二千九百十七(うた)二冊の「極上の会津」
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
九月十九日(金)
JRの駅で旅行パンフレットの「極上の会津」を、棚から一部頂いた。最初の記事は
古来より培われた”会津の発酵醸造”を嗜む新しい旅
郷土料理の「ニシンの山椒漬け」「三(さ)五(ご)八(はち)漬け」「しんごろう」は発酵食品だ。
納豆に塩と米麹、米を混ぜた三五八をいれた「ひしょ納豆」
とあるが、意味が不明なのでインターネットで調べると、漬床は塩、米麹、米を3:5:8の割合、とある。これに野菜、するめ、数の子などを漬けるさうだ。ここは
納豆に、塩と米麹と米を混ぜた三五八を、いれた「ひしょ納豆」
または、更に分かりやすくして
塩と米麹と米を混ぜた三五八に、納豆をいれた「ひしょ納豆」
と書かなくてはいけない。
其の名からふるさとの味滲(にじ)み出るニシン山椒そして三五八
次の頁からは、夏秋冬春の四季別に、見どころの写真と短い説明が載る。WebとGoogleMapの2次元コードが載るが、最近駅とそこからの交通手段と所要時間は載せるほうがいい。パソコンでは2次元コードを入力できない機種が多い。印象に残ったのは、夏の伊佐須美の社、大志集落、冬の会津絵ろうそくまつり、大内宿、春の湯野上温泉駅。
次の章は、歴史だ。
保科正之の時代に始まった「会津三十三観音めぐり」は、農閑期に女性たちが巡礼をしながら食事や宿泊、おしゃべりを楽しむものとして広がっていきました。
とあり、一番目は「左下り観音」だ。清水の舞台に似た建造物で、一番気に入った。しかし、二番目の福満虚空蔵菩薩が国重要文化財に対して、こちらは県重要文化財だ。
次の章は、体験だ。体験は新しい観光資源として注目されるが、小生は経験が無いので何とも言へない。
次の章は、食だ。十五種(十五店)が並ぶ中で、山(やもー)人(ど)料理、みそ田楽、塩川鳥モツ、こづゆに注目した。次の見開きも続きで、カフェ特集だった。
お土産の章では、中ノ沢系こけしが遠刈田系や土湯系の影響を受けたとされる。酒の章では、南会津と喜多方の日本酒がGI認定とある。温泉の章は、東山、湯野上、芦ノ牧は、前回の旅行中に駅名で知った。
次の頁は十の温泉が載り、最初の熱塩温泉は聞いたことがあるが、調べると1984年まで日中線が喜多方と熱塩の間を走った。線名は日中温泉に因み、この温泉はダム湖に沈んだが1993年に新源泉を掘り当てたさうだ。熱塩温泉は此れとは別だが、旅館は一軒のみ。
九月二十日(土)
このパンフレットの数日前に、図書館から借りた「極上の会津」が、何とこのパンフレットの2009年版だ。この版は
仏都を巡り/食彩を愛でる/千年回廊
と副題が付く。最初の頁には
千数百年の昔、仏の教えを広めるべく徳一(いつ)という高僧が会津の地へ降り立った。
会津を拠点に彼が建立したとされる寺社の数は二十数所。(中略)信仰は深まり、全国屈指の仏都を築いた。
で始まる。
奈良の都で法相宗を学んだ徳一は(中略)大同2年(807年)に現在の磐梯町に慧日寺を開いたとされる。(中略)最盛期で子院三千八百を数え(中略)往時の慧日寺は現存していないが(中略)遺品や遺構は今なお会津一円に数多く残されている。
2025年版と異なり、二次元コードではなく、地図が載る。惜しいことに、磐越自動車道は載るが、鉄道が載らない。表紙にはJR東日本の記号も小さく載るが。最終頁を見ると問ひ合はせ先は、極上の会津プロジェクト協議会。事務局は会津若松市観光課内だ。市町村ごとの問ひ合はせ先は市町村の、観光を担当する課と観光団体(喜多方観光協会など)が並ぶ。会津若松市は、ビューローと改悪される前の、会津若松観光物産協会だ。
慧日寺は会津に広まる仏法の中心にある寺にして 戦乱などで礎石のみ 十七年前金堂再建
反歌
慧日寺はもより駅から十八分歩くに由りて行くを断念(終)
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