三百八十七、法王選出の選挙が民主主義の原点だ


平成25年
三月二十七日(水)「新法王選出」
先日ローマカトリツクの新法王が選出された。この法王選出の選挙が民主主義の原点である。枢機卿は私心を捨て神に祈りながら法王を選出するからである。おそらくこの制度ができて二回目か三回目以降は堕落したかも知れない。次の法王を巡り暗躍が始まるからである。しかしその選出方法の原点こそ、人類が目指すべき民主主義である。

三月二十八日(木)「近代の民主主義」
近代の民主主義も同じである。日本ではおそらく参議の制度ができた初期はうまく機能したのであらう。しかしすぐに任官工作や多数派工作になつたはずである。
権力の側に就いた者は自分の地位を守ることや更に権力を広げることに精一杯になる。権力から外れた者も野党内で地位を得るか権力側に寝返ることを考へる。

三月二十九日(金)「私心なく政治を行ふ」
私心なく議論し可決することが民主主義である。だとすれば西洋のやり方は本当の民主主義ではない。議員は私心の固まりだし、有権者も固定票と称される層は私心の固まりか、或いは所属する組織の幹部が私心の固まりである。
だから日本では、まづ業界団体、労働組合、宗教団体の選挙干渉を禁止すべきだ。選挙活動はもとより推薦もいけない。それでは投票者の良心が無視される。(完)


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