三百九十三、西洋かぶれを叩いてみれば、帝国主義者の音がする(山口二郎氏批判、その九)
平成25年
四月七日(日)「在日コリアンといふ奇妙な用語」
在日韓国朝鮮人の人たちは、朝鮮半島から日本列島に移動し日本語を使ひ生活をする人たちとその子孫である。だから全員が日本語を使へるし、その一方で先祖たちの言語も忘れないようにしようと韓国朝鮮語を学ぶ人たちがゐれば、これも日本と韓国朝鮮の橋渡しとして歓迎すべきことである。
ところが平成年間に入り、日本人の中に拝西洋反日といふ奇妙な連中が出てきた。そして在日コリアンといふ奇妙な用語を用いて両者の反目を煽るようになつた。まるでイスラムとヒンドゥーの対立を煽つてインドを統治したイギリスみたいである。
山口二郎氏は七日のコラムで
ひどい時代である。東京や大阪の在日コリアンが集住する地区で、排外主義団体が「死ね」などというスローガンを叫んでデモを繰り返している。
ある国なり地域なりの特性を調べるには普通の人を調査すべきだ。例へばうつ病患者を調べてどちらの地域が穏健かを調べても意味がない。私は東京大久保の韓国、タイなどの店の多い地区にときどき行くが、まだ排外主義団体のデモには遭つたことがない。さういふデモが有つたことは一部の新聞で報道されたが、ごく少数の人がやつただけで「ひどい時代である」といふのは不適切である。
それより日本で真面目に生活する在日韓国朝鮮人の人たちを在日コリアンと呼び、反日に仕立て上げようとする勢力こそ非難されるべきである。例えば
朝鮮民族の言葉や名前を奪った植民地支配の回復保障処置として、在日コリアンの民族教育を保障しなければならない
と叫ぶ福岡県立大の准教授岡本氏である。コリアンといふ奇妙な用語は二十年前にはなかつた。狐狸庵(こりあん)とは遠藤周作のことなのだから。
四月七日(日)その二「聞いて呆れる文明社会」
山口氏は同じコラムの後半で
文明社会では、差別や人種主義を断固として否定しなければ、一人前に扱ってもらえない
と主張する。人種主義とは白人が有色人種を差別するものだ。今はさすがに少なくなつたが、かつてアメリカでは乗るバスまで白人と黒人は席が別れてゐた。或いは南アフリカで長いこと白人による統治が続いてゐた。今はさうしたものがほとんどなくなり喜ばしいが、代はりに現れたのが普通選挙を行ふかだうかでその国を差別しようとするもので、これも一種の白人国及びそれに追従する国と、それ以外を区別しようとする悪質な人種差別である。
文明社会とはいつたい何のつもりだ。かつて鹿鳴館でダンスパーテイーを行つて文明国の仲間入りをしようとした連中と発想が同じではないか。
四月九日(火)「アメリカは差別、人種主義の総本山だ」
「今はさすがに少なくなつた」と書いたがそれは表面上のことだ。私は17年くらい前にアメリカの取引先企業で8ヶ月仕事をしたが副社長、部長は白人、課長も白人がほとんどだが日系人もゐた。技術者、事務、営業には白人にアジア系が少しゐたが黒人は一人もゐなかつた。黒人は郵便物集配と掃除だけだつた。私の滞在したのは18年前だが今でもほとんど変つてはゐないはずだ。
アメリカの犯罪者になる比率を見よう。黒人の何割が刑務所に入るか。黒人だけではない。カリフオルニア以外の話だがアジア系でも出身国によつては居住地域があり、あそこは治安が悪いから行つてはいけないといふ場所があつた。
四月十日(水)「世界がアメリカの真似をしてはいけない理由」
世界は長い歴史を経て人類を平衡化させた。ところがアメリカは平衡化してゐない。いはば広大な未開地を食ひ荒らす害虫である。だから世界はアメリカの真似をしてはいけない。ところがアメリカのやり方を真似しようとする連中がゐる。シロアリ民主党である。そしてフルブライト奨学生として二年間留学した山口二郎氏である。
四月十三日(土)「アメリカが平衡に達する前に地球は滅びる」
アメリカにオバマ大統領が現れた。しかし人種差別が解消されることは絶対にない。今から数百年が経過すれば別である。しかしその前にアメリカが移民の受け入れを停止し建国時の十三州に居住地を制限しない限り地球は滅びる。
それはさておき日本には悪質な人種主義が存在する。パン製造会社の配送者に白人の子供がパンを食べる絵が書かれたり、幼児用製品の広告に白人の子供の写真や絵を使ふことである。日本で販売するのだから日本人を使ふべきだ。世界に展開といふのなら白人、有色人種の区別なく使ふべきだ。地球は白人だけが住むのではない。その無神経さをなぜ山口氏は指摘しないのか。それでゐて「文明社会では、差別や人種主義を断固として否定しなければ、一人前に扱ってもらえない」とは呆れる。
長い歴史を経て人類が平衡化したことについて追加すると、固定されることが平衡ではない。長い歴史で人類は少しづつ進歩した。その少しづつ進歩した状態も平衡であり、そこから外れた状態は非平衡である。非平衡も長い年月で平衡に達するが、アメリカのように移民国で人口密度の低い大地ではいつまで経つても平衡には達しない。
四月十四日(日)「やはり山口氏は帝国主義者だつた」
本日のコラムで山口氏はグローバル人材には二種類があるといふ。
第一は、英語公用語の社内で生き残り、外国展開を担うごく少数のリーダー。
もう一種類はラオスやミャンマーの労働者と同様、劣悪な条件でも文句を言わずに働き、会社についていけなくなっても自分が悪いから、と自己責任でおとなしく辞めていく大半の「有益」な人材である。
この文章の一つ目の問題点は、グローバル人材の大半は自分の得意分野で働ける人たちである。その際に英語が問題になつても今はメールで事足りる。わざわざ苦労して聞き取り能力だのと無駄な時間を費やす必要はない。ましてや社内の英語公用語など不要である。時間が無駄だし人間関係も壊れる。ワンマン経営者が自己趣味でそのようなことを言ひ出した企業が多少はあつても、それらは本業の利益を食ひつぶすだけで独創は生まれない。つまり社内公用語の会社のリーダーを第一の種類、劣悪な条件で文句を言はず働く人たちを第二の種類として、グローバル人材の大半を占める本当の人材を無視してゐる。
二つ目の問題点はラオスやミャンマーの労働者と同様、劣悪な条件の部分である。非先進国を馬鹿にするのは止めてもらひたい。私は発展途上国といふ言ひ方はしない。地球破壊に向けて先進する国ではないといふ意味で非先進国と呼ぶことにしてゐる。非先進国は先進国から見れば収入は低いが、それぞれの国で幸せに暮らしてゐる。それなのに劣悪な条件と勝手に判断する。戦前に西洋列強がアジアアフリカを非文明国と見做し植民地にしたのと発想が変はつてゐない。(完)
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