四百五十二、朝のテレビ小説「あまちゃん」(その六、汽笛の聞こえる喫茶室)
平成25年
八月三十一日(土)「汽車」
運命の日、平成二十三年三月十一日がやつてきた。喫茶リアスで皆と雑談してゐた駅長と副駅長が「汽車を出すか」といつてホームに向ふ。汽車といふ言ひ方はよい言ひ方である。長距離列車を汽車といふ言ひ方は昔は普通だつた。
ユイはこの汽車で東京に向ふ。翌日アメ横シアターでアキのコンサートを見て、その後たぶんGMTに入団するのだらう。本人は水曜に帰るといふがナレーションはどちらか判らないと云つた。
この日はなかつたがときどき喫茶リアスに汽笛が聞こえる。甲高い機関車の汽笛がほとんどだが、その後一回か二回気動車の低い汽笛も使はれた。私は貨物列車の入換があると解釈した。八戸から久慈駅への貨物列車は廃止されて久しいがドラマは架空の北三陸駅である。
九月一日(日)「鈴鹿ひろ美」
鈴鹿ひろ美はアキのことを知らずに付け人にした。そしてドラマは何ヶ月も進行した。しかし鈴鹿は春子が自分の吹き替へだと知つてゐて罪滅ぼしでアキを優遇したのでは。太巻がふと漏らした。それで視聴者は合点がいく。
そして先週は太巻が鈴鹿ひろ美の夫だといふことが明らかになつた。これもなぜ鈴鹿が映画撮影で監督と同等の発言力があるのか合点がいく。しかし付け人だつたアキがそのことを知らないのは不自然だ。一瞬さう考へてしまふが、推理小説のように話が進化するところもこのドラマの特徴である。不自然ではなくする方法もあるがそれではドラマが複雑になる。単純で判りやすいのがよい。
九月三日(火)「東北大地震」
土曜を除き録画だから今日は大地震の日を見た。ユイが乗り大吉が車掌として乗務した列車は隧道の中で急停車した。ディーゼル車なので照明と暖房と便所は使へる。いつまで経つても北鉄本社から指令が入らないので大吉が隧道の外まで見に行つた。そこには津波で被害を受けた光景があつた。後から付いて来たユイに「見るな」と言つたが遅かつた。
これまで五個月間の大吉の役は北鉄の鉄道部長である。しかしそれでは部下が多数になつて役に合はないから、部下が一人の駅長にした。その微妙な設定は見事である。
九月六日(金)「軽快な笑ひと地元志向」
大吉が真つ暗な隧道を「ゴーストバスターズ」と言ひながら歩く姿に面白さがある。前回は病院で騒いでどぎつい笑ひだつたが、今回は軽快な笑ひでよかつた。
東京ではアキが地元に帰ると言ひ出す。地元で頑張ることは「あまちゃん」の基本テーマであつた。
九月十一日(水)「地元の議員」
ヒロシとユイのお父さんの足立が県会議員を辞職した。市長選に立候補することになつた。昔は自民党も社会党も地元の議員だつた。鈴木善幸が典型でリアス海岸中部の山田町のアワビ、スルメ漁を営む網元の家に生まれた。漁協連合会などに勤務の後に社会党から衆議院議員になつたが後に自民党に移り首相になつた。
東京で私の近所にも最初は社会党で後に自民党といふ地元の議員がゐた。地元の議員は一歩間違へると地元に利益代表に転落する。それを防ぐために政党がある。全国の議員が全国の地元のために働かなくてはいけないのに、社会党が消滅の後は五五年体制の自民党まで変になり、つひにはシロアリ民主党まで現れた。「全地元プラス全中小企業」対「大企業ニセ労組プラス大企業サラリーマンニセ経営者」の闘ひといへる。
九月十四日(土)「あかじ坂と第2まごころ寮を見た」
今日は上野池之端の労組大会に来賓として参加した。帰りに十五分ほど歩き、あかじ坂と第2まごころ女子寮を見た。その後、アメ横のEDOスタジオ、松坂屋裏のまめぶ販売広場も行く予定だつた。ところがこの日は暑く坂を降りるのは嫌だなあと台地の上を上野公園の方向に歩いた。坂を下りるとそれだけ位置エネルギーを消費するから等高線上を歩いただけだつた。アキが灯台のある堤防から階段を下りず堤防上を走るのと同じ発想である。上野公園を抜けたところで坂を下りればアメ横だから距離的には100mの遠回りで済む。しかし暑いのではるか手前の言問通りを右折し善光寺坂を下りて根津駅から帰宅した。
