千三百二十 3.新寺院の建物を無事購入、4.中国人比丘による瞑想指導会
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
六月十四日(金)
本日は正午より、新寺院建物の残金支払いと司法書士による登記簿書き換へがあり、私も同席した。比丘は午前中しか食事が出来ないので、11時から始めると比丘は昼食抜きになってしまふ。そのため12時に設定したのだった。
私はお寺に11時40分頃到着した。お昼は終了後に取る予定だったが、一階の集会所兼台所から声を掛けて頂いて、皆といっしょにミャンマー料理を食べた。
これまでも経典学習会終了後にいただくことはあったか、比丘といっしょに食事をするのは初めてだった。比丘は五名だったか。比丘は在家と同じテーブルで食べてはいけない。顔をじろじろ眺めるのは失礼なので入口の比丘用テーブルを横目に奥へ入った。私の座った席は比丘が背後だったので人数さへ正確には判らないが、お寺に常住の二名と、中国から来日した三名だったと思ふ。
多くの日本人が誤解してゐるが、決して比丘はいばってはゐない。皆が雑談をしながら楽しく食事を終へた。日本人が誤解する理由は、托鉢のときに比丘はお礼を云はない。これは宗教儀式だからで、頭を下げたりお礼を言ったら友達への単なる贈答になってしまふ。
不動産屋さんが来て、二階に移動した。売主側は老婦人と娘、購入側はサヤドーとミャンマー人女性二人と私。ミャンマーの男性陣は仕事で来れないやうだ。それに不動産屋さんと司法書士。
お寺で書類の確認のあと、郵便局に移動し、送金手続き。完了後に司法書士は法務局に向かった。現地にはサヤドーと先日の付け人役の男性が夕方に行くとのことなので、他は流れ解散になった。

六月十五日(土)
本日は、中国人比丘による瞑想指導会があった。三人の比丘とカピア(付き人。比丘はお金を持てないため)が入場される。別の三人がお茶を銀色のお盆に乗せて比丘の前に置き拝礼。中央の比丘は大きな団扇を持たれる。以上の荘厳さが第一印象だった。荘厳は良いことだ。信徒の信仰心が強まるし、比丘も熱意を持って指導するきっかけとなる。
開始が10分遅れたため、五戒請願、礼拝、三帰依、五戒、廻向までで、残りは終了前に唱へることになった。(そのときはさう思ったが、もともと開始前と終了後にそれぞれ唱へるものを用意したのだった。)
1時間の瞑想のあと昼休みに入った。私は向ひのサミットで購入する予定で、昨年9月以降は使用しなくなったサミットカードを持ってきたのだが、お寺に昼食の準備があると云ふ。皆が比丘の列の後ろに付いてお寺に到着した。
本日の比丘及び信徒への昼食は、Oさんの寄進と発表があった。Oさんの熱心さには頭が下がる。全員が一度には入れないので、比丘の食事が済んだあと、比丘用テーブルを片付けて普通のテーブルを並べて、皆でミャンマー料理を頂いた。
朝、駅から会場に向かふときに、アジア食材店のシャッターが開き、「Close」と札が掛かるものの、中でお米の袋を移動させてゐた。店の中は開店してゐたときと変はらない。どうやら常時開店するのではなく、注文が入ったときだけ開けるやうだ。だからお寺の横にある店の案内は今でも掲示されてゐる。
午後は二人の比丘とカピア、Oさんは別行動をとり、一時間の坐禅三回とその間に三十分の行禅が二回。行禅は曹洞宗で云ふ経行(きんひん)のことで、しかし手は片手でもう片方の手首を持ち、歩幅が広い。呼吸への集中は坐禅と同じやうに行ひ、歩くたびに吸ふ、吐くを繰返す人が多いと説明があった。北京語から日本語への通訳さんはにこやかに感じのよい女性だ。法友、同信として我々に接してくださった。
今までクムダサヤドーの瞑想指導会に三回ほど参加し、このときは坐禅のあと休憩があり、ここが会場だったときは、肩こり防止に外を走った。今回は休憩が無いものの行禅を行ふと、肩こりがひどくならないことに気付いた。
インタビューは一時間半を用意し、比丘の前に座布団二つ。Oさんも復帰し、中国語と日本語だと通訳さん、英語と日本語だとOさんと盤石な体制となった。私は30分の行禅があるので、肩こりがひどくならなかったことを答へたところ、1時間の行禅のあと30分の坐禅と云ふ指導を頂いた。

