三千十二(うた)和光のミャンマー寺院で瞑想会
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月二十四日(月)
九月に、和光のミャンマー寺院で瞑想会が三日間あった。指導僧が誰なのか分からず、しかも在日ミャンマー人向けだらうと思った。終了後に参加者の話では、オバササヤドーの指導で、しかし他の用事と重なり予定変更があり、参加者は日本人が八名ほど、ミャンマー人三名ほどとの事だった。
今月も二十二日(土)から本日まであった。そして本日参加した。ミャンマーのお寺に参拝は昨年十一月以来。和光は昨年九月以来だ。
参加者は、今月も九月と同程度だ。同程度と云ふのは、途中入退場可の為に変動する。時程は
09:00~09:30 三帰依、受戒、業処
09:30~10:15 呼吸瞑想(アーナパーナ瞑想)
10:15~10:45 歩行瞑想
11:00~12:45 昼食、休憩
12:45~13:45 業処(アーナパーナ)の説法
13:45~14:15 歩行瞑想
14:15~15:00 呼吸瞑想(アーナパーナ瞑想)
15:00~15:30 歩行瞑想
15:30~16:30 業処(アーナパーナ)の説法
16:30~17:00 歩行瞑想
17:00~17:45 呼吸瞑想(アーナパーナ瞑想)
17:45~18:15 歩行瞑想
18:15~19:00 呼吸瞑想(アーナパーナ瞑想)
19:00~19:30 慈悲の瞑想、廻向

休日は結婚式などが入る為、オバササヤドーの都合で時程が変更になる。一昨日と昨日は説法が無く、今日は14:45まで説法で、そのあと歩行瞑想になった。小生は、母が家で一人の為に、心配なので14:45で帰宅した。
瞑想に和光のお寺リトリート 意味は日頃の生活を放れ内省宗教の活動をして明日へと繋ぐ

反歌  久しぶり和光のお寺へ来て見れば熱意と良心前と変はらず
時程を見て、歩行瞑想があるので初心者を対象なのかと感想が聞かれた。なるほどパオ瞑想は歩行瞑想を重視しないこともある。小生も元は歩行瞑想をやらなかったが、ニャーナダッサナ比丘から肩こりのときは歩く瞑想を多くするやう云はれ、実施してきた。偶然その次のページは、和光寺院購入の手続きだった。
資料は
Dhamma Pada
277 『一切諸行は無常なり』と[瞑想による]智慧によって観る時、苦を嫌悪する。
これが清浄になるための道である。
"Sabbe sankhara anicca” ti yada pañnaya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiya

278 『一切諸行は苦である』と[瞑想による]智慧によって観る時、苦を嫌悪する。
これが清浄になるための道である。
"Sabbe sankhara dhukka” ti yada pañnaya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiya

279 『一切諸行は無我である』と[瞑想による]智慧によって観る時、苦を嫌悪する。
これが清浄になるための道である。
"Sabbe dhamma anatta” ti yada pañnaya passati
Atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiya

説法の内容は、メモ書きによると
最終目的はニバナ。悟りを開くにはウィパサナが大切。ウィパサナの智慧を貰ふには、名色分離をよく理解することが必要。
きれいな気持ちを持つことが大切。心清浄。戒清浄ときれいな行動から。瞑想してゐるときだけではなく、日常生活でも戒清浄。五つだけではなく、日常に八つ守る。殺さない、盗まない、不倫しない、嘘をつかない、汚い言葉を使はない、騙さない、他人や自分の為にならない言葉を使はない、悪いことをして収入を得ず自分の力で生活。

八つの戒は、八斉戒と異なり、また八斉戒みたいに特定の日ではなく日常なところが、為になったなった。
飲酒がないが、四番目の不倫に含まれる。坊さんもアリソティシラ(十善戒のことか)を守らなくてはいけない。
ウィパサナするときはウラビソニ(調べたが分からなかった)が大切。
アナパナすることで心清浄。四十あるうちの一つ。アマナパソナ(調べたが分からなかった、文脈から歩く瞑想か?)がある。座る瞑想と歩く瞑想。足の動きを一つづつ。座る時と歩く時に、気持ちが体からどこへも行かないように。
呼吸を観察できたら、長い呼吸と短い呼吸に気付くやうになる。息を吐いた時も、長いか短いか観る。どこで始まりどこで終はるか。激しく吸ったり激しく吐いたりがあるが、呼吸が静かになるまで。この段階までは来てほしい。徐々にニミッタが現れる。
サマリに行きたいなら、ニミッタといふ表情や現象を見て行く。
ジャナ―サマリ、アパマサマリとも云ふ、まで行ったら名色。まち(?)の中で一位のサマリになる。ウパサナサマリは名色、行識の分離智になる。心清浄の次は、かん清浄(観清浄か)に。サマリが固まってくると名色分離智に。それができたら、かん清浄に。名色分離智の次は、なぜさうなるかの智慧に。
ここまでにして、先程の資料に戻ると、サンカラは名色のこと。瞑想で無常が分かる。無常、苦、無我を心に入れて瞑想する。

以上の、貴重なお話があった。
リトリート効果は続くいつまでも 今日より新た瞑想を 数週間か数ヶ月数年または一生までも

反歌  瞑想をお寺で修業今までと異なる心来世再来世
リトリートを検索すると、一時的ではなく、継続するとあった。そこで、来世再来世と大きく出た。今日から瞑想を新たにし、それが続いて来世に、来世に影響して再来世に。(終)

「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百九十二)  「初期仏法を尋ねる」(百九十三の二)うた(一千五百五十二の二)

メニューへ戻る うた(一千五百五十一)へ うた(一千五百五十二の二)へ