千三百二十 1.中国人比丘の来日、2.ミャンマー経典学習会
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
六月十日(月)
昨日の経典学習会は、トゥミンガラ比丘による「ダンマパダ」119と120偈、121偈、122偈だった。午後一時半からだが、この日はオバササヤドー(サヤドーは長老への尊称)、在日ミャンマー人たちと、新しいお寺の建物を不動産屋さんから内覧させてもらった。私は不動産に詳しいので立ち会ったがマハーカルナ騒動以降、ミャンマー経典学習会に来るやうになったOさんも参加した。
Oさんは行動力のある人で、ミャンマー人たちの一階の集会室兼台所での皿洗ひなどを手伝ったり、比丘の食事の施主になったりする。前回ミャンマー滞在の中国人比丘が一時帰国の途中に日本に寄り、瞑想指導会を開く手配をしたのもOさんだった。あのときは大雨で中止になったが、今回再来日されることになった。
不動産内覧の帰りは、女性陣と子供連れが車に、サヤドーと男四名がバスで帰った。私は今まで二回下見に来たが往復とも歩いた。
男性で中心者の方は、駅前の道順用写真の撮影に忙しかった。Oさんは来週の準備に忙しく別の方角の電車に乗った。サヤドーの付け人(比丘は現金を持てないので)をされた方は駅前で別れた。私とサヤドーだけ偶然ホームでいっしょになったので、来日される比丘はお寺に宿泊されるのか尋ねたところ、近くにウィークリーマンションを借りるとのことだった。
ここで来日される比丘の記事を紹介すると

雲南省の分院からウッタマ(至尚)尊者とアディッチャ(太陽)尊者も来日される。多数が参加してほしい。

六月十一日(火)
トゥミンガラ比丘の経典学習会に話を戻すと、ダンマパダ(法句教)119と120偈は
まだ悪の報ひが熟さないあいだは、悪人でも幸運に遇ふことがある。しかし悪の報ひが熟したときに、悪人は災ひに遇ふ。
まだ善の報ひが熟さないあいだは、善人でも災ひに遇ふことがある。しかし善の報ひが熟したときに、善人は幸福に遇ふ。

これに対し次の解説があった。
アナータピンディカは祇園精舎のお布施者で54クロー(1000万)の費用で建設された。毎日3回祇園精舎に行きブッダに礼拝し、朝は粥を、昼は豊富な食べ物や薬を、夜は花や香を持って行った。しばらくしてアナタピンディカは貧乏になったが、預流果だったので不幸に悩まされることはなく、日々のお布施を続けた。家への門を守る神霊が人の姿で彼に現れ「あなたは沙門ゴータマにこれ以上の布施をしないで、自分の商売に向けるべきです。そうすれば再び金持ちになれるでしょう」。
アナータピンディカは門の守護神を追い出した。アナータピンディカは預流果なので守護神は抗することができず、家を去った。彼は行くところがなく、デーヴァの王である帝釈天の所へ行きました。 帝釈天はまづアナータピンディカのためになる行ひをして、次に彼の許しを請ふやうにと。さらに帝釈天は「まだアナタピンディカに返済されていない貿易業者のローンが18クローあり、アナータピンディカの祖先が埋めて海に流された18クローがある。さらに誰のものでもない18クローが埋められている。あなたの神通力によってこれらの富を回復し、アナータピンディカの部屋をいっぱいにしてあげなさい。」。
アナータピンディカは再び豊かになり、守護神をブッダのところに連れて行った。ブッダは二人に先ほどの偈を説いた。


六月十二日(水)
121偈は
その報ひは私には来ないと思って、悪を軽んじてはいけない。水が一滴ずつ滴りおちれば、水瓶も満たされる。愚者が水を少しづつ集めるやうに悪を積むならば、やがて災ひに満たされる。

これについて、次の解説があった。
或る比丘が僧院の寝台、ベンチ、椅子などを境内に置きっぱなしにするので、雨、太陽、白アリにさらされた。他の比丘が無責任を責めたとき、彼は「壊さうとは思ってゐないし、わずかな損害しか与へてゐない」と反論し同じことを続けた。これに対しブッダは先ほどの偈を説いた。

六月十三日(木)
122偈は
その報ひはわたしには来ないと思って、善を軽んじてはいけない。水が一滴づつ落ちれば、水瓶でも満たされる。このやうに善を積めば、やがて幸福に満たされる。

サーヴァッティ出身のある男が、ブッダの説法を聞いて感銘を受け、自分だけでなく他の人たちにもお布施をすることを勧めた。金持ちビララパダカは、男が家から家へと回る行動に嫌悪感を抱き、つぶやいた。「この嫌な男は、自分が布施できるだけの比丘を招待するだけではなく、なぜ他を回って強要するのか」。ビララパダカはあだ名で、猫の足の意味。
それで彼は鉢の中に、三本の指で握れるだけのご飯とバターと糖蜜しか入れなかった。あとでこの鉢はいろいろな鉢に少しづつ入れました。まとめ人はブッダに言った「尊者よ、このお布施は皆さん共同の捧げ物です、多い少ないに関はらず、一人一人が信仰と寛大さで布施しました。私たちは同じ功徳を得ます」。ビララパダカは自分が間違ってゐたことを知り「友よ、私はあなたを悪く思って、大きな間違ひをしました。」。ブッダは金持ちが許しを求めているのを聞き、調べてその理由を知った。そしてブッダは言った、「弟子よ、善い行ひについて軽く考へるべきではありません、たとへ小さなものでも習慣になれば大きくなるからです」。そしてブッダは先ほどの偈を説いた。

以上のお話があった。偈と物語と両方が経典なのかと云ふ質問があり、偈のみと云ふ解説があった。托鉢の時刻についても質問があり、トゥミンガラ比丘が大学時代は、朝は五時から行ひ、ご飯は鉢、料理は寺に持って行く。昼は九時から、鉢にカップがあり、料理はそれに入れる。大学によって異なる。以上の解説があった。 私は二時半から参加したが、119と120偈の途中から聴くことが出来た。
終了後に、一階でお茶を飲んだが、この日は五歳になる子供の誕生パーティーがあり、タミンジョー(ミャンマーのチャーハン)、骨付き鶏肉、辛いふりかけを頂いた。バナナなど果物で作ったお菓子三種があり、これは美味しい。子供の誕生パーティーらしいメニューだった。(終)

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