲は清新さと活力に欠けるといふ。それについて
その理由の大半は、レコード会社の専属制にあったと私は思う。専属制とは、それぞれのレコード会社が作詞家・作曲家・歌手を自社専属としてかかえ、専属料や印税を支払って生活を保障する制度。

NHKも同じではないのか。制作や演出の担当者はNHKの従業員である。しかも放送業界は給料が高いからNHKもそれに引きずられる。だからつまらない制作が多くなる。「あまちゃん」の場合はつまらない話があつたとしても笑ひと人情でそれを打ち消してゐる。


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