二千九百二十(うた)常時止観から断酒へ
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
九月十八日(木)
常時止観を始めてから、一つ気になることがあった。常に心が充足してゐるのだから、飲酒は不要ではないか。そんな矢先に、ビール会社が夜専用炭酸水を販売する報道を見た。よし、代替飲料を試すぞ、と思ったものの、数時間後に考へを変へた。心が充足してゐるのだから、代替飲料も不要ではないか。
自信はあったのが幸ひしたか、止観への考へが、以前より発展した。今までは、止で心を安定させ、観で活性化する、だった。今は、止で心を安定させ、観で心の容器に水を満たす、だ。
五戒のうち、不飲酒戒が守られなかったが、守ることが確実な為に智慧が進化した。

九月十九日(金)
晩酌はせず、今朝を迎へた。昨夕の時点は未だ夕食前なのに、不飲酒戒を守ることが確実な為に、とは大した自信である。しかし常時止観により、守ることは確実だった。
不飲酒は常時止観に乗り切ると確信を持ち 夕を過ぎ今朝を迎へて新しき日へ

反歌  般若湯百薬の長昔から云はれ続けて常時止観へ
医学の進歩も大きい。少し前までは、少量なら飲んだ方が死亡率が下がる、と云はれた。しかし今では、少量でも有害になった。
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--------------------------ここまで「良寛和尚と初期仏法を尋ねる」(百八十一)---------------------------

九月二十日(土)
昨夕も晩酌をしなかった。断酒をすると体の調子がよくなった話を、何十年か前に読んだことがある。しかし本日まで、まったく変はらない。逆に、往路に駅の階段を降りる時に、かすかに左膝が痛かった。これは家から駅までの途中300mをややゆっくりだが走った為だらう。以前は毎日走ったが、今回は半年ぶりだ。あと、帰路でも駅の階段を降りる時に、かすかに頭痛がした。すぐに無くなったので、体に変化があった訳ではない。冷房の効いた車内から、車外へ降りたためか。
晴れの日には、お酒を飲んでもよいかなと思ふ。あと、現存する焼酎甲類の紙パック1.8リットルが八割以上ある。今までに、甲類は買ったことがなく、乙類の芋焼酎だけだったが、数十年ぶりに麦焼酎紙パックを買ひ、そのあと甲類を買った。その前にウオッカも、試しに買った。この時点ではいろいろな酒から、日本酒の未来を考へる為だった。断酒の原因は、不味い飲み物を続けたためだ、とも一瞬考へた。しかし真の原因は、常時止観だ。
常日頃お酒を断ちて晴れの日は飲むのもよしと決めるとき 不味きが訳に非ずして 常時止観の賜物と為す

反歌  いつもの日晴れと区別をする時に異(け)と呼ぶ勿れ生活の時
反歌  いつもの日晴れと区別をする時に穢(け)と呼ぶ勿れ柳田國男(終)

兼「日本酒、その四十六」

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