六月十六日(日)
本日はミャンマー人向けだ。参加者が少ないと三人の比丘に失礼なので、私は昨日に続き参加した。Oさんの昼食寄進は、亡くなったお父様の廻向ださうだ。開始前、昼食前の懇談は貴重な情報源だ。
昨日は30余名が参加。名簿は29名だが書かなかった人もゐる。本日は約18名参加。途中で帰ったり途中から参加する人もゐたので、同時では最大14名だった。
本日は1時間行禅、30分坐禅を実行した。まづ午前は10時50分まで坐禅。これはこのとほり行った。
ここで比丘三人がお寺に行き、12時前まで昼食。待ち時間がかなりあった。鈴木一生さんのお寺(鈴木さんは大乗で出家し自宅をお寺にした)に一回行ったことがあり、ミャンマー人の若い女性がお手伝いさんとしてゐた話をしたところ、あれは養女でしかし事情は複雑で奥さんかも知れないさうだ。しかし鈴木さんの葬儀には行ったと云ふし、鈴木さんを批判する話は出なかったから、批判される話ではないのだらう。
しかし鈴木さんの話で、鈴木さんと別の個性の強い人二人が合宿に参加したとき、鈴木さんが休憩中に週刊誌を見たりテレビを付けた。別の人が修行中だと言ってテレビを切って口論になった話が出た。修行してゐる人が怒ってはいけない。今の合宿は、鈴木さんの始めた合宿の流れかどうかも話題になり、鈴木さんとは企画が違ふし、まったく別のものださうだ。この前の合宿で食堂では沈黙行が崩壊したと云ふ話もあった。
先日の土地購入責任者の男性が何回か電話連絡をしてくれて、比丘が退出ののち、ミャンマーの人たちが昼食を食べて、しかしミャンマー人の人たちが引き続き食べてゐるらしい。
私が、竹田さんの上座部仏教修道会は参加するのに面接が必要で、その後一回参加したがまじめすぎて一回で終った話をしたところ、経典学習会を主催されるIさんも同じだった。決して上座部仏教修道会が悪いのではない。あれが合ふ人も多い。堅苦しく感じる人はミャンマーのお寺などに参加するのがよい。
別のミャンマー人グループが二階本堂で儀式に参加してゐるので、この間にお寺に行って昼食を食べることになった。日本人五人とミャンマー人責任者とが一つのテーブルで食べた。瞑想会に来たミャンマー女性陣七人は、前のグループに合流したやうだ。
食べ終はったころ二階からグループが降りてきたので、集会所に戻った。

六月十七日(月)
午後1時から1時間の坐禅は最初と最後の15分づつは坐禅、途中の30分は私だけ行禅に変更した。
その後の行禅30分は予定どほり。
1時間の坐禅は前半の30分は予定どほり、後半の30分は行禅に変更した。
行禅30分は予定どほり。
坐禅1時間は最初と最後の15分づつは坐禅、途中の30分は行禅に変更した。
合計で坐禅、行禅とも2時間半づつ。午前は坐禅1時間だけだからこれを除くと、行禅が2時間半、坐禅が1時間半になった。
インタビューは、参加者の中年女性が中国語とミャンマー語の通訳をしてくださり、しかし直接中国語や英語でインタビューを受ける人も何人かゐた。
日本人は、Oさんが英語日本語の通訳をされ、私のほか数名は直接英語でインタビューを受けた。昨日のアドバイスのおかげで、肩こりが改善されたことを話した。食事後に行禅、引き続き坐禅をすると消化にもよいと比丘が話されたが、私はdigestの単語が判らず、面接者の横に控へるOさんに助け舟を出してもらった。
私はコンピュータ用語が得意で、時事用語も多少得意だ。しかし生活用語が弱い。ここが留学組で外資系に務めるOさんとの違ひだ。
別の人のインタビューで、瞑想の時間が取れないときは電車の中でもよいと云ふ比丘からの回答があった。実は私は比丘に毎日の瞑想時間を訊かれたときに、電車の車内を含めたので、事後承諾ならぬ、別の人への事後指導で安心した。

六月十九日(水)
一日目の法話は、ニャーダナッサラ比丘(智見尊者)が予めOさんに相談し、出家するまでの経緯がよいのではと云ふことで、これは今回初めて話される貴重なものだ。私のメモによると
大学卒業後に皆が物質を求めるが、それ以外に見つけるべきもの。4年仕事ののちチベットへ。民家に滞在したが、優しくしてくれた。朝はタンスを開けて仏像に水をやるところを見て、心の扉が開いた。
生きるのは、生き残るためではなく意味がある。中国に大乗仏教があり僧がゐるが、健康的には見えず、かう云ふ人になりたいとも思はない。インドに2か月、スリランカはマハシー。デング熱で危険な状態になり、いつでも死ねると思った。おそれが消え、執着が消えた。人によいことしたことしか持っていけないと思った。
タイに行き托鉢に出会った。美しく感じた。韓国にフィアンセがゐたので許しを得て瞑想会に。マレーシアで出会った比丘はサティに溢れてゐた。出家許可を得て、韓国のフィアンセと両親は時間が掛かったが納得してもらった。短期間で師匠の師匠のパオセヤドジーの所に行った。パオ瞑想は7年。
修行は一生続く。数年の瞑想では足りない。ダンマを広めたら森に戻りたい。ヒマラヤで雪の中に穴を見つけ修行したい。自分の修行したいが、人を助けたいし、ダンマを広めたいが、まだ修行が足りない。教理を数年勉強したい。そのあと戒も勉強したい。