もし根津駅で乗らずそのまま本郷湯島台地を登り谷中方面を振り向くと、父の時代には上野の五重塔と谷中の五重塔が見えたさうだ。谷中の五重塔は戦後放火で焼けてしまつたし、上野の五重塔は高い建物が多くなり私が子供のころは既に見えなかつた。
九月十八日(水)「古い民家」
ここ二週間ほど何か物足りなかつたが、アキが北三陸に帰り天野の家が映つてその理由が判つた。私は古い民家が好きなのである。アキがGMTを抜けてから第2まごころ女子寮が映らなくなつた。
人によつて八十年代の音楽が好きだ、橋幸雄の時代の音楽が好きだ、アイドルが好きだ、海が好きだなどそれぞれ理由がある。皆が楽しめるところにこのドラマの特長がある。
九月二十日(金)「小さな舞台装置」
春子が鈴鹿の歌唱指導をするとき、後方に「高音のときは手を上げて」など張り紙がたくさんある。かういふ細かい舞台装置も人気の秘密である。視聴率が高いのでそれぞれの担当がより一層もてる力を出したのかも知れない。
東京で有名になつたアキが全然偉ぶらない。これも人気の理由である。
九月二十一日(土)「あまちゃんの音楽」
「暦の上ではディゼンバー」はアメ横女学園が十六小節を歌ふだけでそれ以外の小節は放送されなかつた。後日全部が公開されたが最初聞いたときは何だか判らなかつた。不快感はなかつたが耳を素通りした。
それから何ヶ月か経過した数日前にたまたま入つた本屋でこの曲が流れた。なぜ本屋で音楽を流すかと言へば悪徳牛丼屋(M屋とS家)と同じで早く客を追い出さうといふ発想だがそれはさておき、このときは心地よかつた。
二十代のころに同じ体験をしたことがある。秋葉原に石丸電気レコード館といふ建物があり、クラシックのフロアがあつた。当時ベートーベンに凝つて、と言つても交響曲の5番と6番がいい曲だと思ひ、7番をFMラヂオで聴いたが期待外れで耳を素通りした。そのようなときにエレベータで上がつてクラシックのフロアで降りてレコードを探してゐたら心地よい曲が流れてゐた。しばらくして7番だと気が付いた。それから7番を聴くとよい曲だつた。耳が慣れるには時間が掛かると判つた。
次に別の曲に移ると「あまちゃん」のテーマ音楽は最初から心地がよい。全体がよいが特によいのが前奏3小節ののち主題に入つて16小節目の伴奏が急に速くなつてドレミファソラシと上がる部分である。それだけではなく16小節目まで四の倍数の小節(場合によつては一つ前の小節から)で工夫がされてゐる。あと23小節目(ロングバージョンだと27小節目)とその次も工夫が施されてゐる。
九月二十二日(日)「松坂屋裏、アメ横、秋葉原を訪問」
今日は「スリランカフェスティバル」、「日韓交流おまつり」、墓参りに行つたついでに、松坂屋裏の広場、アメ横EDOホール、秋葉原に立ち寄つた。
松坂屋裏の広場は名前は松坂屋だが南館の東側に増築した部分でスポーツ用品店が入つてゐた。名ばかり松坂屋である。EDOホールは行つてみてアメ横センターだと知つて驚いた。といふのはアメ横センターは昨年か一昨年も行き、そのときはスクリーンが付いてゐなかつたような気がする。地下の食料品売り場では中国とフィリピンの食材店が店を並べてゐる。アメ横センターにあまちゃんのポスターやロケ地の看板があり、記念写真を撮る人が何人かゐた。向ひのアメ横商店街の一つの長屋にもアメ横に来てけろといふあまちゃん便乗ポスターが各区画ごとに計四枚くらい吊り下げられてゐた。
秋葉原は旧万世橋駅の店舗街を見に行くついでにAKBホールを外から見た。チケツトを持つてゐないから中には入れないし入口は待つ人が多く下りエスカレータ辺りから遠巻きに入口を見ただけだが、類似したGMTが登場したのでAKBはかなり宣伝になり喜んでゐるのではないだらうか。
