三千八十五(普通のうた、朗詠のうた)短編物語(アショーカ王と仏法)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
一月十五日(木)
はじめに
原始仏法が社会化するときに、教義と社会化の共存ができた。これこそアショーカ王の功績だ。今回は、さう云ふ物語である。
第一章 原始仏法から部派仏法へ
アショーカ王が仏法に帰依するまで、仏法の僧は、超社会的な人たちだった。それは俗世への厭世観でもあった。仏法が無我を主張するのは、そのためではないのか。
第二章 アショーカ王も厭世観を持つ
アショーカ王の一生は、王位争ひに始まり、カリンガ国との戦争まで、殺戮の連続だった。アショーカ王が厭世観を持つことは、考へられる。
アショーカ王が、カリンガ国と戦をしたときの年齢は不明だ。しかし昔は老いる年齢が早かった。高齢が原因とも考へられる。殺戮に明け暮れたので、庶民より老いるのが早かった事もある。
第三章 アショーカ王の功績
アショーカ王の功績は、良く云へば霊的集団、悪く云へば変はり者集団だった仏法を、社会的にしたことだ。そして海外に広めたことだ。それまで仏法は、ジャイナ教とほぼ同じだった。
社会と調和をしながら、尚且つ無我の教義を保つ。この状態を作れたことが、アショーカ王の功績だ。
しかし、原始仏法は部派仏法へ遷移した。これは、科学と仏法が未分化、が原因と云へる。
第四章 資源大量消費社会への適応
現代人、特に先進国(地球を滅ぼす行為が先へ進んでゐる国)は、資源大量消費で江戸時代の殿様より贅沢だ。だから仏法は無我だ、と云っても共感を得られない。
とは云へ、アショーカ王の時代に社会化した仏法も同じではなかったか。生活は、現代と比べて著しく貧しくても、貧富は相対的だ。皆が貧しいなら、それは貧しいのではなく、標準だ。
社会化したが無我の思想は残る仏法の共存の知恵は、現代に活用できる。併せて、現代にのみ発生した智慧もある。瞑想である。複雑化した現代社会で、瞑想の重要性は高まった。
とは云へ、アショーカ王の時代の智慧は必須だ。瞑想法に偏ると、三宝を置き去りに、技術に偏る惧れがある。
アショーカ王 日本から見た最大は社会化及び国際化この功績で仏法を知る
反歌
大和にも仏の教へが伝はるはあそかのきみの敬ふによる
反歌
大和へは文と形は伝はるも戒めは来て留まるをせず
日本では、アショーカ王を阿育王と書き、あいくおう、あそかおう、と読む。二つ目の反歌では、和語としてあそかの王(きみ)とした。(終)
「原始仏法を尋ねる」(二百七)
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