以上の極めて貴重な法話を伺った。

六月二十日(木)
二日目昼休みの懇談で、チャンミ瞑想センターは、坐禅が外側で中央に行禅の場所があり、最初は速いのにだんだん遅くなるさうだ。
私も行禅をやってそれを体験した。一歩一歩が吸ふ、吐くに対応するから、呼吸を観察できる上に、長い呼吸、短い呼吸も観察できる。 一方で、行禅に積極的ではない人も多かった。クムダサヤドーのモービ僧院は、行禅をやらないやうだ。
ミャンマー人の女性陣もほとんどの人が休憩で、中には寝そべる人までゐた。昨日は女性陣がほとんど全員日本人、本日は全員ミャンマー人。男性陣は、昨日の参加者のうち瞑想にのみ興味のある人は本日は来ないで、経典学習会参加者で私を含めて五人ほど本日も来た。本日は在日台湾系(台湾籍か日本籍か不明のため「系」を付けた)の若い方と、若いミャンマー人女性の弟らしい人も参加した。
クムダサヤドーの瞑想会はチャンティング無しで始まると、感想をインターネットに載せた人がゐた。私は今までそのことに気付かなかった。そのことをIさんに質問すると、日本側が設定したスケジュールに合はせて行ってくださるだけで、モービのお寺ではきちんとチャンティングされるとのことだった。

六月二十一日(金)
二日目の法話は慈経(クラメーヤメッタスッタ)の最初に出て来る14の徳目について、解説があった。私のメモ書きによると(-は文字の上に-がある)
1.Sakko(能力がある)は、身を守る、または作業する。あとはお釈迦様の教えを理解し実行する。
2.uju-(まっすぐ)、3.su-ju-(とても、まっすぐ)はsa uju。体がまっすぐ、心もまっすぐと説明する人もゐる。瞑想する人に取り大切。先生に正直でなければいけない。隠したり経験しないことを云ってはいけない。
4.suvaco(素直)先生から云はれたことに従ふ。
5.mudu(柔和)瞑想は心を柔らかくしなくてはいけない。
6.anatima-ni-(高慢ではない)自分は特別な存在だと思はない。本当の謙虚とは、他から得る人。東洋では重要。他人と比較しない。三種あり(1)私はあなたより上、(2)私はあなたより下、(3)私とあなたは同じ。このうち(2)が一番危ない。心が落ち着かない。比較が三つを生む。マナ。
7.santusakko(現状に満足)これが出来ると幸福になれる。
8.subharo(支援しやすい)
9.appakicco(義務が少ない)ビジネスが少ない。僧も勉強その他が多いと瞑想できない。
10.sallahuka vutti(生活が質素)瞑想センターは該当。比丘は一番該当。
11.santindriyo(感覚器官が落ち着く)感覚器官を守る。心を落ち着かせピースフルに。
12.nipako(成熟した智慧)
13.appa(無作法でない)
14.kulesu ananugiddho(貪欲を持たない)アタッチメントを持たないように。

以上の14の解説、特に瞑想者への注意点があった。
14は在家を含む全員が守る。紙に書いて貼ってもよい。瞑想者へのお釈迦様のアドバイス。
サッカ(帝釈天)がブッダに質問。デーバはいい性質なのになぜ喧嘩ばかりしてゐるのか。答は、マナ。再質問で、その理由は。答は好きか嫌ひしか。真実が見えないから。
マナを除くよい方法は瞑想。苦、無常、無我。そこまでできなくても人と比較しない。

以上の貴重な法話があった。サンガを支へる功徳と、瞑想をする功徳と云ふ表現もあった。瞑想は自分のためと考へてしまふから、ここ七十年間に現れた在家が瞑想することの意義について、世の中が複雑化したことへの対応と考へてきたが、瞑想は功徳を積むと考へると、すべてが解決する。(終)

追記六月二十二日(土)
二日目に英語でインタビューを受けた人に対し、ミャンマーに戻って瞑想するとよい、ミャンマーにはいい先生がたくさんゐる、ピンウールウィンは気候が良くモーラミャインは豪雨が降る、と英語で話されたことが印象に残った。
私自身は、瞑想をして肩が凝ることが今回の瞑想会で解決の糸口が見えたものの、解決が完了した訳ではないので、ミャンマーに行かうとしてゐる訳ではない。印象に残ったのは、ニャーダナッサラ比丘がいい先生がたくさんゐると話されるその背後に、強い信仰心を見たからだった。

追記六月二十三日(日)
一日目の質問の時間に、雲南省で上座を信仰する少数民族について質問した。せっかく雲南省から二人の比丘が参加されたので、一言お話を伺はうと云ふ配慮だった。
雲南省には26の少数民族が住み、このうちミャンマー国境に近い2つが上座。昔は国境が無く、タイ、ミャンマーと往復した。これらの人たちとは友好的に交流してゐる。
タイと同じ民族。今は傣族と、にんべんに泰と書く。男の子は一度は出家、男は寺の中で勉強、祭りは仏教徒関係がある。

以上のお話があった。雲南省の上座の少数民族については新アジア仏教史04 スリランカ・東南アジア 静と動の仏教に詳しく書いた。

追記七月三日(水)
下の書類は、二日間に亘る瞑想指導会への参加者の寄付10万円を三人の比丘に贈呈した領収書。中国語と英語で書かれた珍しく貴重なものだ。



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