次に旧石丸電気レコード館を見た。石丸電気は初めて聞くカタカナ名の会社に吸収されてゐた。レコード館はラジオ会館を建て替へるまでの間、ラジオ会館2号館となつたが入居する三つの会社のうち一つは倒産したのか荷物置き場になつてゐた。その変り果てた姿に愕然とした。
秋葉原といふとラジオセンター、電波会館、ラジオデパート、石丸電気、サトウムセン、LAOX、ロケット。電気とは無縁だが秋葉原デパート。今残つてゐるのはラジオセンター、電波会館、ラジオデパートの三つだけである。秋葉原はずいぶん変つた。しかし一番変つたのはAKBスタジオができたことだが外からは全然目立たない。
九月二十八日(土)早朝「円満終結型ドラマ」
悪人を演じた太巻が実は悪人ではなかつた。鈴鹿と太巻が結婚式を正式に挙げ、離婚した春子と正宗、大吉と安部も再婚した。性格のひねくれたユイも元の性格に戻つた。いよいよ本日分を残すだけになつたが、皆が円満に収まつてよかつた。
鈴鹿は音痴だが、海女カフェで歌ふとき若いときの春子が幻に現れうまく歌へた。ナレーションではその後、若いときの春子は二度と現れなかつたといふ。翌日の放送では、鈴鹿が音痴なのはわざと、歌手志望ではなかつた、真相は本人しか判らないと謎を視聴者に任せた。これはユイが大地震の当日、東京に向ふときこのまま東京でGMTに入るつもりだつたかだうかを視聴者の判断に任せたのと同じ方法である。
しかし結論は異なる。鈴鹿がこのとき歌へたのは前日の放送どおり偶然である。ユイが東京に行つた場合に戻つてくるかだうかはユイの発言とは異なり戻つてこなかつたと思ふ。それは荷物の大きさである。
九月二十八日(土)午前「最終回」
北鉄が畑野まで復旧する祝典で昭和五十九(1984)年と同じことが起きる。あのときは線路が東京まで繋がつた。回はいずれ東京まで繋がるといふせりふだつた。三陸鉄道は来春に全線が復旧する。しかしJRが不通だから東京まで繋がる見込みは立つてゐない。
ミサンガがまだ切れない。最終回でアキがいつた。私もミサンガではないが糸を手首に巻いてゐる。先週の日曜にスリランカフェスティバルに行つたとき上座部仏教の比丘に付けて頂いた。この糸は自分で切つてはいけない。だから風呂に入つたり手を洗ふ度に濡れて乾くまで時間が掛かるしだんだん黒ずんでくる。早く切れないかと思ふところはミサンガと同じである。
昭和五十九年の開通式と今回の開通式で番組の最初と最後が終結した。しかしまだ終結しないものが一つある。昭和五十九年はプラザ合意の前年で円高になる前だつた。あのとき円高は経済の平衡作用だと気が付き、輸出を減らせば円高は収まり元気な日本が復活した。しかし日本は技能職の事務技術職への移動や、派遣、偽装請負、海外移転、過労死で乗り切らうとして失はれた二十年を招いた。
輸出企業即ち東京はそれで乗り切つた。しかし地方の地場産業は切り捨てられた。昨年、岩手大学農学部の就職担当教授と話したときも、輸出産業の給料は高いといふ話が出た。もちろん金融業などは更に給料が高いがそれは農学部の卒業生とは関係がない。地場産業を復活させるため円高を元に戻す。しかし輸出は増やさせない。これが「あまちゃん」で未だ終結してゐない日本の課題である。
九月二十九日(日)「マスコミに媚びず」
アキはテレビに出演し映画の共同主演になつた。それなのに地元に帰つた。かつて芸能界はこんなものであつた。ところがラヂオやテレビの出現で偉くなつたと勘違ひする芸能人が多数現れた。「あまちゃん」はその反対をやつた。そこがこの作品の最も優れたところである。(完)
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