三千八十四(うた)行動日記(武蔵浦和)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
一月十三日(火)
区役所へ行く用事があり、仕事の帰りに武蔵浦和駅まで乗った。そのせいか、帰りに図書館と、商店街のマーレに寄った。
今まで家から武蔵浦和まで歩くと、多少疲れるせいか、どこかへ寄らうと思はない。図書館では、浄土真宗本願寺派勧学院が発行した、「釈尊の教えとその展開ーインド編ー」を借りた。
書籍と小冊子の中間くらいの大きさだ。このやうな本を、インターネットで予約することはないから、書棚を直接見た功績だと喜んだ。しかし家で詠むと、どうも文章が小生に合はない。やはり、小生と浄土真宗は遠い存在だった。例へば
仏教という言葉は、昔から三通りの解釈がなされ説明されてきた。すなわち、(一)「仏之教」仏の教え、(二)「仏即教」仏という真実の教え、(三)「成仏教」仏になる教え、という三つである。

これはどうでもよい話だ。強いて云へば三つとも同じだし、三番目はこじつけとも云へる。このあと、三宝、三学、四諦八正道、三法印四法印、縁起。ここまでは問題なし。五蘊十二処十八界を述べて
こうして(中略)無我ということが論証されていった(中略)が、反対に、法(存在)の有にとらわれることになったのである。

これも無駄な話である。無駄な話を書く理由は
この部派仏教を批判して登場してきた大乗仏教になってはじめて、人法二無我(二空)がはっきりと意識された(以下略)

それが浄土真宗の教義や、非僧非俗の理由ならよいのだが、さうではないから、むやみに大乗を正当化してはいけない。だいたい、ここが部派と大乗の違ひだと考へる人はゐるのか。
兼「原始仏法を尋ねる」(二百五) 「原始仏法を尋ねる」(二百七)
-------------------------ここまで「原始仏法を尋ねる」(二百六)--------------------------

これ以外にも、仏法と和歌の本を何冊か手に取ったが、借りるまでには至らなかった。ここは、南浦和図書館と異なり、機械式貸出だ。中央図書館で使ったが、それをここでも試した。前にも使ったはずだが、記憶になかった。
図書館を出て、商店街マーレに入った。前回来た時に、耐震工事の為、二階の半分を休館にする予告があった。今回は西側がその休館中だった。東側も新規開店が幾つかあるので、既に耐震工事が終はったか、とそのときは思った。帰宅後によく考へると、前回来た時に西側の予告中だった。西側から東側へ移転したのだらう。

一月十六日(金)
本日も区役所と、新たに医療ビルへ行った。医療ビルをインターネットで調べると、全国最大級とのことだ。入口が三ヶ所に分散するので、最大の印象は無かったが、なるほど全部合はせると大きい。
もう一つ、今年七月で開設二十周年だ。これは予想外だった。てっきり数年かと思った。その理由は、まだ空き領域がある。とは云へ、半端な大きさなので医院には狭い。他の業種は、一階ではないと無理か。
それより、区役所から医療ビルへ行くのは難しい。東北新幹線埼京線と、武蔵野線をくぐるためだ。
鉄道の三つ高架の下を越す 一つの場所へ単独に幾たび行くも 複合は初めて歩き異郷の地並み

反歌  医療ビル病院ならば売店や食堂または喫茶店あり(終)

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