二千四百七十八(うた)経典学習会(ダンマパダ119、120)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
九月十四日(土)
ミャンマー寺院の経典学習会が、久しぶりに開かれた。前回は四年八ヶ月前で、コロナ騒ぎのため中止が続いた。オバサ・サヤドー(サヤドーは長老の意味)登壇前の自主瞑想は、パゴダで行った。


パゴダ(写真の右に本堂がある)クリックで大きな写真

経典学習会は、以前使った部屋が物置きになり(仏像を撤去し使はなくなったため、物を置いただけか)、本堂で行った。午後一時から自主瞑想をパゴダで行ったのは、昼食後は本堂で信者が憩ふのに使ふためだった。
本日はダンマパダ119と120で
119 悪がいまだ熟さぬうちは、悪人さえも善を見る。しかし悪が熟したときは、悪人はもろもろの悪を見る。
120 善がいまだ熟さぬうちは、善人さえも悪を見る。しかし善が熟したときは、善人はもろもろの善を見る。

まづ
悪いことをしない
よいことをする
煩悩を消す
世界平和

が仏法の目指すものと話があり、ブッダゴーサの因縁物語に解説をされた。メモ書きによると
・アナータピンディカの一日三回お寺訪問では、朝は朝食、昼は薬(バター、ハチミツ)、夕は花や香りのいいもの
・ピンディカが隠してゐた財産を洪水で流されたことについて、土に埋める習慣があった。
・ピンディカが貧しくなり、粗末なものしか寄進できなくなったが、ブッダは心掛けが清ければ、粗末な物ではないと云った。釈迦が前世で布施したとき、三帰依の人は居なかった。今は素晴らしい。布施をする側はよい心。受ける側も新人があれば功徳は大きいが、無くても功徳はある。
・家に長く住んだ女神について、家の守り神。
・ピンディカはソタパナ(預流)なので、女神より上だったので、住めなくなった。

その後、ピンディカは改心した女神を許し、共に釈尊のところへ向かった。
終了後、ミャンマー茶を飲みながら、少し世間話をした。中板橋は駅に近いので、以前は向かうで法要をする人が多かった。パゴダが出来て、こちらで行ふ人が多くなった。学習会参加者10名、お茶のときは3名、終ったころに元世話役の方が来られた。この方は、小生が65歳迄再雇用で働いた会社が入居したビルの元電気主任者で、世の中はいろいろなところで繋がってゐる。
よつ年を過ぎてお経を学ぶ時 通訳さんとは四年ぶり一部の方とは二年ぶり懐かしくあり 信じるの心進みて功徳積むあり

反歌  二年前土地を清める式があり今日目の前に立派なパゴダ
反歌  ミャンマーを出て秋津洲住む人の真心によるパゴダは永く
反歌  温暖化地球滅亡近づくもパゴダと仏教へは続く
仏の教へを長く伝へるには、地球温暖化も防がなくてはならない。
ここで、五月十二日の埼玉新聞ホームページに
関東初!埼玉のミャンマー寺院に「パゴダ」建立、高さ9メートルで直径7メートルの建物 神聖で心が安らぐミャンマー人「仕事の疲れ90%なくなる」 建設費は計7千万円、寄付や募金で賄う 「パゴダ」の内部は

が載った。
(前略)「パゴダ」が和光市新倉2丁目のミャンマー寺院内に建立され、4月末に落成式が行われた。(中略)同寺院によると、日本国内のパゴダは北九州市や名古屋市にあるが、首都圏では初の建立という。
完成したパゴダはコンクリート造りの高さ約9メートル、直径約7メートルの建物。(中略)レリーフを背にした信者が仏像の前に座り、礼拝や瞑想(めいそう)ができる。
設計や許可手続きなどを含めて建設に約3年かかり、今年4月に完成。仏像やレリーフ、建物の装飾品などは全てミャンマーから取り寄せた。建設費は計約7千万円に上り、同寺院への寄付や募金などで賄っている。
(前略)礼拝は四六時中できるが、食べ物などの供え物は午前中だけに限られている。ミャンマー人の信者らは家族の誕生日や親が亡くなった時などにパゴダを訪れ、礼拝するという。
(中略)同寺院の僧侶アシン・オバサさん(51)は日本の仏教の勉強や日本でミャンマーの仏教を布教するため、2009年に来日。当初、東京都板橋区の民家で寺院を開設したが、狭隘(きょうあい)だったため、19年に現在の和光市の平屋建て民家に転居。寺院に改修し、修行を重ねている。
オバサさんは「ミャンマー人はパゴダを見ただけでストレスが解消される人もいる。パゴダには功徳があるので、ミャンマー人だけでなく、関係する日本人にもぜひ来てほしい」と呼びかけている。

板橋区の寺院が狭隘と云ふより、ミャンマーから僧が何人も来日した時に、ホテルに宿泊してもらふとお世話が出来ない、と云ふ理由が大きい。あと板橋は、駐車場が無い。
真心のお寺とパゴダ目の前に復たミャンマーに心が戻る
(終)

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