四百四、歴史捏造を許すな(山口二郎氏批判、その十)


平成25年
四月二十八日(日)「山口氏は帝国主義の手先だ」
今日の山口氏のコラムはひどい内容である。といふかいつもひどい内容だから、いつもと同じである。
第二次世界大戦後の世界秩序は、好むと好まざるとにかかわらず、民主主義国がファシズムを打倒したという物語の上に成り立っている。

戦後の安保反対闘争を、当時の岸首相がA級戦犯だつたからだと出鱈目なことをいつて歴史を捏造した山口氏である。今回も懲りずに捏造を始めた。第二次世界大戦は植民地を持つ国と持たざる国の醜い植民地争奪戦争である。そんなことは昭和六十年代までは誰もが知つてゐた。植民地を持つ側は経済に余裕があるから議会政治を継続できる。植民地を持たざる側は世界恐慌の影響をもろに受けて議会はファシズムになつた。
民主主義とは投票者及び議員が私心を捨てなければ成り立たない。投票者が私心を持てば利害の対立だし議員が私心を持てばシロアリと化す。だから今でも世界に民主主義国は存在しない。
そもそも第二次世界大戦後にアメリカはゴジンジエム、李承晩など独裁者を支持したではないか。その後もカンボジアのクーデターを支援したりイラクのフセインを支援した。
何より山口氏は米ソ冷戦を忘却してゐる。米ソの間は冷戦だつたが代理戦争が朝鮮半島、ベトナム、ラオス、カンボジアで行なはれた。あれだけ大きな戦争を忘れるとは山口氏は読売新聞とアメリカ系マスコミの拝米三流記者と変らない。

植民地に反対したのは世界の大国の中でソ連だけである。これは高く評価する必要がある。イギリスはインドで弾圧を繰り返しフランスもベトナムで弾圧を繰り返した。一方でソ連も権力闘争があり権力を握つたあとの共産党はひどいがそれは別の理由による。孫文がソ連になびいたのは当然であつた。
西洋列強が植民地を解放した理由は、一つはガンジーなど独立運動である。二つ目は冷戦である。

四月二十九日(月)「山口氏によると国際社会には日本の居場所がない」
昨日引用した文に次が続く。
日本は、植民地支配をした側、侵略戦争を仕掛けた側である。

これ自体は間違ひではないが、それは西洋列強も同じである。しかし山口氏は昨日の民主主義国がファシズムを打倒したといふ文章に改行せず続けて書いたからつまり民主主義国は植民地支配と侵略戦争をせずファシズムの国はそれらをしたと文脈から意味を取るしかない。そして
そのことを否定するなら、国際社会に日本の居場所はない。

これが国立大学教授のいふ言葉だらうか。政府に逆らふことは一面立派である。しかし山口氏は拝米反日だから偉くもなんでもない。社長にゴマをすつて直属の上司には逆らふようなものだ。余計に上昇志向が強いと見做される。
国の指導者が靖国神社に参拝するということは、侵略戦争を正当化するという歴史観に賛同することを意味する。

これもひどい主張である。国の指導者以外が靖国神社を参拝した場合はどうだらうか。やはり侵略戦争を正当化するといふ歴史観に賛同することを意味するだらうか。山口氏は国の指導者と一般の人は違ふと言ひ逃れをするだらうが、誰が参拝しようと差はない。ただし靖国神社には東條英機が祭られてゐる。もしカンボジアの首相がポルポトを祭つた社に参拝したらどうなるだらうか。世界はカンボジアへの援助を止めると言ひ出すだらう。ドイツの首相がヒトラーを祭つた墓に参拝したらどうだらうか。これも世界はドイツに不快感を持つだらう。
東條英機は国民に対し敗戦責任をまだ取つてゐない。ここは退去していただくのがよい。なを私は靖国神社は神仏分離以降に建造されたものだから違和感を持つ。神社本庁を含む各宗派が輪番で管理するのがよい。だから私は過去に靖国神社は二回しか参拝したことがないし、二回目はお賽銭を拝殿ではなく鎮霊社に入れた。拝殿にもお参りはした。鎮霊社は「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました」とある。東條英機も本殿より鎮霊社のほうが居心地がよいと思ふ。

五月五日(日)「私と山口氏では野蛮人の意味が反対」
本日の山口氏のコラムで問題なのは
言葉尻に差別意識が染み出るような政治家は、所詮野蛮人である。

産業革命以降世界では残念なことに欧米が正しくてそれ以外は野蛮人だといふ発想が今でも続いてゐる。だからそれへのパロデイとして五年前に欧米野蛮人と逆に呼んでみた。その延長線上に「中野区といふのは悲惨な土地である。ああいふ所で仕事をしたり居住する野蛮人どもがゐるとは驚く、といふのは冗談で私も勤務地が中野である」と自分を野蛮人だと冗談で書く方法も先日用いた。決して「北海道に住むとは野蛮人である」と自分と無関係な人を批判したりはしない。
ところが山口氏は西洋が文明国でそれ以外は野蛮だといふ文脈で使つてゐる。その根拠は
日本のメディアが極めて鈍感であり、差別、人権無視などの非常識を放置してきたことの反映である
と日本のメディアを批判し、その裏返しとして暗黙のうちに欧米のメディアを誉める。猪瀬知事の問題は猪瀬知事だけが悪いのではない。多くの日本人が欧米は優れてアジアは劣り日本は欧米の仲間入りができた、と思ひこんだところから発してゐる。その責任は日本の大手マスコミと政治にある。(完)


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